今日も順調に仕事をしていた。
それが起こるまでは至って普通に仕事をしていたのだが・・・
それはいきなり訪れた。
停電。
約10秒程の時間ではあったが、仕事場は修羅場(ある意味祭り)になるには充分だった。
機械関連のデータが停電によってぶっ飛んで、再起動させるも各所でエラーの続出。
普通(っても汗ダクダクの状況)の仕事場は、いつにない緊張感に包まれたのだった。
それから30分後、なんとか通常の状態に回復する事ができて一安心。
もっとも自分以外は歴戦の強者だったのがある意味幸運だったのかも知れない。
そんな事で一つまた仕事のトラブル時の動きを学んでしまったのだった・・・。
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- 2010/06/30(水) 06:47:19|
- その他の事
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今このサイトの城館紹介ページは、始めた当初はあの構造でよかった。
しかし、最近になってやや情報量が少ないように感じてしまっていたりする。
ほぼ初期の頃の状態の旧江南町の紹介ページ。
そして最近更新したばかりの北本市の紹介ページ。
うーん、解説する部分が「備考」で済ますほど単純じゃなくなってきている。
この「備考」部分を分割して、「経歴」「遺構(縄張り図や所在地情報などを含む)」「私見」の三つに分けてみたいような。
最近はそんな事をふと考えてしまうのであったり。
- 2010/06/29(火) 07:27:34|
- このサイトについての事
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昨日あたりから作った本人が忘れていた「
城館用語辞典」のページのアクセスが急増していた。
はて?何があったのかと原因を追究してみると、どうも「山里丸」で検索している様子。
そんな事でこちらも同じキーワードで検索してみたら、↓↓のニュースがヒットした。
秀頼と淀殿が自刃、「山里丸」の遺構見つかる(YAHOOニュース)
ちょっとした勉強用のサイトなのだが、意外と扱っているサイトが少なかったのか当サイトが最初の方に表示されてしまっていた。
もうちょっと作り込んだサイトにしないと、検索した人に申し訳ないかも知れないな。
(でも今は更新している時間がなかったりもするのだが・・・)
- 2010/06/28(月) 07:43:32|
- このサイトについての事
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何故か分からないが、何時の間にか腕に湿疹ができた。
写真を載せようか迷ったが、一種のグロ画像のように思えたので載せないでおくとする。
うーん、原因が分からないから気味が悪い。
最近仕事場の温度が35度を軽く超えた状態だから、汗疹(あせも)なのかも知れないが・・・。
しばらく様子を見て皮膚科の医師に見てもらった方がいいかも知れないな。
- 2010/06/27(日) 07:29:34|
- その他の事
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小山市のメイン城館を見終えて、次こそは田園風景の広がる館跡である石塚館に赴く。
●石塚館(栃木県小山市)

青々とした草原に見える水田地帯のど真ん中にその館跡があるという。
ああ、ここを見ていると熊谷の
黒沢屋敷を思い出す・・・
こういう何もない水田地帯の城館跡こそ、関東が誇るべき館跡ではないかと思うが、微妙であるな。

石塚館は水田地帯にポツンと置かれたような茂みがあるので、とても分かり易い!!
その館跡の北東に星宮神社があって、かってこの神社に沿って約125mの土塁と堀があったが、昭和38年の土地改良によって一面整地されたと小山市史は語っている。
うーん、館跡の比高差すらも全てフラットにしてしまうのでは、個人的には土地改悪である・・・。
丁度写真で立っている辺りが字五月女屋敷という地名で、この辺りも石塚館の内だったのだろう。

神社の前は何気に花壇になっており、花の名前は分からないがとても綺麗に手入れしてあった。
郷土の皆さんが分担して栽培しているようで、ちょっと暑い昼下がりに癒されるような気分になった。

ここが石塚館の北東部にあたる星宮神社。
っとその傍らには小山市内で見かけたあの石碑が!!
ここまでゴージャスな石碑を建ててもらえる小山市の城館跡が、ちょっと羨ましくも感じられる。

神社と水田の境界部分を見てみる。
若干ではあるが、神社の方が土地的に高く館跡であった名残を残してくれていた。
なんとなくであるが堀らしい溝があるが、これが館跡の遺構であるか確認はできなかった。

