この所、カーナビ導入を検討していたのだが、当サイトで扱っている城館跡はどうしてもカーナビの案内とは相性が悪いように思えてならない。
というのも山城だと山頂付近を指す事が多く、また館跡であるとその多くが民家になっている事が多いのである。
これらの城館をナビで案内させると、どうしても「目的地付近です、音声案内を終了します」といきなり案内を終了させられてしまうのが個人的には少々残念。
それはいいとして、今カーナビ(ポータブルナビ)を持っている人にも楽に城館跡へ行く案内ができるかを考慮していたら、一部のナビには「緯度経度」で目的地を指定する機能があるようだ。
おお、これならずっと見ていると目が痛い液晶画面を見続けなくても、城館所在地へのらくらくアクセスが可能になりそうだ。
(実は当方、目を少々弱くしていて液晶画面を見続けると目が痛くてしょうがないのである)
ただ、問題は緯度経度がどれだけの桁数入力になってしまうか、またナビにワンタッチで入力できる機能があまり出回っていないというところか。
このブログの一部にあるようにバーコード入力が連動できればいいのだが、今現在ではそこまでできるナビは見つかっていない(あるのかも知れないが・・・)
カーナビの「ジャンル検索」に「中世城館跡」というのが無い以上、こちらの緯度経度を楽に入力できるようになって欲しいと思う儀一であった。
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- 2010/04/30(金) 05:57:56|
- ふと思う事
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ここ数日我が休日が天候不順だった為、今月の始めにやってきた我が車にまだ城館の初陣をさせていなかったりする。
そろそろ城館探訪するのに今の車がどれほど適しているかを身をもって体験したくなってきた。
今日はどうやら天候がやや回復しそうな予報なので、早速出撃する事にした。
ところが!!
・・・雨が降ってきた。
仕方ないから図書館にでも行って群馬県の城館跡の資料でも調べる事にした。
ある市の図書館に行ってみたが、休日にも関わらず車が停められたので幸運だった。
予報を裏切る雨の中、図書館の資料を漁る。
当たり前だが、群馬県の城館跡の情報は当然埼玉県の図書館では調べるのに限度がある。
なので宙ぶらりんになっていた城館所在地のマーキングをしていた。
図書館に籠もって4時間ほどいつの間にか過ぎていた。
あれ?いつの間にか外が晴れていた。
いかん、もう午後のいい時間になってしまっているが、いまから城館探訪をしよう!
まだまだマーキング作業は終わっていないが、図書館を後にして初陣先に決めていたあの城へ向かったのだった。
つづく
- 2010/04/29(木) 20:58:13|
- その他の事
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当方、今の仕事柄もあるが、元々テレビは見ない方である。
そんな自分でも見ていた番組にテレビ東京の「TVチャンピオン」なる番組があった。
知らない方に大筋を説明すると、趣味や仕事など一流の知識と技術を持った参加者が、
その道のライバルたちと競い、チャンピオンの栄光をつかむ番組である。
実は気になっている事は、そのTVチャンピオンで「城郭王選手権」というのがあったのかである。
もちろん城郭の事を全国的に知り尽くした者達の、知識の競い合いになりそうな予感。
例えば「縄張り図早押しクイズ」なんて当然ありそう。
また、写真の山を見て何処の何と言う城で、どんな経歴を持つ城かを答えるなどなど。
基本的に知識の量によって勝敗が決まりそうな感じである。
そして、チャンピオン決定戦は、ずばりケバ図の作成勝負、速さはもちろん正確さも要求される・・・とか。
でも、明らかに一般受けしなそうな予感・・・。
番組が終わったところを見ると、ネタが無くなったのだろう。
っというのがふと思った事であった。
続きを読む
- 2010/04/27(火) 06:35:40|
- ふと思う事
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最近は仕事の日に限って晴れる事が多い。
久々に青空の下、城館遺構で戯れたいと思う事が多い。
夜勤をやっているので、終業時間は朝。
最近は明るくなるのが本当に早くなってきた。
っと思ったら、窓から差し込むのは真っ赤に染まったサンライズ。
あまりにも見事な赤なので、つい見とれてしまったりも。
- 2010/04/25(日) 06:49:47|
- その他の事
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今日は晴れていれば城館探訪する予定であったが、雨なので家で系図作りに勤しんだ。
今回挑戦したのは、あの藤原氏の系図である。
藤原鎌足から始まって・・・不比等・・・京家、北家、南家、式家と分かれて・・・
っと見ていく内に恐ろしい程の大人数になっていた。
この調子で増えていったら、日本人全員が藤原ファミリーなんでないかと思う位に。
途方もない上に城館と関連が薄いので、本家本元は保留。
代わりに関東に関連ある藤原秀郷流の系図を作成してみる事に。
今回使ったソフトはword2003で主要参考文献は「大間々町誌 通史編 上巻」である。

