平尾富士砦所在地

平尾山には平尾城(別名秋葉山城)と平尾富士砦の二つの城郭があるという。
最初スキー場化されているとの事で行けるか心配だったが、行くだけ行って見た。

場所は上信越自動車道の佐久平サービスエリアの北にそびえる山なので、スマートICを利用できる人はもう着いたようなもの。
駐車場豊富なので車の停め場所に迷うことないのが良い。

平尾山公園では行った日昆虫のイベント開催中だった。
虫は触りたくも無いが、興味のある人にはたまらないイベントなんだろうな。

流石に季節は夏なのでスキー場に雪はない。
その代わり斜面をすべり降りるソリの様な乗り物がお子様方に大人気。
ちなみにゴンドラは片道350円で自分の感覚では高め。
近くの売店でソフトクリームが売ってたので、乾いた喉をそれで潤わせ、その高めのリフトに乗ることにした。

そんな事でリフトに搭乗中。
足をブラブラさせられるので足首を軽く回したりして、徐々に上がっていく景色を楽しむ。
なんか山頂付近に雲が出てきているように思えたりも・・・しかもゴロゴロ言っているし。

平尾富士砦へ行くにはもう一回リフトに乗ると楽。
しかし、再び350円の運賃がかかるのがきついかもな。
そういえば乗る時に係員の人に「停電になったらリフトは止まりますのでそのまま待っていてください」と言われている。
そういえばさっきゴロゴロと雷みたいな音がしていたが、そういう事なのか。
このリフトに乗りながら雨に打たれるのは・・・キツイ。
そうこうしている内に一番上へ。
「雷が鳴っているので早めに戻って下さい」と係員の方に言われ、速攻で平尾富士へ向かう。

今のところは日差しはあるが、北の軽井沢方面からは雨雲らしき雲が迫っていた。
まったく麓から登るに比べたらだいぶ時間短縮されているので、急いで上っていく。

しばらくすると堀切が現れる。
平場だけでもあればと思っていたので、堀切の出現は嬉しい。
でもそろそろポツポツと雨粒が頭を穿ちは始めたので、急がねば。

平尾富士砦の平場(本曲輪)
結構削平されており、この地方の狼煙台のレベルはこちらとしてはかなり豪華な遺構。

平尾富士砦からの眺望は佐久平を一望できる絶景。
雨がポツポツとしてなければしばらく眺めていたのだが・・・写真を何枚か撮って撤収。

ちょっと降りた所で再び振り返る。
この様に周囲の木は伐採されている為、見晴らしは良かった。
段々降りが激しくなってきたので、やむを得ず非常事態用の携帯カッパを装着。
安い携帯カッパなので一回ポッキリなのだが、濡れて降りるよりかはマシか。
かくして雨のお陰で途中で平尾城に立ち寄る予定が立ち寄れなくなってしまった。
さてさて、今日は雨が降り始めたし・・・どうするか。
スポンサーサイト
- 2011/08/31(水) 05:31:56|
- 城館探訪の事(長野県)
-
-
池端城所在地

『佐久市志 歴史編(二) 中世(以後市志と呼ぶ)』によればこの城は今までその存在を知られていなかったという謎の城である。
確かに謎の城と言われるだけあって、何処にあるのか分からず・・・。
一応その所在地に行ってみた。

特に『市志』を読まずに来た自分は、この右側(南)にある山に池端城が築かれたのだなっと思い込み、周辺を調査しようとした。
でも今日はもう藪などに入りたくない気分で一杯になっていたのだった。

平場があるようにも見えるが・・・この丘全体を調べてみない事にはわからん。
かくして今回も特に調査をする事無く撤退したのであった。
- 2011/08/30(火) 00:41:02|
- 城館探訪の事(長野県)
-
-
本日の長野県の天候が晴れとの事で、先日の続きという事で再び佐久市へ赴いた。

