五本松城所在地
五本松城・・・
かって内山古城から向かう際にあまりの倒木の多さに撤退を余儀なくされた城である。遺構が残るという話を色々な所から聞き、なんとしても志賀城と共に再チャレンジしたいと思っていた城。
今日こそあの五本松城の遺構に立てるようにしたいものだ。
かといっていちいち前回同様内山城から登って周ってしまっては大きな時間ロスになる。
そこでネット上の情報を元に、探訪してみる事にした。

所が何を間違ってか、採石場跡地に着いてしまったのであった。
そそり立つ人工の岩壁、思ったよりこの採石場の幅が広く、ずっと岩壁が続いていた。

採取していたと思われる石を手に取る。
落とすと簡単に割れるので石灰石の類か?
それはこの岩壁も簡単に崩落するという事を意味しているので、速やかにその場を離れる事にした。

尾根の先端あたりでようやく、取り付けそうな場所に着いた。
実はこの時はここが五本松城から南に派生している尾根先とは全然気付いていなかったのであった。

しばらく尾根を歩いていると、麓の方から里道が近づいてきた。
最初からこの道を見つけていれば・・・とは思うが、それは仕方なし。
そのまま五本松城の方角へ歩いていく。

五本松城に近づくにつれて異変が生じる。
山の近景が思ったより高く、しかも先ほどの里道が尾根筋から逸れた。
この状態からこの先の状態を予測すると・・・行き止まりか。
案の定、尾根は急に険しくなり、岩がゴツゴツしている。
かと言って迂回している時間はないので、そのままよじ登って行く事に。

登る事小一時間、ようやく山頂が見えてきた。
ようやく念願の五本松城へたどり着けたようだ。

本曲輪付近の石積みだった気がするが、どの辺りだったか忘れてしもうた。
これを見て、ようやく着いた事を実感できたのであった。

よじ登ってきた尾根筋を見下ろしてみた。
もうこのルートで戻る気がない。

五本松城本曲輪は比較的広く、土塁はまったく無さそうである。
南と北に虎口らしい窪みがある。

更に、「5本松城址」と書かれた案内板まで備え付けられている。
数字をアラビア文字だと「5、本松城址」とも読めそうで、なにやら新鮮な気持ちになる。
おそらく誤字でしょう。

達成感をかみ締める時間が実を言えばもうそれほど無いのであった。
急いでお絵かき道具を用意し、駆け足で描いていく。
ので行くのに苦労しておきながら、撮った写真は極僅か。
一応これが堀切写真。

話をどんどん飛ばし、こちらは西城と呼ばれる部分。
五本松城とは岩場で区切られてような感じである。
このあたりはこういう巨石が多く、これがよい防御設備になっている。

西城の先の腰曲輪。
本曲輪の方は岩が多いが、こちらはいたって普通の削平地。
そのまま西城の先に鞍部があり、そこから行き来するルートがあったそうなので、そこから降りていく。

こちらのルートは斜面がなだらか過ぎて、かえって迷いそうな気がするのは気のせいか?
なんとか里道を発見し、それを元に降りていく。

そして車道に戻った所で、振り返って撮影。
ここで間違えたので大回りをしてしまったという始末。

無事戻った所で毎度のラクガキ。
特に今回は行きでお世話になった尾根筋を描いてみた。
この尾根筋を描いている鳥瞰図っておそらくこれだけかも知れない。
かくして日没前に戻ってくる事ができ、その後温泉に行って疲れを癒してきた。
前回挫折した城を二ヶ所お絵かきできただけ、今回は成功だったと言えるかな。
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- 2013/04/18(木) 01:00:00|
- 城館探訪の事(長野県)
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志賀城所在地
志賀城は甲斐武田軍によって麓に三千の生首を並べられるなど、血生臭い歴史が残されている。
そんな恐ろしい歴史が数百年前にある同地だが、現在は至ってのどかな集落になっている。
実は前回訪問しようかとしていたが、当時は真夏だった事もあってだるくなって止めた経緯がある。そんな志賀城だが、4月上旬の今なら草木が少なく、探訪する絶好の好機と見て訪れた。

