儀一の独り言

中世城館跡を好む儀一が、城館を調査したりした事を語る独り言ブログ。

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目の上のタンコブならぬ・・・

こめかみにおできができた。
これが微妙な位置にあって、帽子を被ると当たって痛い。
早々に治ってくれる事を希望したりする。

今日は一日不安定な天気だったので、出かけずに家で寝ていた。
最近思うのは蒸し暑い晴天の続く日より、こういう天気の悪い日の方が疲れの出方が大きいという事。
気温が低くて快適なので、寝るには丁度いいのが救い。

当サイトの改造計画がちょっとあって、それを少しずつでも進めていこうと思っている。
いわゆる「マイナーチェンジ」みたいな地味な作業なので、ちょっと退屈な作業だ。
でも今後も城館跡の調査をしていく上で必要な作業だとも思っているので、地道にやっていこうと思っている。

もう7月も終わり、1年が早く感じる。
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  1. 2011/07/31(日) 20:48:31|
  2. その他の事

城館ブログのジャンルって?

よくサイトのジャンルを選ぶとき、城館探訪ってどのジャンルになるんだろう?と思う事がよくある。
旅行とも言えるし、学問とも言える。
他の城館サイト様がどのジャンルに所属してみたのか分からないが、一応自分は「その他」に入れてみた。

マニアックな趣味を持つとこういう所で悩む事が多いような。
  1. 2011/07/30(土) 07:03:57|
  2. このサイトについての事

大井氏館(埼玉県ふじみ野市)

現在では「ふじみ野市」になった元入間郡大井町に、大井氏の居館があったという。
前々から行きたいとは思っていたが、なんとなく行く機会を逃していた。
ついでに近くの「五輪山」とやらの調査も並行して行う事にした。

resize6171.jpg
大井氏館の近くには「東原親水公園」なる施設があるお陰で、車の駐車スペースには困らなかった。
大井町はそもそも武蔵野台地の真っ只中にある為、昔から水を得るのが難しかった地域。
川の水も本当に少量で、井戸は深く掘らないと使えない。
故に台地という地形は中世期にのみならず人が生活するには不便な地形であった。

resize6161.jpg
先ほどの駐車場より50m程で貴重な井戸の復元がある。
ちゃんと門があるが、鍵はかかってないので入れる。

resize6144.jpg
なんとも力の入った石碑(?)だ。
その復元した「大井戸」とはどんな井戸だろう?

resize6145.jpg
これがその復元大井戸。
近くの解説板に色々と書かれており、大井の地名自体が「お井ど」から転訛したもののようだ。
「御」と尊称をつけるぐらい、この地では井戸がありがたい存在であった事を思わせる。

resize6160.jpg
更にちょっと歩いて川越街道沿いにある「徳性寺」には、板碑が安置されている。
この山門の入ってすぐ左側に板碑はある。

resize6158.jpg
それほど大きなサイズではないにしても、板碑があっただけありがたいと見るべきか。
なお、この板碑の側には更に小サイズの板碑が大量に置かれている。



・・・あ、五輪山の調査を忘れそうになった。
ついでに謎の五輪山へ赴く。

resize6153.jpg
『埼玉県の中世城館跡』に印が付けられた場所は、宅地になってしまっていた。
こちらは手元に資料がまったく無い為、「五輪塔がたくさんある山?」程度の認識しかない。
一応新しく住宅が造成された一画に「従是川越迄二里十八丁」と書かれた碑がある程度であった。
余談ではあるが川越街道は武士など身分の高い者が主に使う街道で、町人などはいちいち頭を下げるのが面倒だったのでこの川越街道を避け、より東にある道を使って行き来していたようである。

中世期の遺構は特に見当たらなかったが、井戸や板碑があるだけ良かった。
かくして次の場所に移動するのであった。
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  1. 2011/07/30(土) 05:08:18|
  2. 城館探訪の事(埼玉県)

八月に遠征計画

八月に有休を頼んだら見事にいただけたので、思い切り遠くの城館跡を見てこようと思っている。
さて?遠くって言っても多くの城館跡があるのだが・・・
先に埼玉県にゆかりの多い所から訪問していこうと思っていたり。

予定としては夜行を使って移動と宿泊を兼ねて、更にレンタカーを使って機動的に動く予定。
丸二日フルに動けるようにして、再び夜行で帰るものなり。
ただ、夜行の時間が遅いので、それまで何をして待機しているかが問題だったりも。
調べてみたら図書館も夕方6時で閉まるみたいなので・・・それまでどこかで仮眠か?