最初の内は霧やガスがかかっていて見通し悪かった。
でも内山城越しにご来光を撮影できたのは良かった。

午前中はすっかり好天気になり、のんびりとお散歩気分に。
やはり青空の下で城館探訪するのは楽しいものだ。

そんな事で降水確率が30%だったが、雨が降ることがなくずっと晴れていた。
前回行けなかった城にもリベンジできたし、とっても満足。
天気が本当によくてそよ風も吹いていた事もあって、城館探訪以外にも田んぼをのんびりお散歩してしまった。
こういう空が広い場所は本当に好きだ。
夜は長野まで駆け抜けてくれた我が愛車を徹底お掃除。
道中急ぐ事無く、のんびりと帰宅しましたとさ。
- 2011/08/29(月) 23:08:07|
- 城館探訪の事(長野県)
-
-
志賀城所在地
武田晴信(信玄)の志賀城攻めで印象のあった城である。
この佐久地方に対する晴信の徹底した虐めは家臣の横田備中守高松に諫言されてしまう程酷かったようである。
その舞台になった志賀城まで来ることができたので、さっそくその遠景を見てみよう。

真正面から見た志賀城(写真真ん中の山)。
うーん、行こうかと思っていたが、先の内山城に行った時に結構体力を使ってしまったので行く気が・・・
あと、城の登り口を見つけるのも・・・ちっと面倒になった。
(ネット検索したら南麓の雲興寺に登り口があるらしい)
かくして今回は遠景を撮っただけで探訪は挫折。
かって同日に山城四ヶ所訪問していた時代が懐かしく思えてきた。
リベンジ編へ
- 2011/08/28(日) 05:39:57|
- 城館探訪の事(長野県)
-
-
浅井城所在地

鳥坂城の東に位置する城で、香坂川が周囲を巡るように流れている。
こちらの方は小高い丘がある為に写真で見ても一目で分かる。

北側は民家および畑になっており、立ち入るのが少々戸惑われる。
思い切り私有地っぽそうに見えてしまう。

別角度からもう一度城内を撮影。
段々状の地形に見えるが実態はいかに?
(やはり入ってみてくれば良かったかも)
って事で遠目に見るだけで侵入すらできなかった浅井城であった。
- 2011/08/27(土) 05:21:38|
- 城館探訪の事(長野県)
-
-
鳥坂城所在地

鳥坂(とさか)城は中央図書館などの併設されている牧場の東側に位置する城である。
南は志賀川と西は平尾用水となった谷にはさまれた地形で、それを利用した城のようだ。
現地はというと・・・いたって畑になっている。

遺構らしき所といえばこの堀跡と伺われる窪地であろうか。
舌状台地の先端である南西方向を区切るようにこの窪地は延びているので、堀切の一種であったと思われる。

ちなみにここもまた見晴らしは良い。
東を見ればかなりの要害に見える閼伽流(あかる)山城が見える。
・・・この山容を見るととても今日行く気になれなかった。
手持ちの地図によれば山腹の千手観世音堂まで道があるようなので、それを利用すれば探訪できるかも知れない。
閼伽流山城を見てもそうだが、凄い所に城を築いたものだ。
ちなみにこの山を上信越自動車道がトンネルで貫通している。
それにしても信州は景色がいい。
改めてこうして訪れられた事を嬉しく思ったりも。
- 2011/08/26(金) 04:46:41|
- 城館探訪の事(長野県)
-
-
八反田城所在地

佐久市役所より東南東に1kmほどの方角に八反田城のあった場所がある。
小高い台地が志賀川に洗われて南側から見る遠景は実に堅固なイメージがでてくる。

川向の瀬戸城山もそうだったが、この辺りの墓地は民家より高い所に置かれている事が多い。
八反田城の居館と伝わる場所もまた現在墓地となっており、城の遺構は見る影もないようだ。
それにしても単なる墓地なのだが、周囲の見通しが良いだけでなんとも絵になる。

堀底道だったと思われる道。
新たに作られたとしたらここまで掘り下げて新設するとは思えないので、ここも恐らく城の遺構であったとも思えるが・・・

八反田城の東側には八幡宮がある。
古木に囲まれて八月の強い日差しを遮ってくれて、実に涼しかった。
いい雰囲気を出している場所だと思う。

八幡宮の裏側に来ると・・・城がマレットゴルフ場と化していた。
そういえば長野県はマレットゴルフが盛んな地域であったのを忘れていた。
一応コースの中になりながらも堀は健在であった。
(左側は土塁?)