志賀城の南麓にある雲興寺に上り口があるとの事で、城館探訪の成功の祈願も兼ねて参拝。
そのまま本堂の東側から回りこんで城へ向かう。
なんか尾根筋が削平されてそうで、とっても気になったがそのまま進んだ。

途中からゴロンと造作も無く置いてあるという感じの巨石があったりする。
信州の城は本当に岩と巨石が多いと実感する一コマである。

登りながらもまたも石積み付きの削平地に出会う。
志賀城の真下だから城の遺構・・・とも思いたいが、桑畑の跡である可能性もあるのでなんとも言えず。
そんな削平地を横目に見送り、テクテクと踏み跡を元に登っていく。

この山が岩で出来ているのをよく物語っている場面に遭遇。
表土に生えた木々が岩肌で剥がれ落ちかけている。
途中の道でそんな倒木がいくつもあった。

志賀城の堅固さをより具体的に表してくれる岩壁の登場。
戦国時代にはこの岩壁を露出させて、攻め手の戦意を削いでいたかも知れない。
写真では伝わりにくいが、現物を見るとその迫力に驚く。

岩壁の合間のごく限られた尾根を上りきると、ようやく待ちかねた遺構とのご対面となる。
先の岩壁が垂直にそそり立っている事もあって、いくつかの削平地がある程度である。
また、部分的に笹薮になっていて、見通しが悪いところがある。

本曲輪の方向に歩いていくと浅いながらも堀切に出会える。

本曲輪に近づいたあたりで噂に聞く綺麗な石積みに出会えた。
一部には後世のものだろうという説も聞くが、当時の物だとすればロマン溢れる風景だ。

本曲輪に到着、一部がすごい笹薮に覆われている。

その代わり本曲輪東側は見通しが良く、小さいながらも堀と櫓台らしき高まりもある。
堀切を越えてしばらく進むと、進むのを拒むかのようにロープが張られている。
このロープの意味はこれを通過する時点ではよく分かっていなかった。

本曲輪の先は本来の自然に任せた堅固な要害の様相を見せてくる。
でもこんな垂直にそそり立つ岩壁をあえて竪堀にする必要性があるのかと思える地形がある。
これが自然に出来たものだとすれば天性の要害であった事が感じられてしまう。

更に進むと突如、岩肌の露出した超危険地域に出くわす。
志賀城側は一応削平されたような地形であるが、その先の地形は明らかに人の行ける様な地形ではない。
獣たちは往来しているような痕跡は見られるが、人が行って安全に通行できる保証がないだろう。

落ちないように覗き込むとなにやら人が手を加えたような地形が。
これを見ても志賀城は明らかにこの岩を穿った堀切にも守られているのが分かる。
それにしても今まで見た遺構の印象を吹き飛ばすような、ダイナミックな堀切である。

その他にも本曲輪に石積みがあったり、写真の巨石を積んだ切岸(?)があったりと
志賀城には見所は多い。
ただ、ここまで見た意見としては、やはり自然の地形に頼った要害というのが一番であった。

毎度のラクガキ。
志賀城の範囲が少々広いので、全体像を描いたらこんなに縮小してしまった。
夏場でもいける事は行けるだろうが、熊などの害獣に出くわさない冬場がベストだろう。
とっても美味しいご馳走でした。
- 2013/04/17(水) 01:00:00|
- 城館探訪の事(長野県)
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ねぶた城所在地
宮坂武男氏の著書にこの城の記載がされていたので、無性に興味が引かれた。
上信越自動車道の直撃を紙一重でかわし、現存している城。
そんな事で上信越道で佐久平PAまで行き、そこから途中の香坂まで戻ってきた。
付近には香坂ダムがあり、その北付近にめざすべきねぶた城があるのだが・・・
なるべく近くの駐車場を探すつもりが、いつの間にか二つ先の尾根先まで行って時間ロス。
まぁ、ねぶた城と同じ条件の尾根を見て何が違うのか知るいい機会になったのでそれで良しとす。