こんな感じに仕上がった。
名前を入力し、オートシェイプで線引きするだけで、わりと立派な系図が完成。
プリントしてみたら、この半分の文字サイズでいけそうである。
欲を言えばもう少し行間隔を狭められれば良かったかな。
この調子で武蔵七党の系図も挑戦してみたいものである。
- 2010/04/22(木) 15:58:50|
- その他の事
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充実した東毛の城館跡を堪能する本日の探訪もいよいよ最終地になる。
大胡城をリストに入れられなかったのは残念だったが、後日やってくる新車に再訪の役を譲る事にする。
最終地に選んだ場所は旧赤堀村にある、あの赤堀城である。
●赤堀城(群馬県伊勢崎市)

上毛電鉄膳駅の脇を通過し、南下するだけで赤堀城に着く事ができる。
だが、ここは地元車の抜け道らしく、群馬ナンバーの車に何度も煽られる羽目に・・・。
折角いい所に住んでいるのだから、もう少しゆったり走って欲しい所である。
ここも数年ぶりなので、駐車場所を忘れた。
確か路上駐車したと思ったので、今回も道幅のある場所(運良く駐車禁止区位置でなかった)に車を停め、城館探訪に赴く。

近くの交差点には赤堀氏に関わる事を記した石版がある。
交通量がやや多い所なので落ち着かないが、赤堀城を楽しむ上でここで予備知識を入れておく。

民家の間の道を抜けていくと結構広い赤堀城の堀跡を見る事ができる。
この城は東に鏑木川、西に粕川に挟まれた場所で、
南は両川の合流地点という事もあって北のこの場所に堀を築く事により、
理想的な防衛ラインを構築するに至っている。

鬼門の方角である北東には折をつけた土塁が構築されている。
(写真は折を外側から撮影している)
こういう城館遺構を見るだけで、城主がいかなる性格の持ち主なのかが分かるのが城館探訪の楽しみでもある。

赤堀城の折の付いた土塁の脇は切り崩されている。
その切り崩された付近に最初の写真にある案内板とこの碑が設置されている。
他に付近に石造物もあり。

それにしてもデカい土塁である。
もうよじ登る気もなかったが、この天晴れな土塁を見れたので満足なり。

本曲輪の現状は見事な耕地になっている。
以前訪れた時は早朝の朝6時で、すでに畑の持ち主の方が畑仕事に精を出してらしたのが印象であった。
流石に今回は日没前なのでいらっしゃらないご様子。

それにしても見事な堀の幅である。
前回は土塁の大きさにばかり圧倒されていたが、今回は土塁と併せて作られた堀にも注目してしまった。
考えを変えればそれだけ我が視点が変わって来たという事であろう。
かくして本日の城館探訪の日程を全て終える事ができた。
夕刻は交通渋滞があるので、日暮れと共に仮眠するのが我が流儀であったりする。
そして帰宅ラッシュの終わった頃に、空いてる道路を疾走して帰るという訳である。
城館探訪でこの車に仮眠するのは今回が最後で、しっかりと睡眠を取る事ができた。
それにしても群馬の城館跡は案内が多く、城館探訪初心者にも安心できる城が多いのがいい。
今回訪れた城はそのごく僅かなので、またあの群馬の城館跡に訪れたいという欲が沸いてくる。
最後に十数年もの間、城館探訪ならびに日常でお世話になった愛車に改めて御礼を言いたい。
まだまだ心残りがあるが、今まで本当にありがとう!!
おわり
- 2010/04/19(月) 08:44:41|
- 城館探訪の事(群馬県)
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そろそろ今日の城館探訪も佳境に差し掛かってきた。
膳城を出て西に向かい、あの思い入れのある大胡城を本日最後の城にしようかと考えていた。
ところが、大胡城へ向かう途中で見つけてしまったのだ。
「 中村城跡 → 」と書かれた錆び付いた小さな案内を!!
●中村城(群馬県前橋市)

