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儀一の独り言

中世城館跡を好む儀一が、城館を調査したりした事を語る独り言ブログ。

山口氏館

●山口氏館(埼玉県秩父郡皆野町)
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本来なら良く知られている「設楽氏館」で書いた方が良いのであろうが、実際の設楽氏はここより南に住んでいたという情報もあるので、ここは山口氏館という書き方をする事にする。
何気にここは一度も訪れた事が無かったので、今回思い切り訪れる事にした。

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金沢地区の西光寺の東に金沢川を渡る橋がある。
この付近に車を停め登っていく事にした。
やや交通量が多く、ダンプもかなり通る道なのでぶつけられないか不安ではあるが・・・

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途中までオフロード車なら簡単に来れそうな道が続くが、あまりお勧めできない感じではある。
少なくとも今乗っている乗用車はオフロード仕様ではないので、乗ってこなくて正解であったようだ。

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ここにくる途中で道に迷ったりしてしまった。
案内などがないと里道で迷い易いようである。
なんとか遺構に近づいていくと、運良くご子孫の方にお目にかかる事ができた。
今回のこのタイトルにした山口氏の子孫の方である。
こちらが遺構を探している事を伝えると、色々とお教えくださった。
この場所は本来山口氏が居た場所であったが、世間では設楽氏が居た事になっている事。
それを正そうと皆野町と協議していたが、興味のない人ばかりなので途中で止めてしまった事。
などなどこちらの知らない情報ばかり提供してくださった。ありがとうございます。
・・・しかし、何故にここは設楽氏の館扱いになったのであろう??

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稜線まで行き南に下っていくと『秩父路の古城址(中田正光著)』で紹介されていた櫓台を見つけた。

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道端に停めてある特殊小型車(左端)と比べてみると大きさが・・・思ったより分かり辛い。
この後井戸跡を見つけに行こうと思ったが、上記の本を持ってきてなかったので止めた。

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そして気になるのはその眺望。
ピントの合わせ方が下手で手前の枝にピントが合ってしまっているが、奥の凹んだ辺りが杉ノ峠。
この杉ノ峠であった異変はここから東の天神山城へ伝える事ができると分かった。
改めて視界に何が見えるかを考えるのが山城探訪において必要かを思わされる。

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帰り道は至って簡単だった。
先ほどの特殊小型車の通った轍をそのまま追えば良いのであった。
道も舗装されて無いので、余程急斜面は無く往来できると判断したのである。

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途中で東側(写真の左側)に古道と思われる窪みが出たり、峠道と交錯したりとちょっと面白い道だった。
最悪、北を通る県道前橋長瀞線に出るだけだと思いつつ山道を楽しんでいく。

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その結果、意外な所に出てしまった。
皆野町町営バスの「諏訪平」バス停前に出たのである。
これは車を持っていない人にも(比較的)アクセスしやすい城になりそうだ。

後で調べてみたら石積みなどもあるらしいが、今回は見ず。
それより山道をプラプラと歩くのが面白かった。 続きを読む
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  1. 2011/01/28(金) 07:07:15|
  2. 城館探訪の事(埼玉県)

飯盛山

●飯盛山(埼玉県児玉郡神川町)
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普段から城館跡の情報を提供していただいている『城逢人』の史進氏より飯盛山が砦であるという情報をいただいたので、早速調査に赴いた。
上の写真の三角山がその砦と言われる飯盛山である。

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ただ、ここは一つ問題があって、現在完全にゴルフ場の敷地内になってしまっているのである。
旧神泉村役場にあった航空写真から見てもコースにすっぽり収まってしまっているのが分かる。

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でもこの威容を見るとどうしても行きたい。
旧村役場で聞いた所、このゴルフ場に入れるかゴルフ場に聞いてみないと分からないようだ。
少し考えた結果ダメで元々、単身ゴルフ場のフロント(?)に乗り込み聞いてみる事にした。

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・・・最初の難関が訪れた。
専用道路には既にプレーヤー以外の侵入を拒む看板が設置されていた。
もしかして結構無関係な人が来て、ゴルフ場に悪い印象があるのか?
ここはちゃんと「飯盛山に行きたい」旨を伝えて頼むしかない。
その代わり、断わられたら潔く撤収するようにしよう。