もう決行日は一ヶ月以内になっているので、予約関連は早めに行っておく必要がありそうだ。
予約もそうだし、事前の予習も必要であろう。
って事でしばしネット検索で情報を収集するのであった。
  1. 2011/07/29(金) 05:34:02|
  2. 研究の事

勝瀬氏館(埼玉県富士見市)

富士見市の北部勝瀬には中世期に勝瀬孫六の居館があったという。
実はここ、一度は訪れた事があったものの、遺構がどうだったか忘れてしまったという。
なので再認識の意味で立ち寄った。

resize6286.jpg
勝瀬の交差点が一番の目印かも知れない。
勝瀬氏の居館の小字は「鍛冶海戸」でやはり「垣戸(かいと)」が絡んだ小字になっている。
ちなみに道路を挟んで西側の小字は「屋敷廻」である。

resize6288.jpg
民家がびっしりだった記憶があったが、訪ねて見ると中央付近は畑になっていた。
家がビッシリ建ち並んでいたイメージは果たして何処の館跡だったのやら?

resize6291.jpg
館跡にはご丁寧な手書きの案内板が・・・
っても勝瀬氏館に関してではなく、榛名神社への地図であった。
その榛名神社に行く人が間違ってこの辺りをうろつくのか?あるいは道を聞いてくるのか?
地図を描いて掲示しておく辺り、需要があったのであろう。

resize6292.jpg
なんだかんだ歩いて、結局北側の道路脇に土塁らしき高まりを発見。
道路脇なんで自然に土塁の高さを見つめる事ができるのが素晴らしい。
おそらく堀は現在の歩道となって埋没したものと思われる。

resize6295.jpg
土塁のある辺りを別角度から望む。
堀も残っていてくれれば・・・なんて思うが、土塁が残されているのだから有り難いと思う。
地権者次第だけど、このまま当時の土塁を残していって欲しいものである。


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  1. 2011/07/28(木) 04:28:30|
  2. 城館探訪の事(埼玉県)

上南畑字本村内手(埼玉県富士見市)

富士見市の小字もしっかり調査したのでそちらも萎えない程度に並行して行う事にする。
大字上南畑には小字として「本村内手」と「上内手」の二箇所がある。
内手・・・この地名を聞いて行かない訳にはいかない。
かくして遺構すらなさそうな新河岸川沿いに到着した。

resize6277.jpg
上南畑地区のこの公民館のある辺りが本村内手だという。
この周辺は果樹園と田んぼと民家が入り混じっていて、ちょっと見ただけだと遺構は無さそうだ。
resize6279.jpg
今度は上内手と言われる付近を望んでみた。
うーん、ここも果樹園やらになっていて遺構は到底なさそうである。
近くで作業していた方に伺った所、この辺りの果樹園は梨がなるそうだ。

resize6283.jpg
ちょっと見晴らしの良さそうな堤防の上に立ってみた。
中央を流れるは新河岸川である。
堤防の上からちょっと見渡してみたものの、やはり中世期の城館跡に繋がる物は見つからない。

resize6284.jpg
当たり前のようだが、民家のある辺りは河川より高い位置にある。
かっては堤防が無かった訳だが、川が作り出した「自然堤防」によってある程度水害が防げたのがなんとなく分かる。
流石はまがい地だけあってそう簡単に城館跡の名残を見つけさせてくれない。

って事でここを後にしたのだった。


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  1. 2011/07/27(水) 06:15:28|
  2. 城館まがい地の事

大久保城(埼玉県富士見市)