あの錆かかっていた案内に何の魔力があったのか知らないが、それに導かれるようにこの城に来てしまった。
県道沿いにはしっかり曲がり口を示してくれていたが、その後の案内は見当たらない・・・。
ふむ、これは今までの城館探訪で培った勘で場所を当てるしかない!!
これも凄い事で「あの辺りかな?っと思った場所に行ってみたらこの解説板を発見。
ふむう、この城にはなにかありそうだ。

やや埋もれてしまっているが、水堀が公道より見る事ができる。
大概の館跡は堀を埋め立てて公道を作る事が多いが、この城は堀を残す形で道が作られていた為に残っていた。
流石にこれだけ水が見える堀だとズブズブと埋もれる可能性が高いので、今回は突っ込まず観察でガマン。

折角なので我が車と堀沿いに植えられた桜とのツーショット。
ああ、まるでこの桜が「今までお疲れ様でした」と言っているように感じてしまうのは自分だけか?
他の城館跡の桜はまだであったが、ここの桜だけは七分咲きぐらいであった。
これもあの小さな案内板の起こした奇跡であろうか。

桜の植えられている辺りは土橋状になっており、その先には使われなくなって久しい(虎口?)がある。
その先には民家があるが、幸い藪が視界を遮ってくれているので、虎口っぽい地形がクッキリと見える。

そのまま北側をぐるりとしてみると東部の怪しい地形が見えてきた。
これが中村城の東側の備えであろう。
写真の内側は児童公園になっているようだったが、公園に入るのを忘れていた(汗
南側は宅地化されており、遺構は喪失しているようである。

城の北東付近にはかって武田軍によって落城した際に奮闘したという姫の供養塔が建っている。
石碑には「姫塚」と書かれ、裏面に城と運命を共にした姫の悲劇を書いてある。
恐らく地主の方であろうか?塚の周辺を綺麗に掃き清め、新しい花を生けてあった。

姫塚を全体的に見たら、そこにも桜が元気よく咲いているように見えた。
今日城館探訪をしてきた中で、この中村城の桜だけは非常によく咲いていたのも不思議な縁である。
他の桜に先駆けて花を咲かすその姿に、かっての姫の勇姿が重なって見えるのもまた不思議。
それにしても飛び入りでメニューに追加された中村城。
そんな中村城に我が愛車が最も労いの桜を見せてもらうとは思いもしなかった。
なお、その北にも月田館という館跡もあったそうなのでちょっと回ったが、宅地化されて見つける事が出来なかった。
やはり遺構が残されているというのがどれだけ強いのかを見せ付けられたのであった。
さて・・・今更だが大胡城に向かおうか?
いや、道路が渋滞しているので、大胡城に着く頃には夕闇に包まれているだろう。
これまた予定を変更して、本日最後の訪問先をあの城にするべく移動を開始した。
つづく
- 2010/04/18(日) 07:54:14|
- 城館探訪の事(群馬県)
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山上城を後にして南南西へ約600mの近距離に膳城がある。
行政区分は桐生市(山上城)から前橋市(膳城)と変わるので、
僅か600mほどの距離であっても凄い移動したような錯覚があったりする。
(元の新里村と粕川村は同じ勢多郡であった)
個人的には山上城と膳城はいつもセットにして訪れる。
●膳城(群馬県前橋市)

