この所残業が続く上、新人様の教育も並行してやっている為、
城館探訪の報告が遅れ気味になっている。
ブログって勢いで数を書かないと書けないものだ。
さて、明日から六月。
仕事の量も更に増えて、しっかり働ける。
それはいいにしてもどうなるんだかな?
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- 2010/05/31(月) 07:37:23|
- その他の事
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先日アップした北本市の城館跡で、訪問してなかった大宮館へ。

もちろん遠望写真を撮るべく、荒川対岸より撮影。
それにしても空が広く感じられる。
他の地域も捨てがたいが、やはり埼玉が好きだ。

この辺りが大宮台地で一番標高が高いらしいのだが・・・
土手の上から見てしまうとそうでもなくなってしまう。
「大宮台地で一番高いところにある大宮館」
ある意味分かり易いかも(笑
っと他にも数軒調査をしてきたが、それは後日の城館リストにて紹介する事に。
そういえば小山市の城館跡の報告がまだ終わっていなかったな・・・。
- 2010/05/27(木) 21:15:11|
- 城館探訪の事(埼玉県)
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前々から下書き状態で塩漬け状態だった北本市の城館リストがアップできた。
個人的には「埼玉の万里の長城」と思っているJR高崎線沿線。
この地域の交通渋滞はまるで異民族を退ける万里の長城のように
埼玉県の東西の交通の妨げをするからだ。
だが、そんな交通渋滞の激しい地域でも、中世期の歴史はある。
まだ塩漬け状態になっている「鴻巣」「桶川」「上尾」「伊奈」の各市町村も
下書き状態で放置中。
実はアップするのに資料がまだ不足しているのである。
まだまだやる事はある・・・。
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- 2010/05/20(木) 06:39:18|
- このサイトについての事
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今日は仕事を有休で休んで3ヶ月も前から予約していた眼科へ。
1時間待たされた上、ようやく視力検査からスタート。
自分としては三ヶ月前に比べて視力が落ちたようにも感じたが、
検査の結果それほどではなかったようだ。
そして受診を受けてみる。
これまで数回の受診により、ほぼ病名が判明してしまった。
「良くって現状維持」・・・結構厳しい現実を見せ付けられてしまっているな。
ひとまず状態が安定しているとの事で、町の眼科医への紹介状を書いてもらい、本日は終了。
帰りに焼きたてパン屋でフランスパンを丸かじりして、
そして数週間前から検討しているカーナビの下調べにカー用品店へ。
改めて地図を拡大すると某地図サイトの様に、建物の形状や番地までしっかり表示されるのを確認。
欲しいヴァージョンを決めて、それより新しいのが出て値下がりする所を購入する作戦へ。
できたら「展示品値引き」が一番望ましいが、少々厳しいか。
久々の2連休の初日、いつも週1日の休みだからとっても長い休みに思えてしまう。
やり残している事が多いので、少しでも片付けたい所。
続きを読む
- 2010/05/19(水) 21:20:57|
- その他の事
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最近仕事で残業しまくりだったりする。
まあ城館探訪をすると経費がかかるので残業も歓迎なのだが、代わりに家で資料を見たり、サイト更新の時間が結構減っている。
それでも先日の城館探訪の記録をこのブログに書き連ねているが・・・以前のブログは管理モードにアクセスできなくなったりしてかなり不安。
あと、ログ(記事)のダウンロードをしていても画像が連動していないので、画像付きでお引越しは容易にできないという。
うーん、最近の事を書いていたら、いつの間にか思った事に変わってしまった。
見ている人は少ないと思うが、前回の城館探訪も順次書き連ねていく予定。
もうブログって個人的な城館関連の忘備録を兼ねているような感じ。
って事で今日もまた仕事なのでこれでご就寝。
- 2010/05/18(火) 10:56:22|
- その他の事
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野木町史に掲載されていた城館跡4箇所を訪問し終え、いよいよ今回の探訪の大部分を占める小山市に突入する。
市の面積がやや広いため、車での城館探訪でなければ1日で回る事は難しそうだ。
早速今の所在地から最も近い小谷(こや)城へ赴く。
●小谷城(栃木県小山市)