富士見市の北端に大久保城という中世期の城がある。
その地は荒川と新河岸川が接近し乱流した地域で、大久保城の地形は二つの川に挟まれながらも小高くなっている。
昔から交通の盛んな地であったようで、現在もしきりに車が往来している。

resize6266.jpg
この辺りが大久保城があったとされる地域で、小字も「金子街道」という。
ここより南に居住していた難波田氏は元々金子氏の出である事から「金子氏の垣戸」という意味が含まれているのだろうか。
びん沼川は河川改修を行われる前の荒川であり、その乱流する流れに当時の暴れ川の面影を感じることができる。
写真手前の河は今でこそびん沼川となっているが、実際は新河岸川の放水路として新たに作られたものであろう。

resize6270.jpg
東大久保の交差点を越えて長往寺を訪ねてみる。
このあたりは字上手で、こちらも中世城館跡に馴染みのある地名である。
が、思ったよりお寺の本堂が新しいのでちょっとガッカリ。
建替えた可能性もあるが、寺の縁起などを調べてないのでなんとも言えず。

resize6269.jpg
寺の脇の県道沿いには暗渠化されて歩道になっている水路がある。
なんとも意味ありげにも思えるが、城館遺構というより灌漑水路であった可能性が高い。

resize6272.jpg
東大久保地区の西に接して低地があり、これがかっての新河岸川であったという。
明治時代まで江戸と河越を水運で結んでいた河川の姿は、草(芦?)が生い茂る低地となっている。
ここを幾たびも荷を積んだ舟が行き来していた事など難しい。

やはり中世城館跡を思わせる遺構は喪失していたようだ。
今回再訪問して思ったのは新たに作られたびん沼川の放水路に大久保城があったのではないかという仮説。
最近自分が愛用している明治時代の地形図「迅速測図」にはこのあたりはしっかり繋がっていて、民家も数軒建っていたように描かれていた。
丁度河川と街道が収束する地だけに交通の監視をするのにもってこいの地形で、今掘られているびん沼川に遺構があった可能性も考えられる。
とはいえ既に地形は変わってしまっている現在、想像でしか事を言えないのがもどかしい所である。
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  1. 2011/07/26(火) 03:56:19|
  2. 城館探訪の事(埼玉県)

旧花園町の城館リスト

を今日アップした。
花園町は前半は猪俣党、後半は鉢形城兵と色々とあったが、今後分かった事は後ほど加筆修正するとして現時点ではこれで。
今回猪俣党の武士たちを調べていたら、またあっち方面への調査が必要になってきた。
調べれば調べるほど出てくる中世武士たちの足跡、追えば追うほど出てくる気がしてきた。

また既にアップしてあるページも手直しが必要になってくるな。
  1. 2011/07/25(月) 20:56:33|
  2. このサイトについての事

ブログいじり

何気にこのブログに「拍手機能」がある事に気付き、つけてみた。
「コメントするのが面倒だけど、感心したんでちょっとしたリアクションしたい」って人に丁度いいかも知れない。

あとこのブログも色々改造したいところがあるのだが、ヘタにいじくると余計に崩れてしまうという。
なかなか難しいものね
  1. 2011/07/25(月) 06:13:58|
  2. このサイトについての事

ちょっとトラブル続きでバテた

昨日「マラソンが好調」みたいな事を書いておきながら、仕事はトラブル続き。
最後の最後でしてやられて、退勤するまで油断できない勤務状況であった。

かくして休日ながらも、城館跡から離れてまったりしようかと。
物置にしまってあったCDを持ち出し、PCに掛けて聞いている。
でも・・・CDと認識してくれないCDもあって、かなり凹む。
裏面は見た目では傷など付いてないのだが・・・何故に認識されぬのか?
車のCDプレイヤーで後で試してみないといかんな。

なんてのんびりやっていたら、テレビのアナログ放送が終了していた。
合理化の為に撤廃したような印象もあるが、裏で何が行われているのか?
最近は「便利で快適な」とかいう調子のいい言葉に裏があるように思えてきてしまっている。
ああ、今日は久々にネガティブな文面書いてるな。

夜、東京スカイツリーの建設ドキュメント番組見た。
この間酒飲んで裸踊りした人が司会やってたけど、内容はなかなか面白かった。
今日は久々に城館関連の事を触れなかったが、たまにはこんな日もあっていいのかも。

  1. 2011/07/24(日) 05:50:00|
  2. その他の事

マラソンは順調なり

今週は台風が来ているために数日お休みしたが、マラソンは順調に続けている。
先月辺りに始めた時から比べて、段々走行距離が伸びているのが分かる。
あと段々短い距離では息切れしなくなってきた。
それどころか「もうちょっと」って感じで段々走る距離を伸ばしたくなってくる。