本当に近距離なのはありがたいが、考えてみたら車の駐車場ってあったか忘れていた。
お陰でこの道を2度も通過する羽目になってしまった。

仕方なく本曲輪から北西方向にある粕川歴史民俗資料館付近に駐車する事にした。
今回ここも入ろうかと思っていたが、残念ながら閉館時間である4時を過ぎていた為に断念。

そもそも今日(四月一日)時点ではここは開いてなかったようだ。
日が日だけにエイプリルフールでない事を願う(笑

それにしても公道を堂々と歩きながら堀などの城郭遺構が見れるのは実に嬉しいもの。
とはいえこの公道も城の遺構を破壊して作られている為、それを考えると微妙な按配に・・・。

本曲輪は先の公道から入ってすぐの所にある。
半ば公園化されているような場所なので、気軽に尋ねる事ができるのがいいかも知れない。

ついでにしっかりと解説板(縄張り図付き)まで設置されており、資料を忘れても安心?
甲斐武田氏による「膳城素肌攻め」についてチョコっと書かれている。

膳城内はかなり遺構の保存状態が良く、写真を撮るのにはもの凄く助かっている。
おかげで先の山上城とこの膳城では各200枚程の写真を激写してしまった。
デジカメのメモリーを多めにしておいた恩恵がこんな所で得られるとは。

この城も案内設備は充実しており、一応この案内に従って動けばその場所にいけるようになっている。

城内には石塔まで付いている。
おそらくは五輪塔・・・とは思うが、こういう石造物に関しては守備範囲外なので分からず。
移設しているかも知れないが、ここにずっとあったとすれば、膳城落城の際の供養塔になるのだろうか?

なお、粕川歴史民俗資料館と道路を挟んで前橋市文化財管理センターがあり、その構内にも堀がある。
本曲輪付近に比べて浅い堀なので微妙な按配だが、その配置から見ても膳城の遺構なのだろう。
そろそろ日暮れの時間が迫ってきた。
後1時間半ぐらいが限度というところだろう。
次がこの十年以上連れ添ってきた愛車の最後の城館探訪先になる場所になる。
目標をあの城に設定し、車を走らすのであった。
つづく
- 2010/04/17(土) 06:53:27|
- 城館探訪の事(群馬県)
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もう2週間以上前の話になってしまっているが、続きである。
旧大間々町の高津戸城を後にし、図書館で資料をコピーしてしまった。
思ったより良い資料が手に入ったので、至極満足であったりする。
そのまま西に上毛電鉄沿いに進む事になる。
前に何度か話している事だが、個人的に赤城山山麓の城館跡は好きである。
地形的に北は赤城山、南は広大な関東平野が広がっているという風景だからだろうか?
●山上城(群馬県桐生市)

元勢多郡新里村山上にある城で、現在は桐生市に合併をしている。
今日のスタートが桐生市だっただけに、桐生市って広くなったものだと歓心する。
久々の訪問であるが・・・あれ?こんな施設はあったっけか?
以前に訪れたときにはすでに公園化されてはいたが、この建物の存在はすっかり頭から抜けていた。
なお、ご城内は駐車場および公衆トイレ完備で、一般の方はもちろん城館探訪する方にも優しい城である。

今回山上城を訪れた中で一番印象のある建造物。
一般的な「城」のイメージが西洋の城であるという事を改めて認識できる。

城内は半分以上が公園化されているので、夏場でも藪の心配なく訪れる事のできる城である。
ただ、薮蚊の存在があるので、あまり安心できないのだが・・・。

城の知識がない方にも安心の案内も設置されている。
ただ、「 城の知識がない = 城に興味がない 」の可能性もあるので、
知識が無いけど興味のある城館初心者さん向けであると言えそうだ。

実は城の北が公園設備が不十分な為、かなりド派手な遺構が残されている。
普段消えかかっている堀や土塁しか見ない身としては、とっても目の保養となりますです。
前回訪れた時にはこちらの調査を忘れた為に、今回幾つも取り巻く堀と土塁をじっくり堪能する。

周囲を確認した後、ようやく本曲輪に到着。
北寄りに石碑が建てられており、一緒に記念撮影はしないものの、思わずニッコリする設備である。

ほぼ蕾の桜の木にも、一部咲いている花を発見。
あと1~2週間もすれば満開になるのだろう。

今日はうす曇であったが、三の丸の広場では子供たちが元気に遊んでいた。
保護者と思われる中年男性が座っていた石には、この城の縄張り図が立体的に掘られていた。
やや簡略化されているが、本曲輪を守るように効果的に土塁と堀を配置しており、なかなかの城である。