そして神社の南の道路脇(石塚館内)には、何故かコンクリート製の鉄道の枕木が。
木の枕木なら住宅や店舗のファッションとして使っているところはあるが、コンクリート製だと再就職先が厳しいのか。
役割を終え初夏の風を浴びながら行き先もなく、たそがれている様に見えてしょうがない。

そんなこんなで石塚館の調査を終えてみて、自分の好きなタイプの城館跡がはっきり見えてしまった。
今回の石塚館はまさにタイプの館跡で、自分でも特異に思うがお気に入りの館跡にランクインしてしまった。
「何もない、だから良い」、そんな館跡であった。
時間もまだ午後に入ったばかり、次なる城館跡に向けて進むのであった。
つづく
- 2010/06/26(土) 07:30:35|
- 城館探訪の事(栃木県)
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先日自動車税を多く払っていたが、なんとそれが誤納だった旨の通知が届いた。
ふむ、今月は自動車の保険料で大きくお財布の収益が減る見通しだっただけに、この効果は大きい。
早速先方の気が変わらぬ内に銀行に行って頂いてきた。
なんともありがたい事だ。
昨日は熟睡しただけあって、かなり体力が回復してきた。
でもまた今週もしっかり汗をかいてヘロヘロになるのだろう。
それでも社会貢献していると思って、頑張るより他はない。
今回の事もあって「人生万事塞翁が馬」というのは良く言ったものだと改めて思うのであった。
- 2010/06/25(金) 10:43:44|
- その他の事
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最近汗ベトベト、ヘロヘロになりながら仕事していたので、城館探訪をせずに家でじっくりご睡眠。
時間も気にせずに寝ていたらいつの間にか夕方、一日は経つのは早いもので。
その後サイト更新を行おうと思ったが、撮影した写真があまりにもしょぼいのでかなり呆れる。
丁度4年前の探訪の時はカメラが不調で、携帯カメラで撮ったのが不覚であった。
再び訪問してみてみると新しい発見もあるかも知れないので、時間があったら行く事にする。
それにしても更新の宿題が溜まっている。
まだまだ資料の情報量が少ないと思うのは贅沢なのであろうか?
続きを読む
- 2010/06/24(木) 19:38:57|
- このサイトについての事
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最近妙に仕事着のお腹が汚れるなっと思ったら、衝撃の真実が発覚!!
なんと自分の汗でベルトのバックルが錆びてしまっていたのだ。
確かにクーラーに直接当たると寒さを感じるほど汗はかいていたが、
まさかベルトのバックルが錆びるとは予想もしなかった(それだけ安物という事も)
話が変わるが、ファーストフード店大手のマクドナルドは関西では「マクド」関東では「マック」と呼ぶらしい。
それに最近聞いた話では九州では「マック」と呼ぶと言う。
あれ?関西より西はマクドなら分かるが、飛び地してマックと呼ぶのか。
もっともPCのMacintoshと区別する意味で「マクド」と呼ぶのが良いのだろうな。
- 2010/06/23(水) 06:33:51|
- ふと思う事
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思い切り手が荒れてしまっております。
理由は恐らく仕事の為でしょう。
流石に日焼けみたいに皮が剥けてきたのには、ちょっと驚いた。
後でハンドクリームつけておこう。
- 2010/06/22(火) 06:48:41|
- その他の事
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新人さんの教育もひと段落したら、今度は自分のスキルアップが待っていた。
やる場所は自分の部署で一番覚える事が多い所。
これをやれれば当部署全てをやりこなす事が出来る上、特別手当が付くらしい。
うーん、手当ては嬉しいがこの会社でそういう役になってもそれ以上の過酷な労働が待っているだけだからな。
上の人たちを見ているととても同じ境遇になりたくないというのが本音。
さて、家にてPCをいじる時間が朝のみになっている事もあって、動画を見るのが日課になってしまった。
ただ今拝見しているのは「太陽の牙ダグラム」という熱いアニメ。
某アニメ雑誌に酷評を受けた事もある作品だが、いい!!
こういう「萌え」に媚びず熱い政治アニメを見ていると、非常にいい。
子供向けアニメで大人がうなるような政治的駆け引きを描くのが渋い!!
やはりこういう作品はある程度の年齢になってくるとその良さが分かってくる物だ。
って事でそのダグラムの続をみて、今日もこれにてご就寝。
- 2010/06/20(日) 06:27:34|
- その他の事
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長らく小山市の城館跡を訪ねつつ、ようやく到着という感じの小山城へ。
どちらかというと祇園城という呼び方の方が主流のようだ。
今回このブログでも祇園城として呼ぶ事にする。
●祇園城(栃木県小山市)