マラソンと目標達成にはなんとも近いものを感じる。
走る距離を決め、段々長距離走る内に息が苦しくなってくる。
そして苦しいながらも走り抜けた時、目標達成という充実感に満たされる。
そんな事もあってか、段々マラソンするのが楽しくなってくる。

疲れるけどその後じっくり寝る事ができるのも嬉しい所。
マラソンを始めて「深い眠り」というのが体感できるようになってきた。
来月、再来月には更に長距離走れるようになっていきたいものだ。
  1. 2011/07/23(土) 06:34:05|
  2. その他の事

福岡城(埼玉県ふじみ野市)

現在の「ふじみの市」の東端に福岡城があった。
通称「城山」と呼ばれ、井田実氏の著作『城山と富永善左ヱ門』が特に詳しく調べている。
今回は同書を手にしての訪問である。

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まずは福岡城の遠景。
水田の奥の集落が城山と呼ばれている地域で、周辺より若干高まりを見せている。

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明確な遺構は特に残されていないものの、複雑な形状の道を見たら古くからの道の名残と見れる。
これが福岡城と直結するものであれば良いが、特にそういったところは見受けられない。

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これもかっての土塁?っと思わせる地形である。
更に向こう側の民家の北側はちょっとした土盛りがあるので、城の遺構なのかも知れない。

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集落の西端の道には板碑が安置されている。
中世期にのみ流行した板碑であるが、それはこの辺りが中世期にゆかりのある地域であった事を示すので、城館跡の調査に板碑のある場所は参考程度の情報源になる。
(ただし、板碑は持ち運びができるため、それが発見された場所=供養された場所とは限らない)

今回福岡城は二回目だったが、やはり城館跡に直結するような遺構は残されていないようである。
って事で次の場所へ向かう。
続きを読む
  1. 2011/07/22(金) 06:08:04|
  2. 城館探訪の事(埼玉県)

川崎遺跡(埼玉県ふじみ野市)

元上福岡市川崎地区には「川崎遺跡」と呼ばれる複合遺跡があった。
前々からその所在地は知っていたが、行く機会が無かったので行ってみた。

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台地の西下方にある葦原中学校付近より台地を見る。
せいぜい高さは2m以内であったりする。

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市街化の進行が著しい旧上福岡市内でも、この辺りまでくると広い畑が残されていた。
既に発掘調査はされているかも知れないが、宅地になっていなければ生きてる内にその謎が明らかになる機会があるだろう。

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川崎遺跡のほぼ中心付近には川崎氷川神社がある。
周辺が畑なのでポツンっと建っているようにも思えたりする。

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境内にある看板には以上の事が書かれている。
川崎遺跡の内容は主として縄文時代の遺構のようである。

川崎地区はその名が示すとおり川に突き出るように台地が飛び出している。
この周辺には寺尾城や福岡城といった中世城館跡が新河岸川沿いにある。
そしてこの川崎地域は上記の城の中間ぐらいのところに位置している事を踏まえると河川掌握の砦ぐらいはあったのかも知れない。

って事で次なる場所へ移動するのであった。
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  1. 2011/07/21(木) 06:56:40|
  2. 城館探訪の事(埼玉県)

砂久保字陣場(埼玉県川越市)

砂久保陣場・・・きっとこれを聞いて砂久保陣屋の方を思い出す人が多いと思う。
しかし、今回は中世城館跡と認識のある「砂久保陣屋」ではなく、「字陣場」の訪問なのである。

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その場所は川越市福原中学校から東に600mほど行った辺りにある。
ちょこっと雑木林が残されており、傍らから関越自動車道を通行する車の音が絶えず聞こえてくる。
地形だけで言えば北に向かって緩やかな傾斜になっている。
仮にここを本当に陣として利用したとすれば、北方に対する備えのように思えてくる。

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さっきの写真より北を向いて撮影してみた。
今でこそ民家などの建物が点在しているが、中世ごろであれば雑木林か原っぱぐらいしか無かったと想像できる。
「まがい地」巡りで遺構の期待は禁物だが、ちょっとぐるっと回ってみたい。

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傾斜地の上の方はまだ武蔵野の緑がよく茂っている。
この道沿いのこの地形なんか見ると林の方がやや高い感じがする。

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一歩林に入ってみると、そこは古く懐かしい武蔵野の雑木林が広がっている。
どんどんこういった雑木林が失われている、いつか武蔵野の雑木林なんて死語になってしまうおそれも。
もちろん城館跡と思える地形は無い。