トイレで用を済ませ、山上城を後にした。
振り返るとそれほど標高も高い山ではないが、あの遺構をみればここも堅城であると理解できる。
さて、日没までまだまだ時間がある。
今は亡き愛車と共に次なる城館跡を目指すのであった。
つづく
- 2010/04/16(金) 06:47:01|
- 城館探訪の事(群馬県)
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実は本日お休みだったりしたが、天気は雨。
せっかく晴れていたら、新車の初陣を行う予定だっただけに残念。
初陣予定場所は山城なので、雨の日には行きたくないというのが本音であったりする。
さて話が変わり、この所この新車君にナビゲーションシステムを搭載しようか考えている。
先日カー用品専門店を訪れ、手当たり次第パンフレットを拝借してきた。
読んでみてはいるが、自動車同様ナビもかなり進歩してきている様子。
本音を言えば城館跡の所在地を全てナビに搭載して、「近くの城館跡を探す」なんてあったらたまらない・・・。
所在地のデータをナビにインプットするのが大変な仕事だが、城館探訪者としてこれほど欲しいナビ機能はない。
欲を言えば城館跡のデータ(縄張り図など)も表示されれば、はっきり言って20万円のナビでも高いと感じられなくなってしまう(笑
あ、ついでに簡易データ出力装置として小型プリンターまで付いたら、家で資料をまとめる手間が省けて城館探訪がより楽しくなる事請け合いだ。
(すでにナビの領域を超えてはいるが・・・)
自分の妄想はそのくらいにして、最近はHDD内臓のナビが主流になっているようだが、自動車に搭載するには振動と高温というHDDには適さない環境のような気がしてならない。(今の店頭価格も結構な値になっているし)
となると、データの容量や表示速度が劣ってもメモリーカード式のナビの方が自動車内の装備としては適切なのかも知れない。
どうせナビに挿したままにしておくメモリーカードなら、SDカードみたいに小さくなくても良いからやや大きくてデータ容量のある記憶媒体にして欲しいと思ったりする。
正直、個人的にはSDカードぐらいのサイズになるとコンパクト性より紛失率の方が大きく、あまりメリットを感じられないからである。
色々と考えがあるが、もうしばらく情報収集に努め、城館探訪に適したナビがあったら買ってもいいかもって状態である。
- 2010/04/15(木) 05:49:25|
- その他の事
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今の職場の上司の上司(ややこしいな)が城好きだったと判明。
ふむう・・・思った以上に城好きという人はいるのだな。
恐らくは近世城郭と呼ばれる天主(建物)のある城であると思うが・・・。
その上司の上司は時々しか会わないので、実際話をした事が少ない。
今度こちらが城館好きである事を伝えておくよと上司に言われてしまった。
どんな話をふっかけられるのか?興味もあり怖くもありという所である。
続きを読む
- 2010/04/14(水) 05:22:10|
- お付き合いの事
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自分同様、城館跡を訪ねられている方々がいらっしゃるが、みんなどの様な点で城館探訪に惹かれたのだろうとふと考えていた。
これは十人十色でみんな違うと思うが、自分の始めたきっかけというのをサイトのページに加えてみるのもいいかと思った。

