このブログでテレビネタをやるのは初めてかも知れない。
テレビ自体あまり見ないというのもあるが、そもそも仕事を夜やっているのも要因なのかもしれない。
んで本題へ
木曜日の深夜、ついに見てしまった。「へうげもの」 →
公式サイト
織田信長家臣の古田織部の茶器に対する情熱をとてもユニークに描いた作品。
様々な名物(茶器など)に対して当方では表現しきれない解説と共に恍惚の世界に行ってしまう様をよく描けていると思う。
ジャンル的にはオーバーな表現をするグルメ漫画の茶器版という分け方をした方が分かり易いか。
BSが入ってるのが我が家で一ヶ所だけなので見るのが少々大変だが、最近のアニメは絵が綺麗になったものだ。
もし次回も忘れてなければ見てみることにしよう。
城館跡でもあのくらいの表現力があれば、面白く解説できるのかなっとも思えたり。
スポンサーサイト
- 2011/04/23(土) 13:22:12|
- その他の事
-
-
最近カーナビ使っていて思うのは小さな記憶某体を使っていると、日常生活で無くし易いんじゃないかという事。
今でこそ手元にあるのも、道路情報などが更新されたと思う1ヶ月ほど経ってから出し入れしている。これが毎日出し入れするのであれば、もう少し大きい物でないと知らぬ間に落としてしまうんだろうなって思う。
現にこれより大きな物を落として無くした身分としては、ふとそう思うのだが・・・
代わりに大きな入れ物でもあったらそれに入れた方が良さそうだ。
- 2011/04/22(金) 18:45:00|
- ふと思う事
-
-
更新速度があまりにも遅すぎて死んでるサイトに見られがちな我がサイト。
久々に更新内容をアップデートしてみた。
今回は埼玉県狭山市、調べると更に泥沼にはまりそうな気配だったので、いっその事アップデートしてみた。
他にも大まかな形だけは出来てる市町村があるのだが、イマイチなのでアップデートする気になれない。
最近資料にかかる金額が段々拡大傾向にあり。
被る内容でも筆者の見解によって様々な面が見れるので、ついコピーしてしまう。
コピー代もそうだが、本に付属している紐のしおり(?)が実に厄介。
コピーをこの紐のお陰で文字が隠れてしまい、2回ほど失敗。
人類から尻尾が無くなったのと同様に、本にも紐のしおりも無くなるべきなのか?
でも使ってる人はいるのだろう。
(本来、書籍はコピー用に作られていないので、あっても問題ない)
資料読みふけるのも飽きてくるので、そろそろのんびりしてみようか。
- 2011/04/21(木) 11:09:19|
- このサイトについての事
-
-
先週に引き続き狭山市の城館調査をする。
今朝は曇っていたので天候はどうかと心配したが、日中はよく晴れてくれた。

途中で柏原で一休み。
特にこの柏原高原(と勝手に命名)の広々とした風景は実に心癒される。
たまに自衛隊の飛行機が飛び立っていくけど、鉄塔と青空がマッチしていてとても良い。
ちょっと距離を歩いたが、大変のんびりできた1日だった。
- 2011/04/20(水) 20:37:09|
- 城館探訪の事(埼玉県)
-
-
今日は突然の有休をいただき、休みになった。
休みになったのはいいが、外が雨降っていて城館跡の調査に行く気になれない。
こんな時は家でまったりと寝るに限る。
・・・結局、かなりの時間寝てしまったのであった。
- 2011/04/19(火) 20:02:07|
- その他の事
-
-
資料を集めて時来たりとぶらり狭山の城館跡を訪ねる。
明確な遺構は「城山砦」でお馴染みの柏原城ぐらい。
だが、中世期の城館跡の香りはここのみならず、市内の所々から出てくる。