・・・フロントで頼んでみたら、何気にあっさりとOKが出た。
人数と車を何処に停めてあるかを聞かれただけだったりしたが、
ちょくちょく人が来るようになると身分証明書などの提示を求められるかも知れないな。
今回、あくまで部外者であるから速やかに飯盛山の調査を行う事にしよう。

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ゴルフ場内から見る飯盛山。
同じ条件の毛呂山町の竜ヶ谷城は登り口があったので油断していたが、ここは周囲を見渡しても明確な登り口はない。

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山の北東にペンションらしき建物が並んでおり、その途切れた辺りにかっての飯盛山登山口があったようだ。
だが、ここから降りてきた時に服に付く植物などうんざりする植物が覆いつくされていて、かなり参った。
ここを利用する場合はそれなりの藪装備が必要となるようだ。

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それ以外だとコースの脇を通過するぐらいしか道はない。
こちら(南側)は明確な登山道は無いが、多少藪漕ぎ慣れた人であれば簡単にたどり着けると思う。
今回は途中から巻き道が西側を通っていたので西から周って北側に取り付く形で山頂に着く事になった。

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おお!!これはいい腰曲輪。
情報を受けた時、ショボイ遺構しか想像していなかっただけに、かなりテンションが上がってくる。

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そして主郭へ到着。
道が無くなり訪れる人が居なくなった割には立派なお社が建っている。

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南側は土盛りされていて、少し高くなっている、恐らくは土塁があったのであろう。
その上には幾つかの石碑が建っており、信仰の山でもあった事を伺わせる。

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北側は木が無い為に、当時の眺望のよさがそのまま再現されている。
方向は神流川下流方面で、中央付近には金鑽神社のご神体である金鑽御嶽城がある。
それにしてもここからだと視野を遮るものが無いので、実によく見える。

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それでこちらは南側にある腰曲輪。
北側に比べるとやや小ぶりな感じだが、実によく残されている。
これより下に堀切があったかも知れないが、ゴルフ場建設の際土取りされてしまい永遠の謎になってしまった。

それで北側の腰曲輪よりかっての道で降りたのだが・・・先述した通り猛烈な藪に襲われ靴の中は種だらけにされてしまった。
良い遺構が見れたのはいいが、ゴルフ場の敷地内という事もあるので以後訪れないようにしよう。 続きを読む
  1. 2011/01/27(木) 17:01:26|
  2. 城館探訪の事(埼玉県)

両谷城

●両谷城(埼玉県児玉郡神川町)
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林道を通り抜けてはるばる両谷城へ行こうと思って居たが、激しい藪に覆われていたので止めた。
ので再び両谷城の思い出を写真と共に語る事に。

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実はこの城は二回程行っているが、天気の良い日が無いのが不思議であったり。
林道のヘアピンカーブする場所(写真の場所)があり、その付近に車を停めて行くのが比高差が少なく楽な訪問であったりする。
実はここが最近行ったら猛烈な藪になっていたので萎えてしまったのであった。

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先の林道からは城へ少し下るように歩けるので楽チンであったりする。
しばらく尾根を歩くとゴツい堀切が二丁配置されている。

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もう一つの堀切も。
ただ、今から約8年前の写真なのでどの辺りであったか忘れてしまっていたりする。
やはり林道際の藪を押しのけてでも再訪しないといかんな。

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こちらは本曲輪。
雨の降っている中、傘をさしながら見て周ったのが懐かしい。
なお、八月下旬でこの写真のような感じなので、林道の藪を潜り抜ければ年中良い遺構を見る事ができるのかも知れない。

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本曲輪の北に岩場があり、その下が少し雨宿りできるスペースがあったりする。
ただ、北側だから冬場は風が吹いて寒いだろうな。
こういう岩場があったりすると、城がより堅固に見えるから素晴らしい。