小山市の城館跡で最南に位置するのがこの小谷城。
恐らく名称も武士が寝泊りする「小屋」が転じて名づけられたと安易に分かる。
この辺りはかって思川が蛇行して流れていた場所だけに、その川の流れを利用した遺構が楽しめる。
早速歩いてみよう。

早速お出迎えしてくれたのは県道沿いにある石碑。
むむ、ここの様な城にもこれだけ立派な石碑が建っていようとは・・・。
埼玉県内だったらこの待遇は厳しいだろうと思う。

先の写真もそうだったが、水田地帯のこの辺りにしては写真奥の地形の高まりはかなりそそられる。
これだけ地形が高ければ多少の水害だったら飲み込まれる事もなかっただろう。
周辺の沼地などを考慮すると、かなり自然の地形を利用した・・・いわば「低コストで築かれた要害」であったと言える。

更に探索を進めると、城の中央付近に鎮座する神明社がある。
先の石碑の後にもそういえば神明社があったが、城を守り続けているのか。

その神明社の北にはかっての思川の河川跡を利用して作られた水田があった。
おそらく手前の砂利道も以前は沼地だった事を踏まえると結構な幅になる。
自然の地形ではあるが、こういう場所を見つけると嬉しくなる。

城の北東側に立って城の方面を望む。
T字路の先が少々地形的に高まりを見せている。
明確な遺構でないにしても、こういう遺構の範囲がなんとなく分かるのが個人的にお好み。
東側は旧河川道によって湿地帯となっており、現代もその堅固な様相を見せてくれている。
今回の城館探訪、初訪問の所ばかりになるのだが、実にいい。
やはり田植えの時期の爽やかな風に吹かれながらの城館探訪は楽しい。
一通り周辺を見渡した後、小谷城を後にした。
つづく
- 2010/05/16(日) 10:22:27|
- 城館探訪の事(栃木県)
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法音寺城は比較的(多少埋もれているが)良い堀を残していた。
近くにありながらそれと対照的に遺構が不明な逆川城へ向かった。
●逆川城(栃木県下都賀郡野木町)

別名「友沼城」ともいう。
ここもまた思川岸に作られたと思われる城だが、その遺構は不明瞭。

この忠魂碑の辺りで板碑が多く出たらしく、この辺りを歩いてみるのが手か。
ここより南は低地になっているので、北側の小高いところを歩いてみよう。

っと歩いてみたが、これは少々厳しい保存状態だ。
若干高まりになっている程度で、「おおよそこの辺りか」程度の推測しかできない。

城跡から見る今日の太陽は、一段とボンヤリしている。
今日はこんな天気の中城館探訪するのかなっと思いつつ、踏査をしていく。

城の北側にあたる部分で、少々谷が切り込んできているのが少々好感あり。
でも城の遺構と呼べるようなものでないような・・・。

諦めて城を後にしたとき、城の南にある逆川の河川設備のフェンスに城に関わる案内板が。
今のところ訪れている4箇所で最も遺構が不明確なこの城にだけ備わっている案内板、このアンバランスさがいいのかも知れない。
(他の城にも案内板があったかも知れないが、今回は当方発見できず)
遺構の保存度を優先する方々には多分不満が残る野木町。
でも個人的には好きな遺構が多くあったように思える。
それにしてもこの逆川城の遺構が不明瞭なのは想像をかき立てられていい。
かくしてまだまだ城の探訪は続くのであった。
つづく
- 2010/05/15(土) 10:02:28|
- 城館探訪の事(栃木県)
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段々探訪していく内に熱くなってきた野木町の城館跡。
いよいよこの野木町の真打とも言うべき法音寺城を訪ねる事に。
●法音寺城(栃木県下都賀郡野木町)

資料を見るとここが野木町で最も遺構を残す所であるようだ。
野木町役場の前を通過し、再び国道4号線沿いへ。
国道に面したところには法音寺の立派な山門がある。

交差点を入り北側より寺の背後(西)にある城へと向かう。
時間はまだ朝の6時台だが、線香の香りが墓地より立ち込めていた。
墓参用の駐車場に停めるのも気が引けたので、公道のそんなに邪魔じゃない所へ車を停める。
何気にこの道は地元の方の抜け道らしく、たびたび車が走り抜けていた。
恐らく遺構は写真中央の石版の裏へ行くのだろう。