調査のついでに柏原城の周りをちょっと通る。
城の脇には桜があり、手前の畑が大変いい光景を描いている。
この光景いつまでも残していて欲しいと願うばかり。

青柳地区の氷川神社の鳥居より。
桜の木と赤い鳥居がとても合っていて良い。
既に境内の桜は散り始め、桜吹雪が風に乗ってあたりに舞っていた。
って事で資料を幾つか入手し帰宅したのだが、さらに難問が・・・
奥富地区で源義家が奥州平定の帰路でこの地に一族を置いたという伝承。
これは戸張の地名がある所に求めてよいのか謎だ。
また入間市藤沢は源氏の落武者である藤沢二郎影親という武士がいたという伝承。
入間の小字を調べても直接館跡を示す地名が見当たらないのでこちらも苦戦しそうだ。
他に「中内手」「前内手」「四郎館」という小字もある事がわかり、
狭山・入間地区の城館調査はますます混戦の様相を呈しているようだ。
- 2011/04/14(木) 20:30:32|
- 城館探訪の事(埼玉県)
-
-
今日は埼玉県内の城館跡の調査に行きたかったが、資料を読み直す事になってしまった。
たまたま我が家からは桜の咲く所を望む事ができる。
そろそろ散り行く桜を見ながら資料を読み直す事も、また味わい深い。
って事で近日サイトのアップができるといいな。
ちっと更新が進んだら、自分のサイトの文面を某翻訳サイトで英語化してみる。
これがちょっと面白い、更に面白いのが元の日本語に翻訳する時。
以下に挙げる内容が分かればあなたは立派な日本史好き・・・かも。
のに対して 上のその親の死取りがジョシュウにジョシュウに武装した後に新田義貞の子供である1352年、ヨシオキ、およびヨシムネ兄弟において兄弟が、1352「カノで暴動を起こしてください」のうちのものによって血族の口論をしている足利尊氏とヨシナオ 、そして、戦いが取り外したムサシノ。 仲間が10万人の兵士に含められていた南ヨコヤマ仲間〈早く朝、コダマ 村山仲間などの仲間、黄褐色の仲間、およびムサシ7の仲間 の〉とイノマタ。
イシハマは、兵士および彼が、ヨシオキとヨシムネを、南北、鎌倉から免れられて、北にあり、フィールドをムサシノに持って行ったヨシムネで狙いを取ったタカウジに分かれたと知っていた時を配置しました。 結果北法廷のタカウジがイルマガワを同時に開始したこととKotesashiフィールドとコマによってフィールドとも強烈に戦ったことと勝ったこと、および鳩山町の笛吹峠への左のヨシムネ軍隊。 ヨシオキおよびこのリポートを聞き、またサガミのカワムラ城に退却した役員と人の後でそれがエチゴに降りかかった鎌倉の他。
ムサシ それを上記に与えた7の仲間と南法廷人、およびそれによって並ぶ Kawakoe、Edo、トウシマ、コマカネコとのこのムサシノ戦いで切望している およびたとえ私がかさかさいっていても、私は タカサカおよびムサシ戦士の間の北法廷人のための他 それを持っていました。
面白いのが武蔵七党が「ムサシ7の仲間」になる事。
まぁ、意味は合っているとは思うが・・・法廷人って凄い変換だ。
- 2011/04/13(水) 13:16:34|
- 研究の事
-
-
最近職場では掃除をする事が多くなった。
勤務時間が長くなったのもあるが、実はそれほど仕事量は増えてないという事であったりする。
「普段使っている職場だから」という感じで掃除を色々としてみると、色々と思う事が出てくる。
こうして心を澄ませる事も必要だなっと思う。
もちろん城館関連の雑念もたくさん出てくる。
遺構に隠された中世期の真実、ヒントは正に現代まで残された遺構ぐらいしかない。
「何故この城はここに築かれたのか?」とか「他の城館同士の関連はいかに?」など
不思議な事に職場で掃除をする事によって、なんとなく仮説が浮かんでくる。
もちろんその仮説がどの位真実に近いのかも、これから調べていかねばならない。
でも城だけを追い求めていても見つからないヒント、これは天啓という物か?
個人的には掃除をしたりする事に対する「ご褒美」として受け取っている。
こういった仮説を立てる事も、城館の事を調べる上でのモチベーションアップに繋がる。
これからも時間を見て掃除をするように心がけたいものである。
- 2011/04/12(火) 13:00:33|
- その他の事
-
-
今日は昨日入手してきた資料を読んでいた。
当方はずっと埼玉県周辺にこだわって城館調査をしてきた方であるが、他の地方になるとそれなりに事情が変わるので読んでいて面白い。
また資料の書き手によってはグイグイと引き込まれる資料もあるので、油断をしていると数時間すぐに経過してしまうのも恐ろしい。
でも面白いので読んでしまう。
情報は手に入ったので甲州の味わい深い山城を一丁見に行って見たくなるものだ。
- 2011/04/08(金) 04:23:49|
- 研究の事
-
-
今日は母上殿を乗せて、はるばる山梨県北杜市へ訪れた。
何故に訪れたのかと言えば・・・城館関連の資料を入手するためであった。
のんびり車で移動していくと・・・せめて一ヶ所は城跡行きたいって思いに。
そこで思い立ったのはまだ未訪問だった新府城へ。