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送電線がちょっと邪魔だが、奈良尾峠付近の林道から見た両谷城。
なお名称の「両谷」も要害→りょうがい→両谷と転訛したものだと思われる。
やはりちゃんと晴れた時に再度訪問せねばならないな。
  1. 2011/01/26(水) 07:50:05|
  2. 城館探訪の事(埼玉県)

金沢山城

●金沢山城(埼玉県秩父郡皆野町)
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浦山城まで来たからにはこの金沢山城も遠景を撮っておかねばと近くを通る。

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林道にて風早峠へ赴く。
この付近に車を停めて歩くと結構近い。

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しばらく歩くと削平された場所に到着する。
地図でもみれば分かるが、旧神泉村の矢納集落が一望できる。
また西には両谷城も存在している。

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城の遺構ではないが、削平地より西側の尾根を少し下っていくと写真中央の尖った岩に到着できる。
これを間近で見ると・・・

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こんだけ大きい。
周りから簡単に通り抜けできるので防御面としては利用してなかったと思うが、この城のシンボルとも言えるいい岩だ。

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再び城の遠景を見る。
結構山深い所で視界も限られるかと思いきや、神流川の下流方面の眺望も効くのが分かる。
しかし、居住性という面では優れないので、やはり物見の砦であったと見たほうが良い様だ。
  1. 2011/01/25(火) 07:29:12|
  2. 城館探訪の事(埼玉県)

浦山城


●浦山城(埼玉県秩父郡皆野町)
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個人的には好きな城の一つである浦山城。
今回は遠景のみなので、過去の写真を引っ張り出して懐かしむ事に

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若林館付近から見た浦山城(写真中央付近)
車で浦山集落の奥まで行くと簡単に訪ねる事ができる。

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駐車場完備で、公衆トイレが付いていたが・・・今も使えるかは不明。
この駐車場まで来れば、比高差はそんなに無く楽に訪ねられる。

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「カタクリの群生地」と書かれた案内から登って尾根へ。
そこから東に向かって歩いて行くと遺構と巡りあえる。

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堀切一つ越えればそこは主郭である。
ここにも山城特有の石造物はある。

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堀切もそこそこの規模があって、シンプルながら見ごたえは(個人的に)ある。

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もちろん眺望も効き、物見の砦であった事をうかがわせる。
恐らく当時の城兵も見ていたであろう風景を、現代でも見れるのは感慨深いものがある。

・・・と数年前の思い出に浸っていると、また行きたくなるものだ。
  1. 2011/01/24(月) 06:38:52|
  2. 城館探訪の事(埼玉県)

若林館

●若林館(埼玉県秩父郡皆野町)
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そのまま今は亡き高松城を通り過ぎ、来たのは若林館。
ここは周辺をちょっと通っただけでじっくり見た事が無かったので楽しみであったり。

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正面(?)からグルッと回り込んでみるが、民家があって撮影するのが躊躇われる。
今回も周っただけで遺構についての詳しい踏査はできなかったのであった。
  1. 2011/01/23(日) 07:21:13|
  2. 城館探訪の事(埼玉県)

金崎殿館


●金崎殿館(埼玉県秩父郡皆野町)
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根岸山砦の真下にあったという館跡。
現在は金崎神社・長興寺の敷地になっている。

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こちらは金崎神社本殿。
これからの城館探訪を祈願させていただいた。

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こちらは長興寺。
・・・あれ?城館の遺構は??

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城館跡に関連するものか分からないが、神社と寺の間に小高い塚がある。
これが遺構だったのだろうか?

周辺を見渡してみたが、どうやら遺構は消滅してしまっているようだった。
  1. 2011/01/16(日) 02:50:19|
  2. 城館探訪の事(埼玉県)

根岸山砦

●根岸山砦(埼玉県秩父郡皆野町)
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荒川流域に砦で、堀切があるという噂があるが真相を確かめるべく訪問。

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南面は荒川が荒削りした跡と思える岩壁になっていて、自分はこちらから登るのはほぼ無理。
このまま東側に回りこむ。

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山沿いに東へ歩いていくと十二神社への入口を示す石碑がある。
砦のある山へはこの石碑が目印となる。