祇園城は城の主要部分が公園化されている事もあって、駐車場まで完備されていた。
少々入口が分かり辛かったが、モロに公園利用者になると思うので遠慮なく駐車させていただく事に。

先の鷲城で「力任せの築城は好きでない」と言ったが、ここもどちらかと言えば力任せになるのかも。
でも縄張りを見ると結構巧妙に作られているので、それほどではない。
城の中心はこの橋の先にある。

これだけ見たら明らかにただの公園だが、祇園城の二の曲輪(日本城郭大系の図では本丸となっている)。
ここには大きな公孫樹の木が生えており、解説板によると落城の際に姫君が井戸に身を投げた目印に植えられた物だとか。
落城時の悲劇というのはよく城跡に残されている話。

だいぶ緩くなっているが祇園城の堀。
でもかなりの規模があり、しかも藪が殆ど無いので見るのに全然苦にならず。
むしろ目の保養にさせてもらっている。

本曲輪と先の二の曲輪を隔てる橋。
何気に堀底は車道にもなっていたようで、今は車止めされて通行不能になっている。
いつも1m未満に埋もれた堀を見ているから、大きい堀を見ると本当に癒される。

本曲輪に入るといかにも公園になってきた。
しかし、遺構を破壊しての公園というわけでなく、むしろ歩き易くなっているので助かっている。

本曲輪の先はテーブルまで設置されており、広大な思川の流れを鑑賞する事ができる。
でも屋根も無いので、ここで昼食というのはこれからの季節は厳しいかも知れない。
県道31号線を眼下に見下ろしながら遠くの鷲城までも望む事ができる絶景ポイント。

その下には図解付きの解説板もあり、市民の皆様に分かり易く解説。

更にこの祇園城を公園化すべく私財を出し奔走した田村金作翁の銅像付き。
祇園城の遺構が徹底破壊を免れたのに貢献した方。
折角銅像がありましたので、マイブームのあらゆる角度で撮影して、翁の写真ばかりになってしまいました。

ずっと戻って北側にある堀底の広場、祇園城は本当に広い。
なお、写真の西には小山氏の墓所のある天翁院がある。

こうして祇園城の探訪を終えてみたが、なかなか見所が多い反面、公園化によってやや遺構が破壊されているところもあった。
それでも個人的によく遺構の面影を残している方だと思う。
また、思川から見渡すこの風景が、実に心に残る。
ちょっとガスってたから、天気が良ければもしかして富士山も見えるのかもって思ったり。
って事で車に戻り、次なる城館跡を目指す。
つづく
- 2010/06/19(土) 06:49:40|
- 城館探訪の事(栃木県)
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鷲城の力任せの遺構にちょっとげんなりしてしまった儀一であったが、活躍した時期が南北朝期であった事を考えればよく出来た城であったのだろう。
車で少々移動し、向かった先は同じ思川沿いにある長福城である。
●長福城(栃木県小山市)

近くの広い道路に車を停めるが、この辺りは駐車禁止区域なので早々に帰ってこねば。
長福城の石碑が小さな公園の一部に設置されていた。
本当によく小山市は城館関連の石碑が建てられている。

遺構の規模はそんなに期待していなかったが、宅地にまぎれてデカイのがゴロリと。
住民から見れば単なる藪だから何も思うところは無いのだろうな。

思川に向かって小道があり、もしやここに遺構があるのではと期待して行ってみる。

そうしたら意味ありげな広場に、数年前までここで建築系の材料を作っていたような機材が散乱している。
それより目の前がもう思川の崖っぷちにあり、落差は相当な高さがありそうだ。
おそらくここも長福城の曲輪の一つであったと思われる。