するとフェンス越しだが、堀を発見。
おお、これはかなり大きい!先の針谷屋敷の堀位の規模を想像していただけにビックリ。

何気に土塁もなかなかの大きさがあっていい。
ちなみにこの土塁の外側(東)には堀があるが、藪で撮影できなかった。

ゲートボール場らしき広場にお邪魔させていただき、再び堀を撮影。
この感じ・・・いいなあ。

何気に思川側にも堀があった。
こっそり藪に首を突っ込めば、そこにはひょっこり堀が・・・

改めて思川にかかる友沼橋の上から法音寺城を撮影。
ステキな遺構を拝見させていただき、ご馳走様でした。
そんな事でここも結構な当たりで、テンションも高くなってきた。
まだまだ時間も早い、次なる城館遺構を目指して先に進むのであった。
つづく
- 2010/05/14(金) 07:17:16|
- 城館探訪の事(栃木県)
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天気は至極いいのに、某図書館にて城館跡の資料集めに専念する。
しかし、資料を見ている内に調査をしたくなってしまったので、ちょっと現地調査をしてしまう。
午後2時からの調査であったが、その殆どが聞き込みで終わってしまう事態に。
もっとも図書館の資料には残らないような所まで来ているので、それも仕方なしか。
夕方になると雲が覆い始め、北風の吹く肌寒い気温になってきた。
それなりの情報を収穫できたので、今日はまずまずの調査であったように思える。
- 2010/05/13(木) 23:06:10|
- その他の事
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遺構は乏しかったが、野木城はそれなりに満足した。
次は館跡という事で向かったのは、南赤塚の森林地帯にある針谷屋敷である。
●針谷屋敷(栃木県下都賀郡野木町)

野木城から東に進路を向けて進む。
地図だと特に何も書いてないのだが、実は森が多い所だった。
鎌倉街道跡である公道を越えて、ついにその目的地が近づいてきた。
今モヤがかかっているので、朝日が少々ボケた感じに見える。

目印はこの根渡神社であろう。
南側の古道よりこの神社まで参道が走っており、
目指す遺構はこの参道の途中にあるようだ。

参道から根渡神社を振り返るとこんな感じ。
結構森が深くて周辺は早朝という事もあって薄暗い。
参道の傍らを見てみると・・・

全然分かりづらいけどあった。
結構埋もれているようだが、確かに堀跡が野木町史に書かれている通り延びているようだ。

屋敷の周りを囲む堀まで、森の中をちょっと通過する。
しっかりと遺構が残されていて素晴らしい。

ご覧の通り浅いながらもしっかりと堀が残されているのは嬉しい。
近くを新幹線が通っているが、森の中ゆえか騒音も特になく静か。
結構今回の城館探訪はなかなかいいところが多い。
この遺構が乏しく残されているっていうのが個人的にそそられるのである。
そんな事で城館探訪のついでに車を停めさせてもらった根渡神社を後にして、
次なる目的地へ向かうのであった。
つづく
- 2010/05/12(水) 06:56:33|
- 城館探訪の事(栃木県)
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下野国。
今の栃木県で、実を言えば足利~佐野にかけての地域ぐらいしか城館探訪をしていない場所である。
手元に野木町、小山市などの城館資料を手にしていながら、いつ行こうか迷っていた。
GW明けの5月6日、ついに意を決して探訪する事に決めた。
資料に目を通し、探訪順路を考える時間もまた楽しいひと時だったりする。
探訪スタートは夜明けで外が明るくなる時間なので、おおよそ朝の5時。
その時間に着ける様に家を出て、夜明け前の道を栃木県へ向けて走った。
●野木城(栃木県下都賀郡野木町)

やや朝もやのかかる野木城へ訪れた。
国道4号線沿いで思川の支流によって谷の刻まれた場所で、
東側以外は湿地に囲まれているという要害に適切な絶好の地形である。

城の周囲を遊歩道が整備されており、歩きやすくなっている。
流石に平日の朝の5時だけあって、歩いている人は居なかった。

歩けどこの上の曲輪部分に行く気配がなかった。
本当に周りを歩くだけになっているようなので、この内部へ登ってみたら・・・

清清しいまでの耕地だった。
まあ、笹藪に覆われているよりははるかに良い。

南側を歩いていたら、ようやく城である事を示す案内板があった。
流石に歴史的経緯がよく分からない城だけに、解説板の文面もとってもシンプル。

そのまま東に進んだら、道路脇にも城の入口を示す看板があった。
「城=天主」を想像する人にとってこの城はどんな風に映るのだろう?
きっと「行ったけど畑しかなかった」って感想になるのかなっと思ったり。