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登りは写真の直登コースと比較的緩やかな蛇行コースがある。
少々体力を温存したかったので、今回は蛇行コースでのんびり歩いていく。

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枯葉の滑りに気をつけながら登っていくと、途中で遺構とも思える平場に出る。
山裾は広かったと思ったが、この辺りで両側は急に落ち込んでいる。
その事を考慮すると城戸なのかも知れない。

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十二神社のあるピークに到着する。
上は綺麗に削平されており、中央には十二神社の社がある。

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周りの風景を見る。
南方は眼下の荒川越しに秩父盆地を見渡す事ができる。

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千馬山城は少々奥に入った所にあり、こちらの方面は蓑山があって見ることができない。
そこでこの方面の監視を補う形でこの砦が作られたのがよく分かる。

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西側の標高の高いところにも行ってみた。
こちらは完全に自然地形である上に、北側が緩やかである。

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私見になるが西には宝登山があり、この場所は写真の宝登山に見下ろされる形になる。
そこでこの場所を放置して十二神社のあるピークを選んだのだろう。
つまりは高所に作る事よりあの場所に作る事で目的を果たせているので作っていないという事か。

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さて、肝心の堀切は?
・・・コレの事を指しているのか、大目に見ても土橋という感じであろうか?
自然地形にも見えなくも無いので判断が難しい所。

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ピークを削平したという到ってシンプルな遺構だが、実用的という印象の受ける砦であった。
  1. 2011/01/15(土) 02:07:47|
  2. 城館探訪の事(埼玉県)

南牧の城館跡探訪、その後


笹の平砦後は標高の高い城館跡が多いので、安全を考慮して遠景だけの撮影となった。

●布山城
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笹の平砦より西にあり、南牧村役場の北にある山城であるが、麓から見てもかなり標高の高そうな城。
そもそも今回は聞き込みをするために来たのに、この城の登り口を聞くのをすっかり忘れてしまっていた。

●城の腰の砦
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砥沢城に隣接する山に築かれた砦で、所在地からして東方への視界が悪い砥沢城の補助的役割を果たす砦と言える。
ここと布山城の間は蝉(狭水)の渓谷という深く切り込んだ谷があって、ここの景観を見るのも楽しかった。

●砥沢城
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この辺りで最も遺構の規模が大きい城で、この周辺の城館跡を取りまとめる主要城と思える風格がある。
南牧川と渋沢川に挟まれた細尾根上に築かれた城で、東は麓の砥沢地区から最上部は林道の付近まであるようだ。
主郭に送電鉄塔が建つ予定であったようだが、歴史ある城郭があるので郷土の皆様が頼んで20mずらして現在の位置に作られたという経緯があるそうだ。
ここは範囲が広いので時間を多めに取って探訪するようにしたい所。

●羽沢の砦
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この辺りの城館跡で比高差が少なく、最も簡単に訪問できそうな場所である。
元小学校の辺りがその砦跡で、堀切があるらしいのでここは訪ねようと行ってみた。
学校(写真中央左の白い建物)は今は生涯学習センターとなっており、元校庭は駐車場になっている。
そこの職員さんに城の事を訪ねたら、以前群馬の城郭研究の第一人者である山崎一先生と山城の調査に同行した事があるそうで、山城の事を熱く語ってくださった。
もちろんこの周辺の山城についても詳しく、閉館時間間近の忙しい時間にも関わらず色々とお教え下さった。
今度行く時には時間のゆとりを持って行きたい所だ。

そんな事で遺構だけ見に行ったが・・・
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ちっと写真がブレてしまったが、屋敷跡としての標識があるのでその先に行ってみた。
しかし、途中で道が途絶えて行き方が分からなくなってしまっていた。
周辺も暗くなり始めていた事もあって、遺構を探すのを断念した。
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下から堀切推定場所を見るが・・・これが堀切?
ここからの探訪はまた次回に持ち越しという事に。

●鷹ノ巣城
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こちらは南牧川を下って下仁田の中心街から見える素敵な城。
信号待ちでヒマなので、片手間に撮影したので写りが悪い。
この遠景をみると、この城もきつそうだが訪ね甲斐がありそうな雰囲気がある。

