磯部城所在地
磯部城は入沢城の支城とされ、入沢城の北側にある。
どうも今回行った城の中で一番印象が薄く、ついさっき探訪リストを見て思い出した次第。
この城の特徴はなんと言っても南面にビッシリと作られた墓地であろう。
この墓地を見ただけで攻め手は祟りを恐れて攻められない・・・事もないか。

墓地を抜け、スタスタと歩く内に「もう着いたの?」って感じで本曲輪に。
南面は墓地以外は防御設備がありません。
北側はなんとか何段かの切岸らしき地形が残るのみ。
うっすらと虎口があったというが、全然見えなかった。

その代わりに見晴らしだけは良い。
入沢城も間近に見え、南方の視野を確保する砦であったと見るのが正解のようだ。

毎度のラクガキコーナー。
殆どの地形がフラットに近く、城と知らずにここを訪れると・・・見落とす可能性ありそう。
やはり城の遺構より斜面ビッシリと設置された墓地の方が印象的であった。
- 2013/04/04(木) 01:00:00|
- 城館探訪の事(長野県)
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入沢城所在地
入沢城は現在の佐久市の南の方にあり、吉祥寺背後の小高い山上にその遺構を残している。
群馬県渋川市に移住した入沢氏の故郷であり、実は行った後に気付いた次第(汗
ちなみに群馬県入沢城の記事はこちら
墓地に幾つかの平場があり、その合間を抜けて城のある山頂を目指す。
比較的歩き易い道があったにも関わらず、最初はよく探さず直登なり。
山頂付近になると岩場になり、中には写真のようなまっ平な岩も。

本曲輪は削平された地形のみで、石祠も建てられている。
木々に葉が無い季節ではあったが、眺望はあまりよくなかった。

ニの曲輪の東半分は丈の長い笹藪になっていて写真すら撮ってなかった・・・。
皆さんは笹の無い道を行くが、我は曲輪の輪郭を知るべく藪の道を突き進む。
のでその最中の写真は無いが、藪が切れた頃には堀切が出現。

鋭く抉られた堀がまたいい、西側は竪堀がずっと下まで伸びていたようで、
ヤブレンジャーの隊長殿は結構な急勾配にも関わらず、竪堀を直降されていた・・・。
もっとも
先日の花園城でも似た事を自分もしたので人の事を言えないのだが。

毎度のラクガキはこちら。
この城の特徴はやはり尾根にある数々の堀切なのだが、深さにインパクトは無かった。
それより本曲輪の南側の岩場の方がどちらかと言えばインパクトあったようにも。
- 2013/04/03(水) 01:00:19|
- 城館探訪の事(長野県)
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雁峰城所在地雁峰城は別名小田切城とも言われ、雁峰の読み方も「がんぽう」と「がんみね」と色々といわれ方があるようだ。

この城の最大の特徴はその帯曲輪郡であろうか。
つい最近埼玉の花園城でその威力を思い知ったばかりなので、あの時の事が頭に思い浮ばれる。
ここもまともに縄張り図描くとすると、かなり調査に時間がかかりそうな印象がある。

その帯曲輪もただ主郭を巡らすのみならず、分断したり幅を広げたりしている。
今回の探訪ではその全容は把握できなかったが、城柵を設ける事でかなりの威圧感が合ったのではなかろうかと。

本曲輪は比較的藪が少なく、ちゃんとした縄張り図作りをするのには最適な気候。
だが、今回は団体ツアー中なので、ザっと見た感じで遺構をメモしていく。

この城の背後の生命線とも言える堀切。
岩をも削って作り出した命の一条。
その更に後にも一応堀らしき窪みがあるのもの消化不良気味に。

図面を描いている内に他の皆様が車で待機していると思い、
急いで降りてみれば・・・まだ誰も居なかった(笑
かくして今回は図に示した程度の調査に留まった。
この先にもいい遺構があったらしいが、見逃して残念であった。
- 2013/04/02(火) 01:00:22|
- 城館探訪の事(長野県)
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湯原城所在地
次に訪れたのはいまや佐久市になった臼田町の湯原城。
今まで我々武蔵直登が先導して城館探訪をしていたが、
城の脇にあるトンネルまで行くのに迷う。
途中でヤブレンジャーの皆様が先にトンネルを発見し、無事到着。

トンネルの南側脇には上へ行く階段があり、それを使って湯原城へと向かう。

城内には碑がないものの、トンネル脇には依田氏の供養等が建つ。

それほど比高差もないので、笹薮に隠された道さえ分かれば簡単に行ける。
堀らしい地形も幾つもあったが、南側の笹薮が割りと凄かった。

毎度恐縮ながらラクガキ。
まがい地めぐりばかりしている自分としては結構いい城とは思うが、
皆様には今ひとつという印象を与えていた様子。
うーん、残念。
- 2013/03/30(土) 01:00:06|
- 城館探訪の事(長野県)
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以前、内堀城攻めをして二回共撃退された。(
その模様はこちら)
それは夏場における猛烈な藪と絶壁であった事が我が記録にある。
しかし、二回の撃退をされたこの城にリベンジする日がついに来た。
藪が無く、かつ藪に果敢に立ち向かうヤブレンジャーの皆様とご一緒なのである。

城の北東はなだらかな斜面になっており、藪が枯れた今なら全然問題にならない。
登るうちに巨岩がゴロゴロと転がっているように置かれた場所に出る。

岩場を越え、ようやく本曲輪に到着。
そこは削平地に僅かな土塁が幾つか見られるだけの遺構であった。
だが、その構造は簡素ながらも巧妙な物であった。

たまたま北側から降りた際に見つけた石積み。
城に使われた物と思われるが、それは城道か?あるいは曲輪か?

毎度の如く汚いラクガキを一つ。
描いた後に思ったのはこの城、西側から見下ろした絵にした方が構造が分かり易いかも。

という事でもう一つラクガキを描いてみた。
この構造を見ても、内山城方面を向いているようにも見える。
今回見てきた事からも内山城攻めの陣城(対の城)だったかもと思えてしまうのであった。
かくして内堀城へのリベンジは見事成し遂げられたのであった。
- 2013/03/29(金) 01:00:26|
- 城館探訪の事(長野県)
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