何気に道路の脇が少々高まっているのだが、土塁の名残であろうか?
もしそうだとしたら、きっとこの道路は堀になっていたのだろう。
この先の畑になっている部分にも、堀が埋没している可能性は高い。
何も無いと言えば何も無い野木城。
でもこういう城は個人的に嫌いではない。
むしろ想像を膨らませられる良い城であるとさえ思えてしまう。
かくして野木城を後にし、次の城館跡に向かうのであった。
つづく
- 2010/05/11(火) 08:43:15|
- 城館探訪の事(栃木県)
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時間は既に午後五時過ぎ、日は傾き城館探訪終了を促しているようである。
暗くて写真が写らなくなるまでが我が探訪時間とばかりに最後の一ヶ所へ。
●杉山城(埼玉県比企郡嵐山町)

やはり最近国指定遺跡に指定された杉山城も見ておかねば。
ここも数年ぶりになってしまったので、目の保養をさせてもらう事に。
玉ノ岡中学校西まで車で登り、そこからの再訪である。

んん~!!この土の凹凸が萌えさせてくれる。
日没まで時間がないが、そそくさと回る。
途中で犬を連れて城内をマラソンされている方に出会った以外は人に会わず。

以前はここに木橋を伐採した竹で表現していたが、危ないので取り外したようだ。
下手に遺構をいじられてしっかりとした木橋をかけられるより、この方がいいのかも知れない。

そして本曲輪へいきなり移動。
今の写真と今から七年程前の発掘調査時の写真を並べてみた。
こう見るとすっかり埋め戻されているなっと感じる。

ついでに2003年3月に行われた発掘調査説明会の模様をアップしてみる。
左がその時に置かれていた杉山城の立体模型。
右は虎口の横矢の仕組みを鎧を着た人々を使って説明している所。
まだ今ほど遺構の乏しい場所に興味が無かっただけに楽しめていたような。
つい思い出話になってしまったが、この杉山城は埼玉県が誇る中世城郭と言っても過言ではない。
もし今後中世の城館跡に興味を持つ人が居たら、ここの様に説明もしっかりしている場所から入るのが一番なのだろう。

我が車の初陣はこうして幕を閉じた。
杉山城から鎌倉街道を鎌倉方面に向けてみると、数百年もの間この街道を見届けていたかと感慨にふけてしまう。
こうして目の保養をした所で、次の城館跡の調査に胸を膨らませる儀一であった。
おわり
- 2010/05/10(月) 08:45:24|
- 城館探訪の事(埼玉県)
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青鳥城を後にして、車は更に西へ。
比企郡を代表する二つの城、「菅谷城」と「杉山城」の二つがあるが・・・どちらにしようか少々迷った。
っと考えている内に畠山重忠公像の顔が浮かんだので、菅谷城に決定。
●菅谷城(埼玉県比企郡嵐山町)

夕暮れ時になり、国道を走る車が少々多くなったような気がしながら、菅谷城へ到着。
なお、現地の案内板は「菅谷
館」と案内しているが、遺構の規模は明らかに城と呼ばれる規模がある。
これは鎌倉前期の館跡とは呼べないと思われるので、こちらではあえて菅谷
城として書く事にする。
(写真は今から7年前に撮影した物であったりする)

ここも数年ぶりに訪れたが、いつの間にかこの様な案内図が設置されていた。
そういえば旧埼玉県歴史資料館もしばらく入ってないが、どうなった事だろう?
新しい刊行物はもう出ないという話を聞いたような気がしているが・・・。

