今日は久々に晴れて、とても気分がいい。
でも流石に10月の下旬ともなると、吐く息が白くなった。
こんなときは朝日の当たる部屋の中で、ホットコーヒーを飲む。
カフェイン入りで寝れなくなるかも知れないが、この至福のひと時を味わう為にあえてリスクを負ってしまう。
にしても最近缶コーヒーがあまり美味しく感じられなくなってきた。
ので今回は家で入れるインスタントで楽しむ。
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- 2010/10/23(土) 06:47:33|
- その他の事
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勝保沢城の良い遺構に別れを告げ、近くの鳥山屋敷へ足を運ぶ。
距離的にかなり近いので、勝保沢城(歴史資料館)に車を停めて行ける程の距離だ。

この辺りが鳥山屋敷があった場所だが・・・見事耕地になっている。
日差しはあるがそんなに暑くなく、至って過ごし易い気温になっている。

なんとも意味ありげな切り岸。
これは遺構?あるいは整地?
どちらでもありえるので、答えが分からず。

コスモスの花が咲いていたので、青空をバックに記念撮影。
もう季節は秋になってきたって感じがしてきた。

鳥山屋敷は南西方向に低く、その方向には榛名山がある。
でも今日はちょっとガスかかっていて見えないのが残念。

西に傾く太陽、時間は大体午後2時半頃。
城館の遺構が無くてもこういう写真も撮れたりするので、なかなか侮れない。
もしかすると城館の遺構を楽しみつつ、色んな所に行ってその景色を楽しんでいる自分が居るのかも。
- 2010/10/19(火) 06:37:25|
- 城館探訪の事(群馬県)
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今日は比較的やる事が多かった。
病院行き、銀行行き、メガネ屋に行き、床屋に行き、洋服屋に行き・・・。
そしてどんどん飛んでいく我が金銭たち。
晴れた日にお出かけは楽しい。
でもお陰で寝不足になってしまったのは残念だ。
- 2010/10/18(月) 06:24:51|
- その他の事
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たまたま今日帰りにコンビニに立ち寄り買い物をしたら、2匹の猫たちに通せんぼされてしまった。
薄暗い為か黒目が大きく、しかも可愛らしい声で鳴く人懐こい猫が一匹。
ちょっと人は避けたいけど、相棒(上記の猫)に離れないようにちょっと隠れている猫が一匹。
避けて通ろうにも横切って行く手を阻む彼ら。
こちらも蹴ってしまっては可哀想なので、必死に避けて通ろうとする。
ちょっとした隙を見てジャンプして回避、猫はそれを追うがなんとか車へ帰還。
きっと彼らはコンビニの駐車場がゴミ山になっているのを知っててたむろっていたのかも知れない。
カメラが無かったので撮れなかったが、カワイイ子たちだった。
- 2010/10/17(日) 06:18:10|
- その他の事
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猫城の探訪中、ちょっと気になっていた「赤城歴史資料館」へ行ってみる事にした。

赤城歴史資料館は入館料大人1人100円。
情報を期待して入館するも、メインは古墳時代の土器や農耕具ばかりで城館の事はまったく無かった。
ちらりと赤城村誌を拝見させていただき、退出なり。

それより気になっていたのはこちらの堀。
そう、赤城歴史資料館は中世期の城である「勝保沢城」の曲輪に建っていたのである。
ここって今まで見てきた旧赤城村の中で一番遺構が綺麗に残っているみたいだ。

本曲輪と思われる一角は手すりが備わっており、ちょっと進入はできないようだ。
だが草は刈られており、その美しい遺構を見る事ができる。

何気にここで何枚か写真を撮ってしまった。
この位の堀が残っていると本当に嬉しくなるものだ。
先の津久田城もこの位遺構が残っててくれたらと思ったりも。

ぐるっと周って堀底をちょっと経由して再び階段を登ると歴史資料館に戻る。
これだけ良い遺構が残されて居るにも関わらず、解説板一つも見つからなかったのは残念だ。
もしかして見つからないだけで、どこかにあったのだろうか?