戻ってみてもうちょっと石碑のあった公園付近を見ていた所、川に下りるような道が。
見方を変えれば長福城の堀の可能性もある。
遺構がまったく無い事を想定して来た割には、怪しげな地形が多い長福城。
城の半分ほどが宅地化されてしまっているので、かなり遺構が破壊されたように感じられる。
でもよく見るとこれは遺構だったのかも?っと思わされる部分も多数。
さて、路上駐車している車の所に戻り、次なる目的地へむかうのであった。
つづく
- 2010/06/18(金) 13:48:15|
- 城館探訪の事(栃木県)
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桶川市~上尾市にかけての城館跡の調査に赴く。
少々不明瞭な遺跡が多いが、これらが将来どんな事が分かってくるのか楽しみなもの。

さてさて、その合間に
上尾市の丸山公園で少々昼寝をしていた時の事。
日差しが強くて車内が暑くて寝れない。
30分間で起きて外を見ると・・・やけに車が多いような。
しかも、一眼レフカメラを持っている人が多数。
こっそり話を聞いていると、どうやら皆様植物鑑賞に来た模様。
公園に入ってみると、確かに紫陽花がよく咲いている。

え!?
ペットなら分かるが、
鶏とは???
おそらくお祭りの縁日で買ったヒヨコが、大きくなってしまったから捨ててしまったのだろう。
あと、公園内の水道で洗車しないで下さいとか、いろんな事が書いてあった。

さてさて、花に戻ると菖蒲の花もよく咲いている。
そういえば
菖蒲城の菖蒲も咲いたのかな。

この他にも蓮の花まで咲いていて、公園の一端は花祭り状態。
こうして植物を撮影するのもなかなかいいものだ。

公園の沼は花ばかりではない、こうした鴨や鮒??などの動物も多く生息している。
水面を泳ぐ鴨を練習がてら撮影してみた。

こんな感じで丸山公園に寄り道してみたが、いいものだ。
車の中が暑くて寝れなかったので、木陰に設置されている公園のベンチで昼寝の続きをした。
城館の調査もそこそこできたし、公園の散歩なんてできたし。
色んな意味でいい日だった。
って事で明日から梅雨空が戻るらしいので、じっくりと仕事と勉強をさせてもらうことにする。
- 2010/06/17(木) 21:59:07|
- その他の事
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ついに小山市街地に到達したという事で、題名の「田園」じゃなくなってきているが・・・まあいい。
次は城館探訪をされている皆様に人気が高い鷲城である。
●鷲城(栃木県小山市)

小山市総合公園に車を停め、鷲城の方面を見る。
思川に突出した地形を利用した城で、鎌倉公方足利氏満に対し乱を引き起こした(一説にはケンカをふっかけられた)小山義政がここに篭城した事で有名。

実はこの公園に貸し自転車があるとの事で、祇園城と長福城を自転車で行けるか?
っと淡い考えを起こしてしまったが、貸している自転車は5人乗りとかの特殊な自転車。
しかもこの公園内での利用制限との事で、自転車での探訪の夢は早くも挫折。

鷲城へは鷲神社に行けば良いらしい。
公園に車を停めたので、ちっと城への道のりが遠くなってしまった・・・。
まあ、下手な所に駐車して罰金取られるよりかはマシ。
っと歩いていたら、ふと城館遺構のある予感が・・・。
普段は感度の悪い我が城館レーダーが、この時はしっかり反応した。

あった!堀だ。
にしてもかなりデカイ。
小山義政公、気合が入りすぎでございます。

こういう虎口を見ると、結構ワクワクしてくる・・・はずなんだが。
なんかイマイチな感じがしてきた。

そんなこんなで鷲城の本曲輪である鷲神社へ到着する。
うーん、遺構の規模は確かに凄い、凄いんだが・・・何かが物足りない。

そのまま東に歩いていくと、解説板発見。
あら、ここは国指定史跡だったのか。
確かにアレだけの規模の堀があり、歴史背景もあればなりうる。
あ、ポストが備え付けてあったが、資料が入っているか見るの忘れた。

ここにも小山市の石碑が設置されている。
それにしても日差しが強くなってきた。
少々木陰で休んでから公園に戻る事にした。
遺構の規模は確かに凄いのだが、個人的に萎えてしまったのであった。
理由を後日考えてみたら、分かった事が一つある。
それは「力の無い土豪などが一生懸命なけなしの資産を投じて作った城館」に感じたあの魂が感じられないのである。
財力が無い代わりに地形と知恵で、堅固な城を築いているあの情熱が個人的に好きなのだろう。
ここを訪れた事により、遺構の乏しい城館が好きな自分を、再認識させられるとは思わなかった。
やはり遺構の乏しい城館跡を訪ね過ぎて中毒症状が起きたのかと思う。
でもそれでもいいのだ。
・・・と思いながらも次の城館へ向かうのであった。
つづく
- 2010/06/15(火) 07:33:03|
- 城館探訪の事(栃木県)
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-
小山の街の中心街に近づくにつれて住宅や工場などが密集するようになってきた。
次に目指す場所は曲輪である。
なんとも露骨なネーミングであるが、本当に曲輪という名前の城館である。
●曲輪(栃木県小山市)