かくしてほぼ遠景のみで今回は終わったが、まだ奥にある熊倉城・熊倉東城・星尾城は遠景すら見ていない。
他にも城の推定地は幾つかあるようなので、またの機会に南牧村に赴く必要がありそうだ。
  1. 2011/01/14(金) 02:02:05|
  2. 城館探訪の事(群馬県)

笹の平砦

●笹の平砦(群馬県甘楽郡南牧村)
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さきの野野上砦でテンションが上がってしまったので、さらに奥に進軍。
次なるターゲットは武田信玄が南牧衆に築かせたという笹の平砦。
さて、結構比高差がありそうだが、どういくか?

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砦の東麓には作りかけ(?)の道があるので、そこを駐車場として車を停める。
この山の形状だと東の尾根から登らないと行けないと思われたのでここにした。

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畑の合間に道があり、これで尾根に取り付く。
ありがたい事に途中まではかすかな獣道があって、それを辿って木の伐採されている比高40mは登る事ができた。

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その木の伐採されている所から小沢城を眺める。
後の山より標高が低くて見づらいがここからでも見えるのが確認できた。

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しばらく登っていくと石祠のある平場に着く。
おそらくは木戸か何かだったのだろうか?
また直ぐ上にも平場がもう一つある。

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しばらく岩混じりの尾根道を通る事になるが、少しでも道を踏み外すと・・・。

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この岩壁から転がり落ちる。
まず命がないので、枯葉で滑らないように慎重に登っていく。

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しばらく登っていくと、ようやく本曲輪に到着。
ついでに櫓台と思われる高まりもある。

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崖っぷちに置かれたこの石祠なんて、地震が起きたら崖から転げ落ちそうな怖い所にあったりする。
でも昭和四年五月と彫られていたので、余程の大地震でない限り大丈夫なんだろう。

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平場は広い、狭い所を想像していただけに驚いた。
堀切は無いが南北は急崖で、唯一の通路とも思える東尾根は痩せ尾根と地形を生かした要害である。

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西側は自然地形にも思える。
自然地形なのもこちら側からの攻め手が考えられなかったという結論であろうか。

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笹の平砦から出た後、再び遠景を見る。
あんなところまで行ったのかと少々ビックリする。
北にある小沢城から信州方面を見るときこの尾根がどうしても邪魔になるので作られたのであろう。
  1. 2011/01/13(木) 22:11:59|
  2. 城館探訪の事(群馬県)

快速地図

今まで最初から手づくりだった城館所在地図を、一枚の画像から作るようにしてみた。
これまでは1枚作成するのに3時間は軽くかかってしまったのでやる気が萎えてしまっていたが、この方法を使用する事によりグングン作業がはかどるようになった。
って事でここ二日で4枚の城館所在地図を作成、このまま城館所在地図表示率100%を目指したい所。

ついでにお気づきの方がいるかも知れないが、当サイトのアイコンを作ってみた。
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一応「儀一」のGをいじりにいじったらこんな感じになってしまったという意味不明な事に。
でもこれ・・・いざ16×16のアイコンサイズにすると白い鳩に見えてしょうがない。
ちっとこの社章の会社なんかがあったら変更せにゃいけないな。

って事で武蔵七党の系図つくりと城館サイトで今日は終わってしまった。
  1. 2011/01/12(水) 18:40:41|
  2. このサイトについての事

野野上砦

●野野上砦(群馬県甘楽郡南牧村)
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大塩沢地区の城館跡付近を回った後、通り過ぎた野野上砦の聞き込みに行く事にした。
事前に集めた情報によればこの山が野野上砦との事だが・・・
とりあえず地図を見て確認等をしていた。

・・・すると散歩中の方に声を掛けられた。
どうやら地元の方のようで、この辺りの山の登り口などを色々と聞いてみた。
広いところが葡萄畑になっていたが、今は放置されているという。
あらら、遺構は葡萄畑になっているのか?それでも確認してみたくなってきた。
「このまま登っていけるよ」という情報を信じ、いざ直登を敢行する。

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30mほど登ったところのピークだが、遺構らしきものはない。
どうやら砦はそのまたむこうの山のようだ。
そのまま尾根伝いに進んでいくと・・・

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猛烈に笹薮に包まれてしまった元葡萄畑へ。
かなり生い茂っているので進むのに30分程時間を要してしまった。
帰るのちょっとうんざりする。

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葡萄畑の猛烈な藪を抜けて、尾根伝いに登り始めた所で古井戸発見。
これも先ほどの人から聞き込みして知っていた。
こう見ると近代でも井戸を使っていたような構造に見えるのだが・・・実際はいかに?