かなり浅くなっているがこれも堀の名残なのかも知れない。
たまたま訪れたのが夏休みの月曜日だったからか分からないが、人が一人も居なかった。

空を見上げると入道雲が出ていた。
この光景、実に夏らしさがでていていいね。
- 2011/08/25(木) 04:45:30|
- 城館探訪の事(長野県)
-
-
先日の愛知県遠征でふと思ったのが徳川家康が関東に入国してからの埼玉の城郭の扱いである。
そこそこの規模のある城郭は、家康の家臣の城になっている。
しかし、北条氏邦の居城ともなった鉢形城は何故か小田原の役を最後に廃城になっている。
鉢形城の支城であった雉ヶ岡城ですらも松平家清が入城しているのに何故だろう?
北条方の主要城であった城郭の中で選ばれなかった(廃城になった)城の地形に注目してみた。
河越城・岩附城・忍城・松山城・深谷城・羽生城などなどは家康家臣が入城している。
それに対して(正確に東京都になるが)八王子城・鉢形城は北条方の重要拠点であったにも関わらず廃城になっている。
この違いはずばり山地が迫っているか否かの違いがあるのではないかと思った。
確かに時代は戦国末期、地形に任せた要害という条件のみならず、広い土地を必要としていたのかも知れない。
それを考えると八王子城は山奥なので即アウト、鉢形城は八王子城ほどではないが周辺に山が迫っている地形ではある。
元々それなりの規模の城で、周辺が平野かそれに等しい地形が求められたのかも知れない。
家臣の城の選別を見るとこれからの時代を家康がどう考えていたのか?その思案を垣間見れて面白いかも知れない。
- 2011/08/24(水) 04:50:10|
- ふと思う事
-
-
最終日って言っても正確には帰宅した日になったり。
丸二日間寝不足になりながらも昼は城館跡、夕方になると図書館とめまぐるしく回っていた為に帰りの夜行バスの座席に座ると同時に熟睡だった。
最初は時間が余ると思っていたのだが、いざ当地に行ってみるとトラブルの連続で結局時間が足りなかったというのが本音。
次回探訪するときには更に下準備しておかねばならないな。
それにしても遠く離れた愛知県で我らが埼玉県の地名が出てくると、とてつもない感動があった。
これは病みつきになりそうな感じ。
次回は旧武田氏家臣ゆかりの地巡りに行けねばならぬかな?
それとも武蔵七党出身武士の転出先を調べるのも楽しそうだ。
あんまりまとまっていないが、これで今回の愛知遠征のまとめとするなり。
- 2011/08/23(火) 04:38:06|
- 城館探訪の事(愛知県)
-
-
城が待っていると思うと満足に寝れない。
途中から目を覚まして、国道沿いのネットカフェにてネット上から出来る限りの情報を入手し、充実した探訪になるように努めた。
国道一号線を東京方面に走らせて夜間の内に移動した。
目指すは豊橋市吉田城。

途中の国道はまるでレース場のように乗用車とトラックが入り混じって先を急いでいた。
こちらもそれに釣られて走っていく内にすぐに豊橋市役所近くに到着した。
市役所の東側が吉田城のはずだが、朝早すぎて真っ暗で見えない。
夜明けまで1時間ぐらいあるので寝て待っていた。