自分が最初に中世城郭として認識して訪れた場所は、ずばり寄居町の鉢形城である。
今から8年前の冬、北風と木の葉の舞う日にどういう動機で訪れたかは忘れたが、この城を訪れた。
この日は確かに風が強く、とても散歩気分になれる日ではなかった。
自分も風に吹かれ寒いと思っていた記憶がある。
しかし、自分の持っていた鍵と合う鍵穴が中世城館にあったのは確かだった。
荒川沿いにそそり立つ断崖上にその城を見た日から何かが変わった。
それからというもの、中世城館を訪ね歩く日を(ちょっとペースが落ちているが)続けている。
更に方向性が遺構の乏しい館跡や砦跡などに移ると、情報の乏しさからあらゆる手掛かりを求めるようになっていった。
鉢形城と出会うまでには考えられなかった自分の変化である。
元々出歩く事が好きであった事に加えて、城館跡から見える景色が自分を惹かれさせたのだと思う。
それに加えて城館跡の聞き込みからふれあう地元の人々の暖かさ。
かってそれほど調べられていなかった事に対する、自分自身の好奇心の刺激。
何より、400年以上も残り続けている城館遺構を目の当たりにする奇跡が訪れる動機を作ったのだと思う。
この分だと以前ほどのペースでないにしても城館跡を訪れるのだろう。
自分でもこの先どれほど城館跡について調べられるか?楽しみだったりする。
- 2010/04/13(火) 05:12:45|
- このサイトについての事
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最近昼間に動く事が多くなって、夜勤している身としてはかなり辛い所。
今日も終業後、車内にて仮眠し、銀行の開く9時まで待機。
軽食を買ったコンビニ駐車場にて長距離トラックに混じっての仮眠である。
それにしてもみんなエンジンを切らずにお休みの様子、ある意味大気汚染が心配ですな。
かくして用事を無事済ませ、帰宅。
仕事の内容も最近多くなってきているが、踏ん張っていこうと思うのであった。
- 2010/04/12(月) 13:16:32|
- その他の事
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ちょっと気分がいいので、朝から車でドライブする。
毛呂山町に入った辺りで毛呂山総合公園になってしまったという宿谷氏の「西の前館」を訪ねてみる事にしてしまった。
桜が開花した日曜という事もあってか、朝の6時から多くの人々が訪れていた。
背後の山に「馬場跡」があったというが・・・この自然地形の丘陵が馬場跡だったのか?
深くにまで入らなかったので不明。
それ以上に哀愁を誘うのが安曇幹線の撤去の模様である。
すでに新所沢変電所から田波目城南付近までの安曇幹線は全て撤去されてしまっている。
ここも架線は外され、撤去作業しやすいように木が伐採されている。
電線の張ってない猫耳鉄塔(正式名烏帽子形鉄塔)はじっとその場で解体の時を待っていた。
話を戻って、この西の前館は資料を持ってきていなかったので、後日再び訪れる事としよう。
続きを読む
- 2010/04/11(日) 13:05:00|
- 城館探訪の事(埼玉県)
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桐生市を後にして車は山沿いに西に走る。
渡良瀬川の川沿いには幾つかの城館跡があったのだが、今回はパスして目的地に直行。
次なる目的地は現在みどり市になっている旧大間々町の高津戸城である。
●高津戸城(群馬県みどり市)

渡良瀬川の急流が洗う絶壁上にそびえる山城で、個人的には結構好きな城であったりする。
とはいえ実は今回が2回目なので、じっくりとその遺構を堪能したい。

実はこの三の曲輪までは自動車で乗り入れ自由であったりする。
かってここにあったという堀切が埋没させられてしまっているのが残念なので、
いつか復元して欲しい所でもある。

駐車場にある展望台からはかっての大間々町市街地が渡良瀬川越しに一望できる。
今回は天気がイマイチなのが残念であったが、それでもよく見えている方だと思う。

川底めがけて掘りぬかれたこの竪堀は見ごたえあったり。
今ではだいぶ緩くなっているが、当時はかなり鋭く掘られていたのだろう。

本曲輪にある要害神社。
この「要害」って名前がいかにも城館探訪者へのご利益がありそうな名前でよい。
今後の探訪を祈願してお参りをしてきた。

城内はそこそこ歩道が整備されており、一般の方々もチラリチラリと居られた。
平場が段々状に見えるこの角度もなかなか(木が邪魔して見づらいのだが・・・)

本曲輪の東には古井戸跡(水の手)と思われる場所がある。
案内板が付いてはいたが、表面が風化しており解読不明だった。

実は本曲輪から北は未だ見ていなかったのである。
北には緩やかな尾根が続いており、それを防御すべく3回も掘られた堀切がある。
公園化されたためにユルユルの上に土橋まで設置されていた。
できれば原型を留めていてほしかったのだが・・・。