新府城北側でなにやら試掘調査が行われていたが、気にせず狭い県道を通って城へ。

石碑もあってかなり良いが、狭い道と登りに母上殿は少々お疲れ気味に。
道無きまがい地めぐりに比べたら全然楽なのだが、慣れない方だと大変なご様子。
そんな事で誰が名づけたか乙女坂を登って本曲輪へ。

本曲輪をぐるりと回って、南の遺構に着いた時。
「あ!」と声を出す母君、はて?何かあったのっと訪ねるとミツバやヨモギがたくさんあるから採りたいとの事。
散歩をしていた母君はその辺りにある草を刈りだしはじめた。
ふむ、その間に新府城の遺構を拝見してきた。

ふむ、これが武田氏流の丸馬出か、思っていたより規模が大きく見ごたえがあった。
あと所々の遺構をとくと拝見。
って母君はそろそろ待ちくたびれているかなっと戻ってみたら・・・まだ草刈中。
母君曰く「ここは面白いわね」との事、まさか城跡で食用の草刈を始めるとは想像も付かず戸惑うばかり。
持ってきた袋一杯に草を刈って「また来たいわね」ともおっしゃる。
ふむ、退屈しなかったのでこれで良しとしよう。
その後北杜市の図書館に行き、お目当ての資料をゲット。
もちろんその周辺の城館跡の資料も忘れず取得し、とりあえず今回のミッションは終了。
その間、母君は当方の車を使って色々と見て回られたようだ。
その後もう一ヶ所別の図書館にも行き資料を得て帰宅。
どうやら自分と同じで母君も遠くに行って色々と見るのが好きな事が判明。
ソロの時より城館探訪ができないが、こんな親孝行でよければまたお連れしたい所だ。
・・・さて、大量に仕入れた資料を読みふけるか。
続きを読む
- 2011/04/07(木) 21:47:20|
- 城館探訪の事(山梨県)
-
-
今日は大変お日柄が良い休日だったので、入間郡内の城館資料を集めてきた。
以前目を通したと思っていた資料でも、今見てみると結構抜けがあるのに気付いた。
それにしても角川の地名一覧って辞書はいい。
かっての村名で小字が網羅されているというのは驚いた。
小字の所在地まで詳細は分からないが、それなりの手掛かりになるので助かる。
都心部に程近い県南の城館探訪の際に、きっと役立ってくれるだろう。
それにしても点々と桜が咲き始めてきた。
もう春だ。
- 2011/04/06(水) 21:11:05|
- 研究の事
-
-
今週の休みから通常の流れに戻るようである。
労働時間が短くなって色々と出来ると思った矢先だけに、ちょっとガクって気分なり。
ここ数日城館探訪するのに適した天気でちょいと悔しい。
天気のいい日は遠くの有名な城館跡に行って、遺構をくまなく歩いてみたいものだ。
って事でそろそろ作戦を練って出陣をしようかと目論むのであった。
- 2011/04/05(火) 12:08:49|
- その他の事
-
-
地震の影響により就業時間が短縮されて早1週間程経過した。
とはいえ今までが妙に長い時間だっただけで、今はまともな8時間労働になったわけである。
そうすると・・・家に居る時間が長くなる。
長い時間居ると色々としてしまう。
そんなこんなで昨日はネット動画を見ていたのだが、中でも強烈だったのは先の地震の津波動画