って事でここでの収穫はなし。
思うに一時的にここに陣幕が張られた程度の物で、土木作業などは無かったのではないかと思う。
でも「陣場」は古に戦があった歴史を示す物だから、後世までその事を残して欲しい所。
続きを読む
  1. 2011/07/20(水) 06:25:15|
  2. 城館まがい地の事

台風は一時の休息

思い切り台風が来ているので野外活動はムリ。
まぁ、ゆっくりするのもいいだろうと思いきや、ムチャクチャ蒸し暑い。
物事上手に行かないものだ。
  1. 2011/07/19(火) 09:09:19|
  2. その他の事

今日はまったり北武蔵

今日は最近新たに判明した武士たちの居館推定地に行ってきた。
久々に花園・深谷付近を回ってみると、新しい発見があってとても楽しい。

一応天気は曇りがちだったが、その後は図書館でのんびり資料漁り。
あまり大量の資料をコピーしても読みきれないし、コピー代も馬鹿にならないので手帳に要点のみ手書き。
確かに低コストで頭に入るのが手書きの良いところだが、自分の場合は誤字脱字が多いのが難点だったりも。

そして広大な櫛引台地のど真ん中で車を停めて、窓を開けて夏風に吹かれながら昼寝する。
この疲れた時にいつでも寝る事ができるのがソロの利点だなっとつくづく思う。

夕方まで熟睡し、寝ぼけ気味の頭に喝を入れるべく、車を出てのんびり散歩。
城館跡に関係ない所の散歩だが、これもまた色んな視線で周辺を見れるので楽しい。

そして家に帰宅し、今日仕入れた情報をまとめる作業をするのであった。
  1. 2011/07/18(月) 21:20:20|
  2. その他の事

深谷上杉四天王

深谷上杉氏にはその代表的な家臣を総称する名が幾つかある。
三宿老といえば岡谷氏・秋元氏・井草氏で、これに矢井氏を加えて四宿老と呼ばれる場合がある。
七武将といえば秋元越中・岡谷左馬助・新居志摩・大沼越後・萩谷加賀・大類丹後・多賀谷大学となる。
そして本題の「四天王」と呼ばれると岡谷加賀守・秋元上総守・井草左衛門・上原出羽守となる。

ちょっと興味があってこの四天王の居館を調べてみた。
筆頭ともいうべき岡谷氏は皿沼城・曲田城があった。
秋元氏には秋元城ともいうべき秋元氏館。
井草氏には岡部西田にあったとされる西田の館。
上原氏には今の川本地区の上原。
・・・であったと推測される。

でこの配置をよーく見てみたら、深谷城を四方で守っているようにも見える。

          (北)岡谷氏

(西)井草氏    深谷城    (南東)秋元氏

          (南)上原氏

「四天王」という名称がそう見えさせてしまうのか分からないが、深谷城を守るように四方に配置されているように見えるのがちょっと凄く感じてしまったのだった。
  1. 2011/07/17(日) 06:13:43|
  2. 研究の事

職場改善おめでとう

この暑い陽気の中、とうとう他の部署の人が熱中症で倒れたとの事。
他の部署の環境はよく分からないが、自分の働いている環境(室温40℃超え)も異常と思えていた。

流石に会社の方も事態を重く見たのか?やっと空調の見直しをしてくれた。
犠牲者が出てから対応って・・・でも職場改善をしてくれた事は感謝。
お陰で書類が汗でゴワゴワする心配がなくなった。
(熱中症の事より暑さで手汗が大量に出る事が最近気になっていた)

そんなこともあって、今日はいつも以上に職場掃除に励んでしまったり。
  1. 2011/07/16(土) 04:50:07|
  2. その他の事

財布に穴が

買い物をして会計を済ませた所で、「十円落としましたよ」と店員さんに教えてもらった。
「これはどうも」とかがむと、さらに小銭がジャラジャラと・・・。

そう、いつの間にか財布に穴が開いてしまっていたのだ。
これはあまり縁起のいい事じゃないので、早々に新しい財布を買わねばならないな。
  1. 2011/07/15(金) 04:47:31|
  2. その他の事

永田字中居(埼玉県深谷市)