小山市史の地図によればJR宇都宮線沿いにあるとの事だが・・・住宅が密集している。
ここでも2往復も線路沿いをウロウロする。
うーん、まさかなっと思いつつ、国道50号線をくぐり、小山駅に近い所を探してみる。
すると・・・あった。

思ったより駅寄りであるのに関わらず、こんな土塁があろうとは・・・
ただ、車を停める場所が無いので、ちょっと離れたドラッグストアにて買い物を兼ねて停めさせていただいた。
そこから遺構まで少々距離はあるが、丁度いい散歩コースであろう。

ここにも立派な石碑が。
この石碑の名もまた「曲輪」である。

土塁を別角度から。
それにしてもこれだけ宅地化されつつもよく破壊されなかったものだ。

小山市史に掲載されている遠景を今で撮るとこんな感じ。
さすが30年前とは風景が全然違う。
恐らく30年前の撮影場所も、今の東北新幹線の高架下あたりになるはずだが、鉄道用地であるため側道からの撮影となった。

それでこの場所が遺構の中心のはずだが、土塁ほどのインパクトはなく。
ここを発掘調査してたとしたら、小山氏に関わる遺物が発見されたのかも。
もし調査がなされてなかったとしても、宅地になってなければ希望がありそうだ。
歴史が不明な遺構の割りに巨大な土塁。
あれだけの工事量を考えれば、この辺りを治めていた小山氏の居館説もうなずけるかも知れない。
暑い日差しの中、車に戻り次の城館へ向かうのであった。
つづく
- 2010/06/14(月) 09:30:14|
- 城館探訪の事(栃木県)
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どうやら梅雨になったようだ。
それに関わらず未だにGW頃の城館探訪の内容が完結しておらぬとは・・・。
まあ、のんびりとでも書いていかねばならぬな。
最近思うところをちょっと書くと、人によって良し悪しの物差しが違うなって事。
確かに大勢に受ける好みや批判というのも確かにある。
だが、細かい所まで突き進むと、個人差がやはりあるのだなっとつくづく思うのである。
だから「これは絶対いいよ」とか「これは戴けないよ」というのも、人によって変わるという所か。
いきなりこんな話をしたのも、日常生活をしていた上での事。
それ以上でもそれ以下でもないのである。
- 2010/06/14(月) 08:52:16|
- ふと思う事
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最近の毎日の日課に単純計算がある。
その名の通り「1+1=」とか「7-4=」とかいう計算を早く解くのである。
前は川島隆太教授の本を買ってやっていたが、最近は便利なもので電卓にその計算機能がある物がでている。
しかも電卓の方は過去の戦績やタイマーも付いているので、時計と睨めっこせずともよくなったのが良い。
脳内の運動にはこの単純計算を正確により早く解く事が最も効果的であるらしい。
(確かにこの計算もやりすぎると頭が痛くなってくる)
この話をいきなりしたのも、ついにこの電卓版単純計算が実年齢を超えた為である。
毎日やっていた成果がどんどん出てきているようで、とっても嬉しい。
このまま50問全問正解、かつ1分以内の好成績を目指すのみ。
でもこれが手に届きそうで届かない(笑
まあ、このまま毎日やり続けて、やって見せたいものだ。
- 2010/06/13(日) 08:52:19|
- その他の事
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塚田館の遺構の無さは、今思うと自分好みなのかも知れない。
「遺構が明確に残されていない=想像する余地がある」
っという事にもなるからだ。
またまた細い道をグネグネと這いくぐって、国道4号線バイバスへ。
バイバス線から見える城が中久喜城である。
●中久喜城(栃木県小山市)