駐車場挟んだ反対側の竹やぶも実は堀跡である。
ちなみにこの堀の向かいの寺も勝保沢城内だったというが、遺構は乏しいという。
歴史資料館があるので、この城の探訪に関しては問題無い様にみえるが、
実はその南側は幼稚園でヘタにカメラを持って歩いていると保護者に誤解される恐れがあるので要注意。
でもいい堀を見させてもらって感謝。
- 2010/10/16(土) 09:35:19|
- 城館探訪の事(群馬県)
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とうとう我が家も光フレッツを導入しようという動きがあった。
どうも動画がカックンカックンとなって見づらいなっと思ったら、未だにADSLだったようだ(笑
って事で電話にて詳しい事を聞いて見たら現在の使用料金よりちょっと高くなる位のようだ。
それ以上にメリットがあるのがデジタル放送に我が家のテレビが移行できるという事か。
屋根のTVアンテナも長い目で見ると屋根を傷めているから、結果的には効果は大だと見受けた。
さてさて、簡単な見積もりを出してもらった上で、検討させていただくとする。
- 2010/10/15(金) 09:14:06|
- その他の事
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先週に続き今日も城館探訪に行こうか迷ったが、天気が悪そうなのでパス。
先週仕入れてきた資料を読む内に眠気が・・・
気付いたらもう夕方。
あれま?せっかくのお休みが。
まぁ、ゆったり寝れるのも良い休日の過ごし方なのかも知れない。
- 2010/10/14(木) 09:07:42|
- その他の事
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なんだか遺構の確認作業などがあやふやになってきたが、次なる城へ。
次は名前のカワイイ猫城である。
猫山城とも言い、「根古屋」が転訛して猫になったという。

元赤城村役場前を過ぎ、麓から猫城を見上げる。
標高もそんなに高くなく、しばらく城館探訪をしていなかった自分にはピッタリな城だ。

こちらは猫城を北西側から見たところ。
尾根伝いに行けるかと思ったが、独立丘だったようだ。
周囲をグルグルと何周もした上、北側の林道沿いに車を停め行くのがベストと判断。
さっそく路肩に車を停めて登り口を捜す。

ずっと猫城沿いに東に進むと畑の中に。
この先にも少しだけ行けたが、藪が酷かったのでこの辺りから直登する事にした。
人は入らないけど獣道はしっかり残されていた。

ちょっと後を振り返る。
藪が凄くて分かり辛いが先ほどの畑付近をちょっと登った所から撮影してみた所。
全然比高差が少ないので、登るのは実に楽だった。

尾根上の道に出る。
流石に人も歩いているだけあって、歩き易い。
あれ?城への道が歩き易くていいのかな?

ようやく削平された地形を発見。
それにしても地形がかなり緩い。
ある程度山城を見慣れた方でないと、削平地とは分からないぐらい地形が緩くなっていた。

所々の木の皮が剥がされている。
これは単純に鹿などが木の皮を食べたからに他ならない。
という事はこの辺りには鹿糞のトラップが仕掛けられている恐れも・・・。

猫城の堀切。
緩すぎて堀切にある萌え度が低い。
これじゃ城館まがい地とあまり変わりがないような。

一番削平が綺麗に思えた一番西の曲輪へ。
っとこの辺りには謎の物体が散乱していた。

ラベルもなく、周辺には十数個ぐらい落ちている。
中にはフタの取れた物もあり、中身のある物はそれなりの重さがあるようだ。
・・・これはシャンプー?猫城の謎は深まる。

そのまま西に下りてきたら、車を停めた林道の側に出た。
写真は丁度出てきた部分を撮影したもので、ここからは入る気がちょっと無い。

ちょっと下に歩くと、西に子持山がその姿を見せていた。
今朝は雲に覆われてまったく姿を見せてくれなかったのだが、今になって会ってくれたような感じだ。

再び別の角度から猫城を見上げる。
やはり行った山城の遠景写真はそれなりの味がある。
ちなみに猫の寄居もあったのだが、遺構喪失との事で思い切りスルーしてしまった。
今度この辺りに来たら立ち寄らないと・・・。
- 2010/10/13(水) 07:03:51|
- 城館探訪の事(群馬県)
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先の「上安城」にはちょっとやられたが、中世城館を求めているとよくある事。
そんな事で本来の目的地である津久田の「六郎兵衛屋敷」付近にたどり着いた。