肉眼ではだいぶ明るくなってきたようでも、デジカメの撮影だと真っ暗に近い。
ペンライト一つ手に持ちながら薄暗い公園を歩く。
近くには豊橋市役所が建っていた。

ようやく明るくなり、吉田城の模擬天守(櫓?)がよく見えるようになった。

何より城館まがい地巡りばかりしている自分ではあまりお
目にかかる事のない生の石垣を堪能させてもらった。
土塁の方が好きだが、石垣はその工事量に驚かされるばかりである。

吉田城を後にして、愛知の色々な城を堪能させてもらった。
何より思ったのはかなりマニアックな城でもかなり石碑が作ってもらっている事。
埼玉県の城館跡とは待遇がだいぶ違うように思えた。
曲輪から海風を浴びながら海を見る・・・埼玉県の城館探訪してたらまず味わえない世界を満喫させてもらったのだった。
- 2011/08/22(月) 06:38:39|
- 城館探訪の事(愛知県)
-
-
夜行バス・・・その乗り物は何処を通っていくのか・・・気になって寝れない。
バスは外の流れる風景をみていると東名高速に乗ったようだ。
西へ向かうにつれて雨脚が強くなってきたようにも・・・。
興奮して(昨日の日中寝てたので)寝れない中、なんとか目をつぶって眠ろうとした。
気付けば朝の4時、いやもうじき5時になろうとしていた。
東の空は明るくなり始めているが、天気がよくないようだ。
幸い雨が降っていない様子。
と外の様子を見ている内にバスは名古屋ICを降りて東山動物園の側を抜けて名古屋駅に着いた。

名古屋駅の空はどんより雲っていて、今にも雨が降りそうな雰囲気を出している。
この後の予定では岡崎市にて車を借りる予定だが、レンタカー店の開店は朝8時。
時間があるので、電車にてどこか行ける城郭をと考えたら岡崎城が思いついた。
片道おおよそ1時間ぐらいで岡崎駅に到着した・・・ここで思わぬミスが。
岡崎城のある岡崎市の中心は名鉄の通っている「東岡崎」付近であるという。
普通岡崎駅が岡崎市の中心街だと思ってしまうのだが・・・
それでも愛知環状鉄道とやらに乗って岡崎城の近くまで行く事ができるようだ。

岡崎駅より二駅目が「中岡崎駅」
ここより歩いて岡崎城をめざしていく。

かくして岡崎城に着いた。
ふむ本当に模擬天守を撮影するのに松の木が入ってしまうのだな。
強引に隣りの神社と一緒に撮影してみた。
久々の石垣の感触を楽しみ、時間一杯まで楽しませてもらった。
レンタカーを借りた後の事はまた後日。
- 2011/08/21(日) 06:16:17|
- 城館探訪の事(愛知県)
-
-
前々から資料を調べていた遠征に出発する時がきた。
今回のテーマはズバリ三河武士の故郷を訪ねる旅で、主に埼玉県に城や陣屋を構えた武士の故郷が中心である。
行程としては行きと帰り共に夜行バスを利用し、丸々二日を使って訪ね歩くというもの。
そんな事でじっくり寝て、東京に来たら一大事が・・・
デジカメを忘れてしまった(汗
ここまで来て引き返してはバスに乗れず、かと言ってカメラなしじゃ探訪する意味もない。
仕方ないので都内に出て新カメラを調達する事にした。
しかし時間は夜10時台、どこの家電店も閉まっている。
そんな中某量販店がやっており、そこで尋ねてみたらデジカメがあったー
かくして新デジカメが突如デビューする事になった。