小山と結城の中間に位置する為、中世期においてはかなり重要視された城だろう。
ある意味今でも近くが国道4号線と50号線の交差地点なので、交通の要衝となっている。
さて、何処から入るのかとグルグルと2週ばかりしてしまった。

ぐるっと回ってばかりだったが、アングル的にはこの国道4号から見た中久喜城が一番いい感じだ。
流石にすぐ側を車が高速運転しているので、ハザードランプを付けながら車内で撮影。
ドアを開けて一歩でも外に出ようものなら、すぐに轢かれてしまいそうなこの恐怖。
一通り周りを撮影して、県道264号線より細い路地を入り城の見学に向かう。

ここにも立派な石碑があった。
もっともここほど遺構が残っていれば、石碑の存在も当然と思える所も。
なお、その背後は空堀になっているようだが、藪が凄そうで入る気にもなれない。

噂には聞いていたが、こうやって図を見ると見事に線路が城内を貫通している。
城内で削られた土塁は低地の築堤に使われたと安易に想像できる。

分断された城の北側の土塁上。
ここだけ見てもかなり興奮してくる。
・・・さて、分断された南側の遺構はどういけるのやら?

近くで農作業されてる方に線路の向こう側への行き方を訪ねたら、
ここの踏切を渡っていくように勧められた。
それにしても踏切名が思い切り「城山踏切」と書かれている辺り、城を破壊したのが確信犯的に見えてしょうがない。

踏切を越えて道沿いを歩いていくと土塁にお目にかかれる。
・・・立派な遺構があるのだが、藪が凄くて写真にならないのが残念。
藪同様に目に付くのが「ゴミ捨て禁止」の看板。
城跡って所は何処も不法投棄の餌食になってしまうのだな・・・。

更に道沿いに歩いていくとステキな土塁を発見。
って事はこの道は空堀?それとも武者溜り?

そんなこんなで本曲輪に到着。
う~ん、見事に農地になっとるのう。
このままの状態で置かれるのなら、いっそ史跡公園にでも・・・
いや、生活に溶け込んでるようで浮いているこの状態でも魅力ある。
それはさておき、全体的に藪が凄くて遺構が見渡せないのが残念である。

帰りに城内を轟音立てながら爆走する電車を見送る。
この電車に乗っている人たちで、ここが城跡であると知っている人はどの位いるのだろうか?
帰る際に色々と教えてくれた農作業中のご夫婦に、篤くお礼を申し上げた。
ちなみにこの辺りは史跡区域(だったかな?)になっていて、農地はできるが建物は建てられないそうだ。
確かに宅地になってしまったら、再び遺構が地表に現すのは下手すれば数百年後。
鉄道によって遺構が破壊されつつも、保護されている事に安心してしまったり。
って事で中久喜城を後にして。いよいよ小山市の中枢部へ向かう事にした。
つづく
- 2010/06/12(土) 07:46:23|
- 城館探訪の事(栃木県)
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今日は休日で外も晴れてはいるが、城館探訪をせずに家に居る。
この所このサイトの更新せねばならない所が増えて、ソッチを片付ける事に。
その他は自宅の墓掃除、髪の毛の散髪、銀行周り、車の洗車と割りとやる事は多い。
もし手持ちの資料を全て使い果たしたら、来週あたり城館探訪に行きたいものだ。
- 2010/06/10(木) 13:22:41|
- その他の事
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網戸城を訪問し終え、今度は間々田の集落を乗り越えて東へ。
今回の城館探訪は北に向かいジグザクに動いているような・・・
まぁその方が所在地を見た上で訪問し易いと判断したからである。
東北新幹線をくぐって行くと、なんとなく森が多くなってくる。
途中からその森の小道を通り抜けて行くと、目指す塚田館がある。
●塚田館(栃木県小山市)

森を抜けたら目の前が畑などが出てきて、とても広くなった。
小山市塚崎はかって鎌倉街道が走っていて、今回目指す塚田館はその沿線に所在する。

塚崎の氷川神社が館跡の西隅に位置するという。
『小山市史史料編・中世』によれば明治三十九年頃までは土塁と堀が残されていたというが、
現在となっては壊され畑となったようである。

またもゴツい石碑を発見。
遺構の消滅した館跡にもこの様な立派な石碑が建てられている事に驚きを感じる。

この辺りが館跡の南端部に位置すると思われるが、
めぼしい遺構は残されていない。
木の根元がなんとなく盛り上がっているように見えるのは気のせいか?