この先の木の生えてる辺りが探す屋敷らしいのだが・・・

屋敷の西側を流れる小川。
この辺りの川はどれも深い谷を構成しており、自然の要害が作られている。

屋敷とは関係ないが、渋川市に統合された事により廃されたと思われる赤城村立津久田幼稚園跡地。
敷地内は更地になっており、フェンスの中はガラガラである。
その門にかかっている幼稚園の表札が。なんとも城館の石碑を思わせてくれる。

先の幼稚園跡地の東にある赤城神社の鳥居。
屋敷はどうやらここ辺りが東端であったようである。

うん?この特殊な道の構造は・・・
左側の道は赤城神社への参道。
右側の道はもしやかっての屋敷堀だったものではないか?
その為か周辺よりやや低い道が奥へと続いている。

その低い道を進んで行ったら、これまた堀を連想させられる地形が出没。
畑になってしまってはいるが、かっては堀だったのかなっと思うばかりである。
歴史的背景や遺構自体もあやふやな六郎兵衛屋敷。
六郎兵衛とは何者か?調べんといかんな。
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- 2010/10/12(火) 06:58:22|
- 城館探訪の事(群馬県)
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長井坂城を後にし、ふらっと南下していくと、気になる建て看板が!

おお?上安城??
手持ちの資料にも載ってない城だ。
そんな看板を見たからには放置する訳にいかない。
って事で早速その入口へと侵入していった・・・。
・・・先ほどは看板まで付いていたのだが、まったく城らしきところがない。
それどころかかな~り狭い道に来てしまった。
あれ?線路が両脇にあるのだが・・・これは行っていいのやら?
たまたま散歩をされていた地元の方に聞いたら、
「上安城?しらねぇな」
っとのご回答が・・・
でもこの先は抜けられるとの事で、進んで狭い道を脱出した。
気になってネット検索したら、多分これとの結論が出た。
www.city.shibukawa.gunma.jp/kankou/rekishi/hakkutsujouhou/tsukudayasu.html
竪穴式住居だったのかー。
でも城の文字が付いている以上、何らかの城郭遺構があったとは思いたい所だ。
- 2010/10/11(月) 06:26:17|
- 城館探訪の事(群馬県)
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深山の五郎屋敷の意味不明の遺構を見た後は、ついに名前は聞いていたけど行った事がなかった長井坂城へ向かった。

近くまで行くと長井坂城への案内があった。
さすが県指定史跡だけの事はある。
っと案内があったのを見て油断していたら・・・

ゆるい傾斜の畑をグルグルと周ってしまったのだった。
あれ?案内通りに進んだ筈なのだが・・・
(実は途中で別の案内を見て移動していたようである)

これはいかんと地図を見直し、ようやくそれらしい森を発見した。
この雰囲気は城館があると予想させる。

それにしても見晴らしが良い。
沼田方面が一望でき、麓を流れる利根川や国道17号線を一目で見る事ができる。
では早速遺構を見に行こう。

久々の有名城郭の遺構。
こじんまりとした遺構も好きだが、たまにはこういう巨大城郭を見るのも目の保養になる。

竪堀(?)をコッソリ覗いてみる。
急角度な上にとても崩れやすそうな感じ。
この地形ならもはや竪堀は必要ないな。

崖っぷちである本曲輪は崩落が進んでいるようで、本来の柵よりさらに内側に新たな柵が設けられていた。
落差が軽く100m以上あるここで落ちたら、まず無事では済まない。
それはそうと下はどうなっているのか気になる・・・道路があったような。