しばらくぶりになってしまった旧花園町の城館まがい地巡り。
今回の探訪では最後になった永田字中居へ訪れた。

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八幡神社のある辺りが字中居との事。
早速写真中央にある八幡神社へ赴いてみる。

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参道が畦道になっていて車は通行不能(?)のようだ。
こうやってみるとなんとなくのどかでいい感じがする。

resize6385.jpg
少々日差しが強かったので、池のほとりにて一休み。
なんとなく堀に見えてしまうのがイケナイ症状。

resize6392.jpgresize6393.jpg
八幡神社より田んぼを挟んで向い側に長楽寺というお寺がある。
ここの境内には宝篋印塔や板石塔婆が設置されていた。
八幡神社を鬼門除けの配置とすると、中居の本体はこの長楽寺か?
でも遺構がまったくないのでなんとも言えず。

戦国末期には(おそらく猪俣党の)野邊氏がこの辺りに住んでいて、非常時には鉢形城へ駆けつけるようになっていたようである。
近くの石碑の名簿を見ると、今も野邊さんが数名居られるようである。
続きを読む
  1. 2011/07/14(木) 05:26:15|
  2. 城館まがい地の事

マラソン推進方法考案

この所天気の悪い日以外は順調にマラソンさせてもらっている。
自分のやっているマラソンは本当に全て走るわけではなく、時折歩いて周りの風景を見たりしながら歩く。
特に薄明るい夜明け前のマラソンは最近気に入っており、蚊には刺されるが楽しく走らせてもらっている。

今は暑い季節なので結構薄着でやっているのだが、これをそのまま真冬まで行ったらどうなるだろう?
乾布摩擦の様に強靭な肉体が形成されていくのか?
でも走って体が熱くなるから丁度いいのかも知れない。

いずれにしても真冬になる頃には、もっと長距離を走れるようになるといいな。
  1. 2011/07/13(水) 06:12:41|
  2. その他の事

直実と四人の息子たち

熊谷市が誇る中世の英雄「熊谷次郎直実」、つい最近になってその息子が四人いる事を知った。
地誌『武蔵志』によると・・・。

●長男 熊谷兵衛尉直家

●次男 春原三郎直守

●三男 根岸四郎直頼

●四男 万吉五郎直純

彼らは在地の地名を姓としたようである。
さてさて、長男はそのまま父の領土や居館を受け継いだ事が容易に分かる。
(熊谷市の西に小次郎館という場所があり、そこに居住したのだろう)
四男の万吉氏に関しても熊谷市内に同じ大字が残っているので、その所在地は分かる。
(小字もそれらしい所があるので、なんとなく分かる)
問題は次男と三男の所在地である。

まずは次男の春原(しゅんのはら)氏について考える。
現在の埼玉県内大里郡付近には「春原」という大字は残されていない。
そこで活用したのはネット検索、すると春原村でヒットしたのは「御正村の内にあった」の語句。
御正村とは旧江南町のほぼ北半分に当たる地域で、現在残されている大字で言うと御正新田・成沢・樋春・押切・三本に当たる地域である。
これらの地域にある城館跡は「平山館」「成沢城」「三本館」「三本堀の内」とあり、これらの城館跡に春原氏が住んでいた可能性もある。
それより旧江南町の小字を調査すれば簡単に解決するようにも思えるので、後日再び調査に行く事になりそうだ。

してもっとも謎が深いのが三男の根岸氏
「新編武蔵風土記稿」によれば比企郡根岸村に熊谷次郎直実の子孫が住んだと書かれているので、その否定地として挙げられそうだ。
だが・・・比企郡根岸村という場所は現在の比企郡嵐山町大字根岸であり、場所が都幾川の南岸で埼玉の城館跡を訪ねられている人なら「大蔵館の近く」ですぐに分かると思う。
地図で見ても熊谷から直線距離にして約15kmもあり、熊谷四兄弟の中でなぜ三男が一族の居住地を離れて一番遠くに飛ばされたのか?と疑問が生じてしまう。
まだ子孫である根岸友山・武香の故郷である大里村の方が立地的に近く、居住地としての説得力があるのだが・・・。
地名によっては住んでいた武士の名を地名に名づけるケースもあるので、この根岸村は一時的に住んでいた事で名づけられたと仮定すれば少々納得いくかも。
(実際に根岸氏は戦国期松山城主上田氏に仕えていたので、戦国期はこの地に配属されたと考えれば自然である)