館跡の西側にあったという鎌倉街道を探してみた。
しかし、畑になっていて、どれがその道筋かすらも分からなかった。
一応館跡の西にある農道を街道に見立てて写真撮影。
この道も南下すると公道に出て途切れる。
元々遺構が無いと分かりながら来た塚田館。
そんな乏しい城館遺構が、古き時代の遺構へ思いを馳せさせるのかも知れない。
有力な遺構を発見する事無く、次なる城館跡へ向かうのであった。
つづく
- 2010/06/09(水) 07:16:41|
- 城館探訪の事(栃木県)
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仕事を終えて帰ってくる最中「ビール飲みてぇ・・・」っと言ってしまった。
普段はアルコールを入れたいと思わない身分なのだが、今回は何故か飲みたくなった。
家の倉庫にある生暖かい発泡酒を片手に、ググッと一杯。
例えキンキンに冷えて無くても、飲みたい時に飲む酒は美味いというのを再認識する事ができた。
さて、心地よくなった所でご就寝するか。
- 2010/06/08(火) 07:06:09|
- その他の事
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-
昨日今日の二日間、仕事を有休で休んで付き合いで旅行に同行。
今回行く場所には城が一切ないとの事で、少々寂しい思いをしながらの旅行となった。
でも城と関係ない旅行もたまにはいいかも知れないと考えを改める事も。
何しろバスに乗って行く旅行だったから、外の景色をじっくりと見る事ができた。
ただ、あまりにも城館関連の事が無さ過ぎたので、自由時間中に近くの図書館へ資料集めに(笑
思ったよりいい資料が手に入ったので、個人的には満足でございます。
今回は宿泊した旅館から歩いて10分の所にあったから出来た事。
次回はそうはいかないだろう。
って事でなんだかんだで城から離れられない儀一。
我が事ながら先が思いやられる・・・。
あと皆様、この度の旅行大変お世話になりました。
- 2010/06/06(日) 23:46:25|
- お付き合いの事
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-
番外編の様に渡良瀬遊水地へ寄り道した儀一は、再び小山市に戻ってきた。
次なる城はアジトである。
●網戸城(栃木県小山市)

かくしてJR間々田駅の北西にある網戸地区に来た。
読みはアミドではなくアジト、ある意味読めないと思える。
網戸城は網戸小学校のある所が本曲輪であるというが・・・
地図と現地の形状がやや違うような?

それにしても・・・何周しても小山市史の地図と一致する場所が見つからない。
そんな時は生の情報を入手するのが吉だ。
畑で作業をされている方に話しかけたら、思い切り30分以上も雑談してしまったのだった。
でも網戸城の事はご存知で、早速教えてもらった本曲輪の場所へ向かう。

ここが網戸城本曲輪であった網戸小学校跡地。
ちなみに小学校は戦後間も無く現在の場所へ移動したのだという。
あれ?「小山市史」は昭和55年発行なのだが、「現在は網戸小学校」となっている。
これは紛らわしいかも。

石碑があるが、今回は小学校の跡地を示す石碑である。
周辺が草が茂っていて近くにいけなかったが、小山市は結構立派な石碑を建てている事が多い。

そのまま網戸神社へ立ち寄る。
まだ5月のはずだがもう薮蚊がウヨウヨしている。

神社の境内には網戸城城主である網戸朝村の墓所がある。
その側にはそれを示す石版があり、これが当地を城を示す案内を担っていた。

少々迷ったりもしたが、思ったより楽しかった網戸城。
実は先ほどの聞き込みで網戸城の「西城」にお住まいの方が詳しいとの事であったが、
人見知りの激しい性分ゆえに訪ねて聞き込みする事ができなかった・・・。
思川の堤防上から再度網戸城を見渡し、次なる城館跡へ向かうのであった。
つづく
- 2010/06/05(土) 06:48:38|
- 城館探訪の事(栃木県)
-
-