夜の新宿駅西口。
早速カメラの撮り具合を見てみたが、まず良い撮影状態のようだ。
すこし時間があるので、カメラの取扱説明書を読んでいる事にした。

街灯の少ない所に、多くの人々が夜行バスの出発を待っているようだった。
でも幾つも夜行バスがあるので迷い易いかも知れないな。
デジカメの件もあったので早めに家を出て正解だったようだ。
そうこうしている内にバスの出発時間となり、東京を発った。
明日の朝には名古屋に到着できるはずである。
- 2011/08/20(土) 06:02:23|
- 城館探訪の事(愛知県)
-
-
個人的には泊り込みで行く城館探訪は遠征と呼んでいる。
頑張っていけば車でもいけなくはないのだろうが、車で行くのが面倒なのでレンタカーを手配した。
それにしてもいつの間にレンタカーってクレジットじゃないとレンタルできなくなったのだ?
数年前に伊豆で借りた時は現金払いだった気がしたが・・・事故を起した時の修理代をがっぽり引き出す為にクレジットなのか?
数軒当たってみた所、会社の保険証を持っていけば借りられるところがあったので、そこで予約を入れた。
あと、土地勘がないので地図を購入したいところだが、そんなに行けるところじゃないので地図一冊買うか迷っていたりも。
でも地図を見始めると気になる地名があったりして、準備がはかどらなくなってしまうし。
色々とあるな。
- 2011/08/19(金) 06:47:36|
- その他の事
-
-
今日の暑さはハンパではなかった。
いつもなら一回寝始めればガッツリ時間一杯寝られるのだが、猛烈な発汗と共に目が覚めてしまう。
仕方ないのでシャワーを浴びて体を少し冷やしてから寝てみるのだが、1時間するともう発汗状態。
そこで水分補給をしないと思って麦茶を二杯、更に氷枕を用意して体中を涼しくするようにした。
こんな事が睡眠時間中おきて、あんまり寝れなかった。
この頭がぼぉ~っとしてくるのが熱中症の始まりだとか。
そんな状態ながらもその後仕事をしてきた。
それにしてもよく死にそうになりながらも仕事してこれるな・・・自分。
- 2011/08/18(木) 06:35:38|
- その他の事
-
-
瀬戸城山所在地

ちっと山城が続いたので、気楽に尋ねる事ができる平野部に移行する事にした。
今回訪れたのは瀬戸地区の東部に位置する瀬戸城山。
民家の裏山がその地となっており比高差おおよそ10mぐらいで、気楽に訪れる事のできる場所である。

民家に近い丘となれば、当然農地の侵略を受ける事になる。
西側の日当たりのよい場所はすっかり耕地になっていたようだ。
小高いので少しだけだが見晴らしは良い。

城山の最高所はなんと墓地。
この辺りの風習なのかも知れないが、墓地は高所にある事が多い。
となるとこの辺りの城館探訪すれば必然的に墓地めぐりをする事になる。
しかも墓地造成によって小型土塁まで作ってあるのだが・・・これも何かのまじないなのか?

城山の東部は里道が南北を繋いでおり、これが堀の名残だったのかなっと見ている。
かっての城跡にご先祖様の墓地を造成するこの地域の方々は、それだけ祖先を大事にしているという事の表れにもなっている。

城山の木陰から周囲を見渡す。
ちょっとだけ高い地形なので二階建ての家が並んでいれば結構遠くまで見渡せる。

城山の北側もグルッと回ってみたが、遺構に直結するような物はない。
道の脇を農業用水が勢いよく流れていて、その水音が夏の暑さを和らげてくれているかのようだった。
- 2011/08/17(水) 06:35:14|
- 城館探訪の事(長野県)
-
-
内堀城所在地

内山城の西に内堀城という砦があるという。
周辺の内山城や平賀城に比べて標高が低く、丘城と呼ぶのが相応しい地形である。
五本松城撤収戦より少しの休憩をして、気持ちを改めこの城を訪ねるべくやってきた。
・・・のはいいが、周囲は物凄い藪になっていて道が見当たらない。
こういう所って比較的神社なんかが山頂に置かれていて結構訪れ易い所があったりするのだが・・・
この城にはそんな甘えは通用しないようだ。