と良く見ると駐車場が17:15に封鎖の看板が・・・
時間を見ると16:55で、あと20分しか時間がない!!
これはもうあそこに行くしかない。

もちろんご城主「畠山重忠公」の像である。
右が7年前の重忠公、そして左が現在の重忠公である。
特にお変わりないようで何より。

ちょっと重忠公のご尊顔を撮影の被写体に。
この所この手の人物像をあらゆる角度から撮影するのがブームになっていたり。
あら?重忠公の烏帽子に鳥のフンが・・・。

今回は遺構の撮影する時間が無くなってしまったので、これまた7年前に撮影した遺構の写真を。
やはり冬場の方が遺構が美しく見えてしまう。
そうこうやっている内に駐車場を閉めるアナウンスが流れたので、早々に退出をする。
車を移動させるだけでもよかったのだが、重忠公のお写真が撮れただけで今回は満足とする。
また今度のんびりと訪問したいものだ。
つづく
続きを読む
- 2010/05/09(日) 08:02:29|
- 城館探訪の事(埼玉県)
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困った事に城館探訪に行った疲れが今頃になって出てきた。
しかもそういうコンディションになった時に限って仕事が忙しくなったり・・・。
とか言いつつ以前撮影した城館写真を見て、懐かしがるのであった。
- 2010/05/08(土) 07:24:53|
- その他の事
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先の松山城を行っても、時間がまだある。
雨後なので少々地面がぬかるんでいないか心配していたが、さほど影響が無かった事が分かった。
そんな事で久々の比企郡における有名城館跡をじっくりと味わう事にする。
個人的に松山城の次に訪れるのはこの城である。
●青鳥城(埼玉県東松山市)

周辺の城が国指定遺跡になる中、渋い遺構を集落内にとどめる青鳥城。
城の東部を関越自動車道が貫通してしまったが、それでも良く遺構が残っている。
まずはこの解説板の置いてある場所に車を停めて、違った角度からこの城を味わう事にする。

関越自動車道の西側の側道を沿って歩いた事がなかったので歩いてみる。

いい塩梅に錆び付いた碑が土塁の前に設置されているのを発見。
これがあるから城館跡の再訪問は侮れない。

更にここも実は訪れた事がなく、少々驚いて見学した。
遺構の北面中央にこの虎口(?)があり、堀には土橋まである。
ここは本当の遺構か?あるいは後世の切り通しか?

土塁に登り切り通しの向こう側を見ると、折の付いている部分がある。
なかなかいい。

更に西には東松山市指定文化財として高さ2.24mの大きな板石塔婆(板碑)が安置されている。
もう一つ大きな板碑が高速道路向こうにあるが、個人的にはこちらの方がお好みである。

先の板碑より南に歩くと竹林がある。
その竹林の中には本曲輪を囲む巨大な土塁と堀を見る事ができる。
今回もぱっと見て回ってきたが、この遺構の大きさは見ごたえがあって楽しい。
あと・・・これから城館跡に行けたとしても2~3ヶ所になるかな。
進路を西に向け、再び車を走らせた。
つづく
- 2010/05/07(金) 18:46:45|
- 城館探訪の事(埼玉県)
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GW中がずっと仕事だったので、それを解消するかの様に城館探訪してきた。
再訪問も楽しいが、やはり初訪問で手元の資料を元に何処にあるのか探すのがいい。
先週の城館探訪編が終わったら小出しで日記に載せて行きたいものである。
そんな事でお気に入りの場所を名を伏せて写真公開してみる。

あまり期待していなかった地域においての写真。
予想を裏切る遺構の明確さに、テンションが上がった。

とある資料にはこの中央の茂みあたりに城館跡があったらしい。
行けなくもないのだろうが・・・怖くて行けない訳がある。

個人的に最も気に入った城館跡遠景。
熊谷市の黒沢屋敷もそうだが、こういう広々とした場所にポツンとある遺構が個人的にお好み。
でも、こういうところが好きという方はまれなのだろう。

今回衝撃的だったのがこの写真の場所。
周辺が宅地化されつつもよくぞ残ってくれましたという場所。
・・・という感じの城館探訪をしてきた。
しかし、これらの写真だけで何処の城館跡か分かる人がいるのか興味ある。
なお、帰ってきたら約12時間歩きまわった疲れで、翌朝まで熟睡してしまったのであった。
- 2010/05/06(木) 22:46:44|
- その他の事
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GW中はずっと仕事であったが、ついに仕事の休みがやってくる。
明日の天気は・・・下り坂のようだが、城館探訪をするのに差し支えないであろう。
ただ、GW明けなので主要図書館が休館日になっているのが少々残念。
我が車も走行距離が1000kmを突破したので、記念すべき(?)初回オイル交換を行う。
ついでにガソリンをフルに入れて、準備は整った。
我が車初の埼玉県外の城館探訪・・・資料も以前入手していたから万全である。
夜明けと共に城館探訪を行い、果たしてどれだけの城館跡を訪ね歩く事ができるか?
もし、早めに雨が降ってきたら、雨音を聞きながら昼寝するのも良いかも。
初訪問のところばかりなので、実に楽しみだ。
- 2010/05/05(水) 09:17:25|
- その他の事
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春です、税金の季節です、今年もガッツリと搾り取られる・・・。
それはさておき、今回は思い切り失敗談を。
先日、ウチに税金の納付書が届いた。
・・・あれ?自動車税の納付書が二枚???
先月、車を新たに買い替えたのがその発端であった。