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更に登って空が見える場所に来た。
周辺を見渡してみたが、この辺りではないようで、先が長い。

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おお、やっと堀切にめぐりあえた!
一旦上まで登って周辺の把握をする事に。

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ここは松が生えていて、周辺から見ても目印になりそうだが、削平されたような様子がない。
今度は図面に描かれている尾根を降りる、いよいよ砦の本体にご対面となる。

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わ!結構広い。
もっとショボイ遺構を想像していただけに、不意を突かれた気分だ。

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砦は本曲輪の周囲を腰曲輪が囲む構造で、尾根は強引に掘り切って遮断している。
いや、こんな豪快な遺構にめぐり合えるとは。感謝。

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何気に猫城にも散乱していた謎の薬品の容器も健在。
これってもしかして除草剤かなにかか?

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いや~、それにしても見事に削平されていて、大変美しい。
巧妙さに欠けるかも知れないが、こういう力に任せて削平されている地形も好きだったりする。

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先の方はグルッと回る腰曲輪と2段に作られた平場があって急落している。
いい遺構を見れてあの葡萄畑の猛烈な藪を越えてきた甲斐があったってもんだ。
ここで色々と写真を撮りまくってしまったのであった。

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先ほどの藪を通過するのはこりごりなので、別の道に活路を見出す事にした。
それでここに来る直前に見た尾根筋に来れた。
この辺りは大体が自然地形で、削平された地形は見受けられなかった。
となるとこの野野上砦とは南牧川沿いを監視する目的の砦だったのか?

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進路を北西に向けると堀切のある場所に着く。
でもこれは堀切というより峠道の切り通しの様にも思える地形。
!?
もしかして・・・この峠道を辿って行けば藪を通らず帰れる?

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道なりに北側に降りてきたら予想通り集落のある場所にたどり着いた。
この辺りまで車で上がって来れるので、この集落に来ると良いようだ。

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って事で無事南牧川沿いの道まで帰ってこれた。
記念に入口の場所を撮影しておく。
写真の看板には四ツ又山という山の登山道にもなっているようである。
ついでに野野上砦入口と書いた方がいいかも。

かくして無事降りて来る事ができた・・・それにしても腹が減った。
  1. 2011/01/12(水) 06:13:32|
  2. 城館探訪の事(群馬県)

大塩沢城

●大塩沢城(群馬県甘楽郡南牧村)
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小塩沢屋敷の反対側にあるのが大塩沢城。
人一人がやっと通れる位の狭い道があるという事だったが、よく分からないので車道をテクテク歩いてきた。
そういう意味からも小塩沢屋敷とは対を成していた城なのだろう。

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うーん、崩れている。
一応崩れている所も城跡のようなので、遺構の保存状態はいかに?

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どうやら城へはこの久保坂橋を使って行くのが正解のようである。
なお、この先は携帯会社の電波塔が立っているので目印になるだろう。
数年前までここまで山奥で携帯が使えるなんて想像もつかなかった。
車もここまでは乗り入れできるので、路面凍結を考慮しなければ比較的訪問し易いかも知れない。

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この辺りの地質が崩れ易い為か、石積みの場所が多い。
石積みファンの方々にとって嬉しいサービスがここにも。
今回は入口の確認だけなので、このまま退場する。

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オマケになるが写真中央付近の尾根に物見の平場があるという。
隣りの岩山を見ただけで気が萎えてきたりも。

  1. 2011/01/11(火) 10:18:55|
  2. 城館探訪の事(群馬県)