こんな感じでじっくりと遺構を観察させていただいた。
やはり城館跡は2度3度訪問するごとに良い部分が見えてくるので嬉しい。
そのご旧大間々町立図書館へ向かい資料集めをしてしまったのであった。
つづく
- 2010/04/10(土) 22:17:33|
- 城館探訪の事(群馬県)
-
-
昨晩は仕事が休みだったので、家族そろって夜桜を見るためにドライブ。
それと同じく先日届いた新車の性能も試す絶好の機会に。
桜が咲いているスポットはいくつかあったが、流石に平日の夜ゆえか花見をしている人がまばら。
天気は悪くないのだが、確かに肌寒いので飲みをやる気分ではないかも知れないなっと。
そんなこんなでゆったりと走って帰宅する。
初めての大人数ではあったが、それほど窮屈な感じでなかったのは良かった。
あとは来たる城館探訪にどれ程の力を発揮できるかである。
- 2010/04/09(金) 22:11:31|
- その他の事
-
-
仕事の合間に城館探訪の他にゲームをする事がある。(そんなに多くはないが・・・)
今回は私がどんなゲームをやっているのかを見てみよう。
今回はフリーソフトの「戦国史」というゲーム。 →
公式サイト

このゲームの凄いところは、エディタ機能を使う事により自由にシナリオ作成できるという事に尽きます。
数年前に、ものの試しに我らが埼玉県の城館データをそこそこ入力し、「武蔵争乱記」という仮想シナリオを作ってみました。
城の情報から登場する人物の設定などができるのだが、城館の石高や人物の能力などが設定が大変であったり(汗
・・・シナリオを作り終え、いざ動かしてみたら・・・フリーズした・・・。
今のPCならなんとか動きそうな感じもするが、あれ以来再度作る気力が失せ、データを消してしまったのであった。
良い点としては各地の城館を見直し、勉強できた事であろうか。
なお、ゲーム自体をプレイしたら・・・従属させられた挙句、各地の戦場に連れ回され自国の政治がまったくできません(笑
大勢力の前に土豪衆がどれほど無力であったのかを体験できる良いゲームでございました。
- 2010/04/08(木) 09:05:16|
- その他の事
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先の茂倉があまりにも遺構が無さ過ぎた上に、かなりの体力を消耗してしまった。
最近山城もロクにいっていないツケが来ているのかも知れない・・・。
そんな事で今度こそ遺構がある場所へ向かった。
●梅原館(群馬県桐生市)

手抜きで解説板で現地の情報を提供(汗
実を言えばここは初めて来る所なので所在地までグルグルと迷走しておりました・・・。

日差しもうす雲から出てきた中、風も確実に春を告げる暖かさを持っていた。
現在、薬師堂のある周辺を見渡すと・・・

うーん、いい土塁。
堀もあればパーフェクトであったが、ここまで市街地化されていて土塁が残っているのだから贅沢は言えない。

薬師堂の裏は墓地になっており、土塁もそこまで続いている。
なお土塁上には立派な宝篋印塔まで建てられていた。

薬師堂の東側は民家を挟み小川が流れている。
この比高差を見るだけで、いい気分になってしまう。
いつも柄杓山城に直行してしまい、毎回スルーしていた梅原館。
本当は近くの物見山や岡平城推定地にも訪れたかったが、今回はパス。
また改めて桐生市の城館跡を探索してみたいものである。
つづく
- 2010/04/07(水) 01:02:01|
- 城館探訪の事(群馬県)
-
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今まで十年以上自分と各地の城館を回ってくれた戦友(自家用車)を、ついに廃車として出した。
思えば色々と悪路を走ったりしたので、ボディは傷だらけ。
でも、これは自分から見ると名誉の負傷にも思えてくる。
また、24時間通しで走り抜けるというトンでもない事もやってのけてくれた車だ。
こうして書いていると、色々と思い出がこみ上げてくる。
いままでどうもありがとう!!
そして初めまして、我が新しい愛車。
これから(十年以上)お世話になります。
- 2010/04/06(火) 12:33:29|
- その他の事
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前回の桐生柄杓山城が素晴らしかったので、今度はその周辺の砦を見てみたくなってきた。
そこで選んだのは・・・「桐生市埋蔵文化財マップ(H6、3,31)」に掲載されている「茂倉2」の場所である。
ああ、今日はメジャーな路線で行くはずなのに、思い切り脱線してしまう。
●(仮)茂倉砦(群馬県桐生市)