入口の目印は香坂ダムを過ぎてすぐの所に自動販売機が数台並んでいる写真の場所。
この脇の道が城へアクセスする近道であろう。
自分の場合ここで奥の道で曲がってしまい、香坂の集落に行ってしまったのであった。

先ほどの道を曲がってすぐにねぶた城のある尾根の近くへ行ける。
それほど大きな道ではないが、路肩にギリギリまで寄せれば駐車できるスペースはある。

城の先端は幾つかの削平地が作られているが、城本来のものかは非常に謎。
麓に近い事もあり、耕作用の削平地と思われる。

しばらく上がっていくと東側に腰曲輪と思われる削平地が現れる。
先ほどの場所と違い高さも少々あるので、これが本来の遺構である可能性は高そうだ。

宮坂氏の図面によればこれが城根神社という。
比較的大きい石の側に作られており、ここが本曲輪直下の腰曲輪になる。

そして本曲輪へ、中央に段差を付けて両サイドから回り込むような構造になっている。
現地には城を示すものは特に無く、雑木林になっている。

本曲輪の背後には堀切とも思われる窪みがあり、更に数m後方にも一条ある。
後者の堀切に関しては里道による掘割とも思えるので堀切とも断言できない所も。

更に尾根を上がって行くと上信越自動車道があり、尾根は大きく削られている。
高速道路敷地に遺構があったのかも知れないが、今となっては確かめる術がない。

毎度のラクガキコーナー。
この図はかなり遺構をデフォルメしており、この図を信じると現地に行ってガッカリするかも。
今回は道を間違えたり、違う尾根を登ったりで色々と時間かかったが、
ちゃんとルートが分かれば割りと楽に訪れる事のできる砦である。
- 2013/04/16(火) 01:00:02|
- 城館探訪の事(長野県)
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医王寺城所在地佐久市方面に戻る途中、バイバス沿いから堀切の見える城があるという。
言われて気付いたが、確かにうっすらと堀のような窪みが見受けられる。
その麓からでも見える堀を見て、全員一致で「行こう!」と決まる。
かくしてちょっと道を引き返し、南側からこの医王寺城へ向かう事に。

城はいくつもの段郭が設けられており、それぞれがわりと広い。

東側は急落しており、見晴らしは良好である。
医王寺城からでも今朝行った平尾城の姿を確認する事ができた。

本曲輪には力強い文字で書かれた看板がついている。

堀が本曲輪周辺に作られており、麓から見えるだけあって結構広い。

ここでもお絵かきしなかったので、頭の中の記憶を元に作成。
なお段については適当に書いたので間違っている。
前々から書いている通り、城の雰囲気が分かればそれでいいかといった所。
- 2013/04/06(土) 01:00:00|
- 城館探訪の事(長野県)
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花岡城所在地長野県には(記憶によれば)花岡城は二つあり、こちらは南佐久郡の方の花岡城。
東側から伸びる尾根の末端に作られた城で、ただ今絶賛公園整備中。

遊歩道を歩けば三重堀切が見れる。

腰曲輪が点在しており、遊歩道がそれを結ぶ形でお散歩できる。

所々にテーブルが設けられており、遠くの風景を楽しみながら昼食を食べる事もできる。

本曲輪には幅いっぱいに物見台が設けられており、景色が良さそうである(今回は登っていない)
物見台の一階あたり戸を付ければ住み着く人も居るかも知れない。

実を言えばもう興味は南に見える蟻城に向いていた為、お絵かきすらしなかったという(汗
申し訳ないのだが、やはり変に公園化されていると興味が薄れてしまうようだ。
公園化以前からかも知れないが車道が出来て遺構が壊れている節もあったので。

訪問後、皆さんが花岡城遠景を撮影しているにも関わらず、興味はこの山猫ちゃんに。
長野県を走る山猫ちゃん(安曇幹線)は初めて見るが、埼玉の山猫ちゃんとちょっと形状が違う。
こちらのネコちゃんの方が信州の厳しい冬を乗り越えるべく、表情が険しく見える。
やはり見慣れた埼玉県の山猫の方が自分好みなのである。
- 2013/04/05(金) 01:00:19|
- 城館探訪の事(長野県)
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