以前の津波に対するイメージでは海岸に打ち寄せる波の巨大ヴァージョンだったのであるが、
今回の津波は急激に水位が上昇し、あたかも水道で注いだバケツの水があふれ出すようなイメージ。
これにより津波に対するイメージは革命的に変化してしまったのであった。
車に乗ったまま津波に飲まれる人、人を救助するのに逃げ遅れた人・・・
もう過ぎた事ではあるが、「早く逃げてー」っという気持ちで一杯になってしまう。
津波がが起きた時は車では逃げず、走って近くの鉄筋製ビルディングの最上階に非難するのが正解のようだ。
この手の画像ばかり見せられてると・・・確かにトラウマになるかも。
- 2011/04/04(月) 09:33:29|
- その他の事
-
-
当サイトの楽しみの一つに「皆さんがどんなキーワードで検索しているか?」という楽しみがある。
これがまた色んな言葉で調べられているので、ちょっと見ていて楽しかったりする。
そんな中「伝承が伝わると言うか?」で検索された方が居られた様子。
うーん、確かに伝え承るから伝承なんだろうから、よくよく考えてみると「伝承が伝わる」って、
「頭痛が痛い」と同じ表現になってしまいそうだ。
何気に当サイトの更新の際もこの語句の使い方をしている所もあるので、
見つけたら修正しておかねばならないな。
っと思わぬツッコミにハッとされた儀一であった。
- 2011/04/03(日) 10:08:42|
- ふと思う事
-
-
先月の震災後に盛んにTVに流されていたACのCM。
実は震災後に作成されたCMが我が家で少々問題に・・・。
実はSMAPの面々が出た後に出てくるにやけたオッサンが、
我が家で大変不評だったりする。
「日本の力を信じてる(ニタ~)」って感じで話しているように見えるので
我が家ではそのCMから目を背けるようにしてしまっているのである。
流石にSMAPなら分かるが・・・トリを務めるあのオッサン何者だ?
ちょっと表情に気をつけた方が良いかもしれない。
- 2011/04/02(土) 10:01:36|
- その他の事
-
-
4月に入り段々と春の訪れが来たなっとつくづく感じる今日この頃。
今年もハンパじゃない量の杉花粉が漂っているものの、花粉症にならずにほっと一息という所。
さてさて、一年前から昨日3月31日まで城館の調査で掛かった経費の統計が出た。
各図書館で集めた資料のコピー、移動に使ったガソリン代、購入した城館跡関連の資料を
一括して「城館調査費」として統計をだしていた。
その結果、昨年度に掛かった費用は、おおよそ43,000円也。
ただ、調査中での昼食代は含まれていないので、実質上5万円行くのかも知れない。
年間を通じてそんなに経費が掛からなかった理由としては、新しい車の燃費が良い事と
城館の調査に出かけない時期もあったからと推定される。
これを基に月々の城館調査費にかかる費用を4000円台として頭に入れているだけでも
一回の調査に熱がこもってくる・・・のかも知れない。
昨年度はやや支出が多かったように感じられるので、もう少し支出を抑える方法を検討する必要がありそうだ。
- 2011/04/01(金) 06:14:51|
- その他の事
-
-