今使っている携帯電話の料金内訳が、数日間システムメンテナンスと称して見れなくなっている。
もう料金確定から10日以上も経過しているのにまだメンテナンス・・・
流石に料金内訳もすぐに出せないのでは、徴収する側としてはマズいのでは?
(何気にこういう時に限って確定内容が気になる)
- 2010/06/04(金) 17:08:25|
- ふと思う事
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今日は休みなので普段出来ない事をする。
今後の計画などを考えるのも重要な私事の一つ。
その後銀行周りや買い物をし、またも家電店へ。
PCの性能は格段に向上してはいるものの、現状でも充分だったりも。
ただキーボードの「Back Space」キーのすぐ右上に「Powar」キーが配置されているので、作業中誤って「Powar」キーを押してしまい、プログラム(ヘタすればPC)を終了してしまう事もあるが・・・まだ取替え時ではないな。
でも無線LANの調子が悪くなり始めたので、コンセントを経由したLANを考慮してたりも。
家に戻り涼しげな風に吹かれてしまい、つい昼寝をする。
驚くべき事に、「今日は城館探訪しない」と決めていたはずなのに、
夢の中で城館探訪してしまった。
場所はどこだか分からないが「福地陣屋」って名前だったのでネット検索。
すると!?本当にあった!!
奈良県宇陀市(旧榛原町)というところにあったらしく、万治三年(1660)大和松山藩主・織田長頼の弟長政が築城したらしい。
ふむう、まさか夢の中で奈良県の城館跡を探訪していようとは・・・
現地の状態は分からないが、夢の中では水田にいい土塁があったので大喜びしていた。
微妙な城館遺構ばかり回っているから、多少良い遺構が見たくなったのかも知れないな。
- 2010/06/04(金) 15:46:09|
- その他の事
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小谷城を後にし、進路をそのまま西へ。
向かうは渡良瀬遊水地である。
そこには知る人ぞ知る中世城館があるのだった。
●前原城(栃木県栃木市)

つい最近まで下都賀郡藤岡町だったのだが・・・いつの間にか栃木市と合併していた。
前原城、別名大木田城ともいい、中沼右京大夫宗忠の築城と日本城郭大系に書かれている。
それにしても・・・「水没した城館跡」か・・・
普通は興味が失せるはずなのだが、「消滅した」と書かれているとどれだけ本当に消えたのか確かめたい!!

途中の道を迷子になりながらもようやく土手の上に立った。
うーん、見事なまでに広い。
ちなみにここは渡良瀬川の支流である巴波(うずま)川の堤防内。

その巴波川を渡る。
何気にこの道は遊水地の管理道路かと思いきや、一般車両も割りと通る道だった。
確かに広い遊水地を横切っているから利用価値があるのだろう。

遊水地と巴波川を隔てる堤防の上に来た。
段々天気も晴れてきて、気分がいいので車の窓を開けてくつろぐ。
多少風が吹いていて、眠くなりそうだ。
そんなこちらの姿を通勤途中の人がチラチラ見ていたが、キニシナイ~
・・・おっとっと、肝心の前原城を忘れるところだった!

こちらが入手した情報によれば、前原城はどうやらあの茂みの中のようだ。
ってあの場所はヤバそうだ。下手にいくと湿地で足を取られかねない。
前原城の推定地を遠目に見るだけでこの場は終わりにした方が良いと判断する。
関東に湿地を利用した「ふけ城」というタイプの城があるが、
この前原城はまさに現代にあるふけ城なのかも知れない・・・。
でも、遊水地の景色は実に気分良く、心が癒されたのは事実。
城館にはいけなかったものの、気分的に満足してしまうのであった。
つづく
- 2010/06/03(木) 06:47:58|
- 城館探訪の事(栃木県)
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やはり仕事の内容は実にハードなものへと変貌していた。
いつもより労働時間が増えたな、やる事も増えたな。
でもマイペースを貫かねば、どんどん追い詰められる。
段々城館関連のブログから、当方の仕事実況中継になってしまいそうだ。
まあ「色々と感じている事」を漠然と書き連ねるのも精神的に癒されるものか。
それにしても天気も良く、吹く風も実に爽やかだ。
今日もじっくり寝る事ができそうだ。
- 2010/06/02(水) 06:36:43|
- その他の事
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今でさえ多い仕事が今月から更に増える事となった。
大まかな見解として会社からの挑戦状とも覚える増量。
やりこなせなくないが、どんどん仕事が増えられても困る。
さてさて、今月はどうなっていくのやら。
こちらは・・・まぁ今まで通りの仕事をこなしていくだけだな。
- 2010/06/01(火) 08:34:33|
- その他の事
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