小塩沢屋敷

当サイトとリンクしている「城跡ほっつき歩き」の和平様が南牧村の城館跡に興味がおありのようなので、先に行って調べてみた。
まずは小塩沢屋敷から。

●小塩沢屋敷(群馬県甘楽郡南牧村)
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下仁田の町を過ぎた頃から山頂に雪がチラチラと。
一応南牧村の主要道なので融雪剤タップリの道をゆっくりと走行。
小沢地区より大塩沢川を遡り、大塩沢集落へ。
流石にここまで来ると道に雪が積もっている。

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畑の傍らに板碑のような石仏があるので、ちょい撮影。

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道路から屋敷跡の所在地を見上げてみた。
民家になっていたので、かなり入るのを躊躇ってしまうのだが・・・

なお、地元の方に聞き込みした所、ここは物見の城として使われていたという。
続きを読む
  1. 2011/01/10(月) 10:04:07|
  2. 城館探訪の事(群馬県)

五味氏屋敷

●五味氏屋敷(埼玉県入間市)
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江戸初期に旗本五味氏の屋敷があったと伝えられる場所である。
現在は東光寺付近が有力視されている。
先の西にある市川氏屋敷と似ており、ここも小高い丘の山腹にある。
その間を古道が加治丘陵を越えており、現在も車の従来が多い。

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鐘撞堂の南は低くなっている為、鳴らせばよく響きそうなイメージがある。
実はそのまま裏山を行こうかと思ったが、無関係者であるので周りこんで行く事に。

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住宅地を通って北側に。
奥には物見台らしき建造物があるが、これは配水場である。
実はこれより東はずっと下っており、東から南西までは低く遠くにある狭山丘陵も見える。

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丘の上は公園になっているおかげで、自由に立ち入る事ができるのがありがたい。
公園化の際に削平されたのかよく分からないが、結構広々している。

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五味氏の屋敷は田谷という所にありと資料にあったが、この谷がそれを彷彿させるような気がする。
それにしてもこのあたりがこれほど景色が良いとは知らなかった。
少々寒かったが、薄暗くなるまでボンヤリと景色を眺めて楽しんでいった。

って事で屋敷に直結する遺構は見つからなかった。
  1. 2011/01/09(日) 20:25:14|
  2. 城館探訪の事(埼玉県)

臨時休暇

今日は珍しく有休をいただき、お休みとなった。
久々の日曜日なので休日しか会えない友人にも会おうかと考えたが、この所山城攻めを果敢に行っていたので家で大人しく寝ていることに。
あと、このサイトの更新も全然してないので少々手を加えておく事にした。

あとPCに設置している蛍光灯があまりにも薄暗く感じてきたので、LEDの照明を買いにいった。
でもスタンドタイプばかりで、取り付けるタイプのLEDランプは無かったので帰ってきた。
明るい環境で更新できるようにしたいものだ。
  1. 2011/01/09(日) 19:58:13|
  2. その他の事

市川氏屋敷

●市川氏屋敷(埼玉県入間市)

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屋敷の跡地は龍円寺にあったとされる。
その南側は霞川が低地を作っており、屋敷は加治丘陵の一部を利用した所にある。

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先ほどの入口から登って振り返ってみる。
ちょっと標高が高く、割と遠くまで見通せるような感じである。
龍円寺の本堂は丘の中腹に建っている。

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なにより気になるのはこの龍円寺の裏山である墓地であろうか。
丘は表面を墓地に塗り替えられてしまっているが、独立した丘の形状は残している。
近くは古道の枝道が加治丘陵を越えており、この丘はその枝道の南を遠くまで見通せる。
何気に気になる地形だ。

関東にやってきた徳川家康の家臣たちは中世期の館跡をそのまま屋敷に利用したケースが多く見られる。
当屋敷もその中世期の館跡を利用した可能性は考えられる。
しかし、現状がこれではもはや地表から調べるのは難しい。
  1. 2011/01/08(土) 20:12:12|
  2. 城館探訪の事(埼玉県)