今週は絶好調に晴れていたのに、資料を読み漁っていたので城館探訪する機会を逃してしまった。
梅雨も明けた事だし、また次回それらを調べに行くとしよう。
  1. 2011/07/12(火) 20:35:40|
  2. 研究の事

猿喰土村の謎

かっての花園村大字武蔵野に「猿喰土(さるがいと)村」という近世頃の村があったという。
その位置は「東に北根村、南に荒川村」とあるので現在の深谷市大字武蔵野のほぼ東部に位置する場所になると思われる。
この「猿喰土(さるがいと)村」、読みによっては猿(ま)喰(く)土(つち)とも読めるような気がしてしょうがない。

「まくつち」の発音で思い起こされるのは、武蔵七党猪俣党の一族である「幕土氏」。
藤田能兼の長子能行の子重国が「幕土五郎」と称しており、鎌倉幕府滅亡時に新田義貞に従って強弓で名を馳せた幕土六郎左衛門尉がその子孫であるという。
いままでその居住地は不明とされていたが、この旧花園村辺りは猪俣党の勢力が強かった地域ゆえに同じ猪俣党の幕土氏が居住していても不思議はない。
また、系譜図を見ると小前田氏の祖である信国から見て幕土五郎重国は甥にあたり、藤田氏流の系統が旧花園町を支配していたという共通点からも、この地に幕土氏が居住していた可能性は充分考えられると思う。

ただ読みが(さるがいと)と呼ばれているのが引っかかる。
地名に関して言えば漢字の書きはよく変わるが、音(発音)が変わってくるというのはそうない。
今回の件は猿喰土と幕土の漢字は違う上に読みも「さるがいと」と「まくつち」で違っている。
共通する点は「猿喰土(さるがいと)」が「猿喰土(まくつち)」とも読めそうだって事だけなのである。

他の文献にも残されていない幕土、それをこの近世の猿喰土村に当てる事は良いのか悪いのか?
結構考えたりもする。 続きを読む
  1. 2011/07/11(月) 06:42:18|
  2. 研究の事

上尾市の城館リストをリニューアル

・・・って言っても殆どマイナーチェンジしただけだったり。
今まで通し番号でラベルの貼り付けをしていたが、新発見の資料により城館跡が増えてくると五十音で管理している身分としては番号が不順してしまい不都合が生じる。
そこでその城館跡の「固有名詞」にてラベル管理すればリンクの張り替えが不要になると思いつき、最近更新しているページはそれに変更している。

あと歴史経緯の見出し文をつける事によって、本文を読まなくても内容が大まかに分かるように変更もしている。
これは個人的に便利な方法であり、サイトを見ている人向けではなかったりする。
でも元々城館跡調査の記録表の役割を果たしている当サイトなので、それもありかなっと。

以後も手直しする部分は多いので、このサイトが埼玉県外の城館跡を更新するのは早くても数年後になると思っていたりする。
でも自分は埼玉の城館跡の事を調べるのが楽しくてしょうがないので、別にこれでもいいかなっと妥協していたりもする。
本当に調べる事が山盛りである。
  1. 2011/07/10(日) 06:55:51|
  2. このサイトについての事

ブログも書かずに迅速測図

もー止められない楽しさをもっている明治時代の地図『迅速測図』。
中世城館を考える上で河川の形状を考慮しないというのが考えられないので見ているが、城館跡の事を忘れてしまうほど面白い河川形状。

埼玉県内でも特に東京に近くなった辺りの荒川の形状の変革なんか、見ているだけで軽く1日経過してしまいそうなほど面白い。
あと田んぼや畑などの表示もされているので、文字を読みながら明治以前の自然あふれる光景を思い浮かべる時間がたまらない。
やはり家が増えすぎなんだなっと思う反面、人が増えたからこそ便利になった部分もある。
今更人々が地方へ分散したとしても、失われた自然は戻って来ない。
自然が好きな自分としては悲しい気持ちもあるが、現実として受け止めていくしかない。

そんな事で最近連日迅速測図の閲覧ばかりしているのであった。
  1. 2011/07/08(金) 06:09:36|
  2. 研究の事

インターネットが繋がらない

最近無線ルータの調子が悪いようで、インターネットに繋げなくなる事が多くなった。
今回の場合はNTTからレンタルしてるモデムと競合しておかしくなった模様。
それがまったく分からなかったので、色々と試した挙句にサポートセンターへ電話する。
WIN7って便利そうに見えて、まだまだ不具合が多いのか?