上の写真の説明には
「4月1日現在で名義を持っていると課税対象となる」という事らしい。
実は今の車が登録されたのは三月、そして前の車を廃車にしたのが先月。
つまり4月1日時点で、車は手元に無くても二台所有しているという事になっていたのだ!!
これはうっかりしていた・・・その事実を知ってかなり凹んでしまった。
対策としては納車が間に合わないのであれば、先に前の車を廃車手続きをしてしまえばよかったのである。
これを知っていればそれなりの対策が取れたものを・・・。
という事で車を乗られている皆様、買い替えの時期にご注意を。
- 2010/05/04(火) 07:04:47|
- その他の事
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ご近所に用事を済ますべく、自転車で軽くお出かけした。
少々汗ばむ陽気であったが、自転車を使って行くのもなかなかだと思った。
ただ・・・半年も自転車に乗ってなかったので、タイヤの空気がかなり抜けてしまっていた。
あとでタイヤの空気入れを探しておこう。
- 2010/05/03(月) 14:49:07|
- その他の事
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流石に日差しも強くなり、少々暑くなってきた。
午前中はしっかり雨が降っていたので、湿度も高く少々蒸し暑いかも知れない。
以前から漠然と今の車の初陣先に決めていた埼玉県吉見町の松山城へ訪れた。
●松山城(埼玉県比企郡吉見町)

実はこの松山城は何かと縁があって、当方の身に色々と変化がある時には訪れていたりする。
今回も車の買い替えをしたので、初陣先がおのずとここにしようと決めていたのだった。

市野川沿いに県道が走っているので、その歩道を歩いていくと松山城の案内と登り口のある広場がある。

案内板に描かれた松山城の地図。
地質的に掘りやすいようで、近場には吉見百穴(よしみひゃくあな)や後記する岩窟ホテルなどがある。
流石に雨が降っただけあって、登る道に水があってグチャグチャである。

あれ?随分と木が少なくなっているように見えるのは気のせいだろうか?
この城に訪れるのも実は数年ぶり、しかも国指定遺跡になってから初の訪問なので変化があるのかも知れない。

やっぱり木が伐採されていた。
今まで鬱蒼と茂っていて見えなかった笹曲輪だが、現在では視界良好となっていた。

こう見ると結構大規模な公園整備のように見えてくる。
そのお陰で遺構が見やすくなっているのは嬉しい。

本曲輪はある程度木を残してこうなっていた。
木が視界を遮らないので、東松山市街を見下ろす事ができるようになっていた。
やはり山城(ここは分類的には平山城か)はこうでなくては。

うーん、ここまで見やすくなっていたとは・・・さすが国指定史跡効果という所か。
久々に見る松山城の遺構に大満足。
久々に写真を撮りまくってしまったのであった。

こうしてしばらくして松山城の根古屋方面に出てきた。
結構入口が分かりやすくなっている為か、ご夫婦と思われるカップルが三組城内を歩いておいでだった。
アップダウンのある松山城の遺構なら、いい運動になった事だろう。
松山城にきたら必ず観覧するのが・・・

そう、岩窟ホテル。
今でこそフェンスに囲まれて内部に入れないが、これを一人のおじさんが掘ったというのだから驚き。
個人的にはここを県指定史跡にしてもいいのではないかと思うのだが・・・。
ただ今の時間は午後3時40分。
まだまだ時間があるので、次なる城館跡を目指し松山城を後にした。
つづく
- 2010/05/01(土) 06:10:25|
- 城館探訪の事(埼玉県)
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