土屋氏屋敷

●土屋氏屋敷(埼玉県入間市)
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裏で国道16号線が走っており、周辺もだいぶ開発されている。
そんな中、土屋氏・加藤氏の屋敷の伝承のある長久寺は、なんともゆったりとした空気を持っている。

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本堂の東には土屋氏と加藤氏の墓が並ぶ。
後に土屋氏の一族が長久寺の住職となっている。
しかしこれ以外屋敷の遺構を思わせる地形は発見できなかった。
広い境内では子供たちが元気よく遊具で遊んでいた。
  1. 2011/01/07(金) 20:03:08|
  2. 城館探訪の事(埼玉県)

大森氏屋敷


●大森氏屋敷(埼玉県入間市)

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江戸初期の屋敷跡で、大森公民館付近がその屋敷跡であるという。

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南側は不老川(としとらずがわ)によって低地になっており、北側(屋敷側)が自然堤防により若干高くなっている。

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西側を南北に走る公道付近にも土塁らしき高まりがあるが・・・これは遺構?
(実は遺構ではなかった)

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公民館より時計回りに周ってきたら、途中で大森氏墓所への案内があった。

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おお、これはいい宝篋印塔。
武蔵野の数少なくなった雑木林の中に静かにたたずむ所がなかなか。
それにしてもこのあたりも開発が進んで、美しい雑木林がどんどん無くなってきているのが寂しいものだ。

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だいぶ浅くなっているが土塁らしき高まりもある。
このあたりも工場などが出来てしまっているが、今の状態をなんとか保って将来に残して欲しいと思ったりも。
  1. 2011/01/06(木) 19:37:27|
  2. 城館探訪の事(埼玉県)

宮寺館

ようやく(個人的な)正月がやってきた。
となると正月にする事と言えば・・・城館探訪である。
しかし、午前中は私用で費やしてしまったので、時間がない。
そこでちょっと足を伸ばして入間市へ。

●宮寺館(埼玉県入間市)

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村山党の村山頼家の子家平が宮寺郷に住み宮寺五郎を名乗ったのが始まりという。
その有力地としてここ西勝院がある。
早速境内の見学をさせて頂く事に。

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山門の脇には宮寺氏の館を示す標もあり。
宮寺氏の解説を記した案内板は境内にある。
お寺の方に見学をする旨を伝え、早速土塁へ向かう。

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解説板と土塁。
既に南東部分と山門脇ぐらいしか土塁は残されていないが、この保存状態は良い。
しかも外側に若干浅くなっているが空堀がある。

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お寺の方に聞くまで知らなかったが、西勝院の北東にある三ヶ島製材さんの北側にも解説板が。
こちらはガラスケースの中に筆で書かれており、境内の解説板より熱い。

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しかも館跡の図面付きというゴージャスさ。
それにしても「字城腰」っていい名だ。
でもこの図を見ると宮寺館って方形館の概念で見ると矛盾があるような・・・。
戦国期あたりになると西勝院を西端として東に曲輪を作ったのかも知れない。

実は戦国期の後北条氏にも宮寺氏は本貫地を持ちつつ仕えているのだが、
当館は南北朝期には新田氏の配下である加納氏が居住していたりして、混乱がある。
まだ入間市は小字を調査してないので、早々に調べる必要があるかも知れない。
  1. 2011/01/05(水) 19:16:59|
  2. 城館探訪の事(埼玉県)

新年の贈り物

今年の正月はずっと仕事。
それゆえか職場でお蕎麦を振舞ってもらえた。

助かった、数時間も外と同じ様な気温の部屋で仕事するので、体がジンジン温まる。
オマケに正月菓子までお土産にもらったり、ありがたし。

おかげで気持ちも心も温かくなって帰宅したのであった。
  1. 2011/01/03(月) 18:21:20|
  2. その他の事

謹賀新年

いつの間にか年が明けてしまったという感覚の最近。
仕事帰りにちょっと遠回りして初日の出の隠れたスポットに行ってきた。

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2011年最初の朝日、毎年関東はいい朝日が上がってくれるので助かる。
そういえば今年はウサギ年、多くの城館跡に飛び回りたいものだ。

  1. 2011/01/01(土) 18:17:20|
  2. その他の事

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