他サイトでよく見ていた長井坂城の石碑は本曲輪ではなく三の曲輪付近にあった。
しかも、時間帯が悪かったようで思い切り逆光で撮影してみた。
この城は朝の時間帯の訪問はよろしくないようだ。

城の遺構もそうだが、それと同じように期待していたのがこの関越道の橋。
ダムなどもそうだが、こういった巨大建造物は何故かそそられる事が多い。
さっそくこの橋も堪能する事に。

橋を真下から見上げてみた。
丁度橋脚の耐震工事中らしく、特殊なゴンドラに乗った作業員の皆様がセワセワとお仕事に励んでおいでであった。
このゴンドラって上下に稼動するのかちょっと気になる所だ。

それにしてもあまりの巨大さにしばらく見とれていた。
この橋が実は二車線道路なのだから個人的にその大きさに驚く。
では・・・お楽しみの長井坂城とこの関越道のツーショットを取るべく対岸の台地を登っていく。

長井坂城に吸い込まれる関越自動車道の絵。
・・・ちょっと冴えないな。
地図を見ながら結構いい図になると期待してしまっていたのだが。
っという訳で長井坂城の探訪を終え、次に探訪する城を考えるのであった。
- 2010/10/10(日) 07:30:54|
- 城館探訪の事(群馬県)
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そういえばちょっと有名な長井坂城を見たことが無かったので、見に行くかと思案。
その長井坂城への道中の城を調べてみたら、五郎屋敷なる場所があるという。
ちょっとした寄り道をする為、旧赤城村深山(みやま)へ向かった。

地名の通り赤城山西麓、沼尾川の上流の山深い所に集落はある。
五郎屋敷なる場所は地名として残されているようであるが、実際はどうなのであろうか?

暗い・・・。
林道沿いの道は深い森に覆われており、まず日の差すことが無さそうにさえ思える。
それはそうと車を停めない事には調査は始まらない。
周辺を車にて走ってみると・・・

森を切り開いた上水道設備があった。
この辺りの道なら結構広いので停めても大丈夫そうだな。
かくして五郎屋敷があったと思われる場所へ向かった。

それにしても本当に暗い林道である。
持ち主であった五郎某は落武者であったのだろうなっと想像できる。
っとこの辺りが五郎屋敷らしいのだが・・・

お?堀か?
っと思ったら水のない沢だったようである。
でもここが五郎屋敷の末端らしいので、既に到着したようだ。

うーん、言われてみれば平地になっているようなって感じである。
恐らくただ通っただけでは、ここが屋敷跡とは思えない程地形的には傾斜である。
こんな感じで寄り道は終了した。
そういえば道端に1円玉2枚落ちていたが・・・交番に届けた方がよかったのだろうか?
- 2010/10/09(土) 08:36:49|
- 城館探訪の事(群馬県)
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先の津久田城は遺構があまり残されて居なかった。
ではその烽火台として利用されていたという津久田の砦へ足を運ぶ事となった。

麓から撮影する津久田の砦。
朝日が後光となっている為か、妙に神々しく見えてしまう。
これだけ見るとかなり標高もありそうだが、ここは崖城なので城の背後へ車にて移動する。

関越自動車道の上を跨ぐ中原橋。
その向こうの森の中に目指す津久田の砦がある・・・らしい。

ここからは久々の藪との戦い。
実を言うと間違って北隣の尾根を行ったが何も無かった。
間違いと気づいたのは道路の位置関係と地図の地形の違いである。
結論を言えばこの入口が一番の難関であろうか。
写真中央付近の藪を掻き分けて、内部に侵入すると・・・

伐採した木を下ろす修羅みたいな溝道が現れる。
この道をそのまま下るだけで、城の端までたどり着く事ができる。
にしても10月になったが、未だに蜘蛛の巣が多い。

写真じゃ全然分からないが、通ってきた道は北側に急なカーブを描いて下っていく。
そのえぐり方がちょっと深いので、これも堀跡なんじゃっと思えるほど。

きた、かなり浅くなっているが、堀切(中央)と土塁(右上)だ。
尾根の先端を使っている関係で、どうしても先端の方が低くなってしまう。
それを補う為の土塁なのだと地形を見て分かる。