一通り解決方法を聞けたが、タップリと2時間も時間を費やす事に。
繋げなくなると繋げる喜びを感じるネットかな。 続きを読む
  1. 2011/07/05(火) 04:19:02|
  2. その他の事

新座郡の城館探訪

・・・を今日まったりやってきた。
新座郡と言っても今日は朝霞市を回るのでいっぱいになってしまった。

resize6375.jpg
下内間木の城館まがい地を巡ったついでに朝霞水門を見てきた。
この辺りは荒川(外川)と新河岸川(内川・渋川)が乱流している所で、新河岸川は本来ここで荒川と合流して河口付近では隅田川となっている。
いまでこそ水門で閉ざされているその川も、かっては水運で多くの船がそこを通過していたというのが感慨深い。
この水門付近に来たら急に風が強くなって、日差しも出てきた。

resize6376.jpg
朝霞水門付近の旧新河岸川(右手前)と荒川(左)の合流地点。
今でこそすっきりとしたストレートな川になっているが、かってこの辺りは川が複雑に乱流しており、中世期も絶えず洪水が起こっていたのだろうなっと思いながら川を見ていた。
ちなみに奥に架かってる橋は東京外環自動車道と国道298号線が併用している幸魂大橋。

resize6377.jpg
改めて朝霞水門を別の角度から眺める。
間近に行くまで分からなかったが、堤防の高さから4階ぐらいあるので、結構高い。
あのてっぺんの部分を展望台として開放して欲しい。

って感じで城館探訪の合間に川を見て涼んでいたのだった。
でも思ったより日差しが強くて日焼けしてしまったのであった。
  1. 2011/07/04(月) 23:09:38|
  2. 城館探訪の事(埼玉県)

資料が増えすぎたので対策を

最近膨大な資料のコピーが増えて、持ち前の本棚に収納できなくなった。
今現在、一資料を10円ぐらいするクリアホルダーに入れて保管している。
でも数千枚ぐらいの資料ともなると、欲しい飼料を探すのも手間がかかるようになった。
更に最近では以前入手した資料をまたコピーしてしまうという事態まで発生してしまったのだった。

まず手元の資料の分類から始めるとする。
資料の殆どが中世城館跡とそれに関連する歴史、地誌などである。
それらは更に自分が主力で調査している埼玉県と他県に分けられる。
その埼玉県の資料をかっての郡別に分けて、そこから各市町村別に分類している。
本当は郡もかっての二十一郡別にしたい所なのだが、そうすると市町村が跨ぐ所がでてくるので不都合が多い。
従って群が消滅しつつある近年の北足立郡・入間郡・比企郡・秩父郡・児玉郡・大里郡・北埼玉郡・南埼玉郡・北葛飾郡の九つに分類。
草加市のように二つの郡を跨いでいるような場所に関しては、市役所の所在地で分類する事にした。
そして、郡ごとに大きなケースを用意し、そこに郡内の各市町村の資料を格納する事にした。

でも、まだまだ片付いたとは言えず、結構混乱したままである。
そして探し方次第では今後も城館資料が増量する可能性は高いので、それに備えないといけない。
我が資料管理はまだまだ課題を多く抱えている。
  1. 2011/07/03(日) 22:33:33|
  2. 研究の事

ランニングは順調なり

先月から始めたランニング。
今の所雨の降ってない日以外はしっかり走れている。
最初はちょっと走っただけで息切れ気味だったが、段々長い距離が走れるようになってきた。
一応今のコースは半年後に見直しをして、それ以上に走れるようなら距離を伸ばす予定。
思ったより周辺の景色を見る事もあり、考える事もあり、いい機会になっている。

草薮に覆われた城館跡に行けない間も、身体の調練をする。
これは中世の武士にも同じで、戦に備えて日頃から馬場や的場で武芸を磨いていた。
城館探訪には武芸は必要ないが、体力増強は必要。
これが続いたら来シーズンの城館探訪がどれだけ訪ねられるようになれるか?
楽しみだ。
  1. 2011/07/02(土) 06:21:33|
  2. その他の事

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