浄水場のある辺りまで来ると・・・立派な登山道が整備されていた。
その内容は・・・

ずばりこれだった。
これは確率的に遺構が(在ったとしても)破壊されている確立が高まってしまった。
それでも現地に行ってみた・・・

案の定、山頂に所狭しと放送設備が建っていた。
ここまで車道などは一切無かったので、ヘリコプターを使ってこれらを持ち上げたのか?

南北に伸びた尾根上に堀切を期待してみたが・・・見た感じないようだ。
丁度この放送設備への電力供給の為、木が伐採されて見通しが良くなっていた。

丁度テレビの放送設備が作られていたお陰で、北側の見通しがたいへん良くなっていた。
桐生柄杓山城からもこの方面は見えるようだが、それを補う形でここも使われていたのかと勝手に想像してみたり。

なおこの写真の中央やや下の山が、ここの次に行こうかと考えていた「塩ノ瀬4」。
ほぼここと同じぐらいの標高があるので、かなり萎えてきた。
そんな事でやっと我に返り、然るべき目的地へ行く事にした。
でも「まがい地」って本当に魅力的だ。
つづく
- 2010/04/05(月) 12:05:45|
- 城館探訪の事(群馬県)
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今日は仕事の合間ながら付き合いで花見に参加する事となった。
それにしても・・・曇っていて寒い。
皆さんはともかく、こちらは今夜に仕事をしているので、
普通の生活をしている人の感覚で言えば、深夜に花見をやっているような状態。
ゆえにこちらは素晴らしい眠気に襲われております・・・。
1時間程で辞退し、寝る事にした。
これは寝不足を免れぬ状態なり。
- 2010/04/04(日) 11:54:50|
- お付き合いの事
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以前の当サイトの雛形ファイルが発見された。
今から7年前にこんな形にしようかと思案を重ねていたもので、web上では初公開となる。
現在の「儀一の城館旅」に比べて、結構トップ画像がシンプルだ。
ちなみにアイコンもわざわざ手づくりで作られているので、わりと凝っている。
- 2010/04/03(土) 00:56:56|
- このサイトについての事
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今月でこれまで十数年乗ってきた我が愛車を廃車にする事になった。
これまで我が無謀な運転に耐え、城館探訪してきてくれた車に思い出の城館跡を巡る事にした。
●桐生柄杓山城(群馬県桐生市)

この城に訪問するのは実に数年ぶり。
たしか季節は夏の雨後だったので、本曲輪に訪問しての終わりであったが、よく二の曲輪の北側の尾根筋を辿ってみると・・・

横矢掛けや囮曲輪などを数箇所に配置した絶妙な遺構がそこにあった。
今までは遊歩道として整備されている所のみを見ていたので侮っていたが、
ここの構造を見れば見るほど凝っている。
おかげさまで当地に3時間も篭城してしまったのであった。
一般の方々にも見てもらいたい位、大変良い遺構ではあったが、
あの遊歩道の作りを見ても遺構を削って歩道にする可能性大なので、このままが良いのかも知れない。
なお桜もこの城に植えてあるのだが、時期が早くまだ蕾の状態であった。
つづく
- 2010/04/02(金) 01:29:39|
- 城館探訪の事(栃木県)
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前のブログが何故か書き込みできなくなって早2ヶ月半・・・。
いつまでも更新されないブログをリンクしていてもしょうがないので、新たなるブログを開設するに至った。
そんな事で記憶が正しければ通算6号目の日記(ブログ含む)になる。
どうもブログというのとは相性が良くないのだが、できる限り更新できればと思う。
それからこちらの趣味も、城館跡に限らず問題ない程度に、触れていこうかと思うが・・・
まあ、やってみよう。
以前のブログ →
赤服の日記帳
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- 2010/04/01(木) 23:49:38|
- このサイトについての事
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