本曲輪に入り、土塁を振り返る。
確かにこちらの曲輪の方が低い。
周辺の物色してみると・・・

木製の碑が建てられていた。
平成八年に建てた様だが、十四年の年月が経過しても実に真新しい。
その側面に書かれた解説は以下の通りである。
「俗に城山(ジョウヤマ)と呼ぶ 山頂に東西十米 南北七米程の平地で
三方が低い土居で囲んであり 昔の津久田城の烽火台に使用されていた。」
との事である。
しかし、この碑を見た人はどの位いるんだろうか?

城山によく配置されている石祠もあった。
ここへ来るまでの道を思うと、いまやこの石祠も忘れ去られてしまっているのであろうな。
なお、この先は地形が急落しており、堀切を作る必要性がないようだ。
木々に覆われて視野が無かったが、位置的な物を考慮すると利根川の対岸を含めてかなり見渡せた事だろう。
かくして津久田の砦の探訪は終わったが、誤ったルートからここに来た時に渡った竪堀があった。

見た目はかなり狭そうだが、向かい側が落ち葉で覆われていた事もあって飛び越える事は断念した。
しかし、現代の竪堀で本当に遠巻きに来る敵兵を防ぐ成果があるのだなっとこれに遭遇して思った。
- 2010/10/08(金) 07:45:49|
- 城館探訪の事(群馬県)
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本日は妙に群馬の城館跡が見たくなったので、利根川沿いの旧赤城村へ足を運んだのだった。
やっぱりこっちの方は景色が良くていい。
夜明け前に家を出て、寄り道しながら走ってきたので渋川市に到着したのが午前6時半。
国道17号線を進み、子持山麓の伊熊交差点を曲がり利根川を渡る。
最初に目指す城は津久田城である。

なんとなく晴れているので天候は持ちそうである。
地図を片手に津久田城周辺を回るも・・・遺構がほぼない。
駐車場も無いので赤城北中学校の付近に車を停めて歩いてみる事に。

一応津久田城の城内なのだが・・・農地と宅地で遺構はほぼ消滅状態になっていた。
渋川市のホームページにも載っている城館跡なのだが・・・

残されているとすれば北の崖に向かって伸びるこの道ぐらいか。
城が機能していた頃は恐らく竪堀として利用していたのかも知れない。

畑になった二の曲輪跡。
ちなみに本曲輪は本格的な新興住宅地に成り果てて・・・ので写真はなし。

っと周っていたら解説板らしき物を発見!!
だが・・・その場所は・・・

・・・余りにも遠くてまったく読めない。
しかもあの解説板へ至る道すらもまったくない。
農作物を踏み荒らす事になるので、解説板を目の前にして無念の撤退となった。
そうだ、是非
渋川市のホームページに撮影されている津久田城の遠景を自分も撮影したい。
そんな事で北の沼尾川を渡り、北側へ。

何枚か撮影して、ようやく現在の津久田城の遠景を撮影する事に成功。
中央の台地部分が津久田城である。
やはり遠景写真を撮る事は、城館探訪の楽しみの一つである。
- 2010/10/07(木) 07:25:23|
- 城館探訪の事(群馬県)
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今日は天気が良さそうだったので、有休をいただいて城館まがい地めぐりをしてきた。
数ヶ月ぶりになってしまったが、一応城館に関わる名前の所一ヶ所、伝承地二ヵ所という所。
最初の訪問地にて地元の方と話し込んでしまい、結構時間ロスする。
でも「歴史の話を聞かせてもらったから」と畑の栗を頂いてきた。
結構いい栗なので、後で食べるのが楽しみだ。
その後そんなに時間もなかったので、ふらっと車で周って今回はおしまい。
それにしても足腰が弱くなった、もうちょっと筋肉つけないといかんな。
- 2010/10/06(水) 19:34:12|
- 城館探訪の事(埼玉県)
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