藪漕ぎする気にもならなかったので、次の城に行く事にした。
もしかしたら国道に面した岩山からいけるかも知れないが・・・
続きを読む
- 2011/08/16(火) 06:34:50|
- 城館探訪の事(長野県)
-
-
五本松城所在地

内山城の北側にある城で、内山城程ではないがある程度堀切などの遺構が残っているという。
それを見るべく内山古城経由で稜線を伝って歩いて行こうと思っていた。

こちらは内山城から見た五本松城。
内山城とほぼ同じ高さの山で、比較的近距離である。
それで背後の守りをさせるべく取り込んだ城なのだろう。

内山古城までは歩き易かった道が、急に牙をむき始めた。
なんと稜線の木々が横倒しになって道を塞いでいるのである。
藪漕ぎならまだ少しはいけるが、倒木は結構骨が折れるものだと思い知る。
それゆえに城郭の伐採した木や枝を掘に配置する逆茂木という防御技術があるが、それを生で体感しているよう。
足止め食らっている上に弓矢で攻撃されたら、攻め手はひとたまりも無い。

少しばかり進んだ所で木の枝に乗せていた足が滑り、
「ビリ!!」っとズボンが裂けてしまった。
この時点でかなり士気が低下し、撤退モードに入り始めた。
北側の麓では採石場があり、そこで採石する重機の音が響き渡ってくる。
以前群馬県天引城で登り口を間違えて似たような事になり、挙句頭上から重機の音が響いてきたのを思い出す。
ケースは違うがこれを思い出して、撤退する事にした。
もしこの時点で五本松城に堀切などの設備があると知っていたら、進んでいたかも知れない。
(その時はよく資料を読んでなかったので、遺構が皆無だと思っていた)
足を取られ、過去の城館探訪を思い出させてくれた五本松城。
もし再訪の機会があれば麓から行く事にしたい。
しかし、倒木さえなくなれば内山城・内山古城とセットで探訪した方が楽々見れる。
かくしてこれまで来たルートを辿り、転げ落ちるように車に戻って持参していた水を飲んだ。
山城をあともう一城行く予定だったが、この撤収により行く気がかなり萎えてしまった。
まだ午前中なのだが・・・
- 2011/08/15(月) 06:34:27|
- 城館探訪の事(長野県)
-
-
内山古城所在地
内山城に来たからには内山古城にも行っておかねばと思って行ってみた。
『佐久市志 歴史編(ニ) 中世(以後市志と呼ぶ)』によれば、この内山古城本体より「沖の入」と呼ばれる沢に石積があるらしい。
うーん、流石にそれをくまなく探していたら、今回の探訪における体力と時間が激しく消耗するのでパス。
ひとまず古城本体に行く事にする。

内山城から内山古城への道は比較的楽な道があり、内山城探訪のついでに立ち寄るのに丁度いい感じである。
多少のアップダウンはあるが、特に気にしない程度なので助かる。

市志に掲載されている地図の場所に行くと・・・確かに平場って言えば平場に見えるが・・・
削平のされ方も甘く、南北朝期における山城を彷彿させる作りである。
つまり長期戦ではなく敵が消え去るまで籠もるという、まさに「詰めの城」と言える。
さて、ここまで来たのだから、このまま稜線上に所在する五本松城も訪れる事にした。
かくして地図をよく見直し、五本松城の方角へ歩いていった・・・。
- 2011/08/14(日) 06:33:51|
- 城館探訪の事(長野県)
-
-
内山城所在地

平賀城を訪ねた後、内山城へ向かった。
国道の旧道と思える道の真正面に見える山が内山城で、今回は林道が走ってないので体力勝負の山登りになる。

ふもとの園城寺を参拝させていただきつつ、駐車場に車を停めさせてもらえないか住職さんに相談させていただく。
結構若い方で、登り道の場所を教えていただきつつ、快く車の駐車を許していただけた。
では内山城へ向かおう。

ちなみに内山城へは結構案内表示が設置されているので、ある程度は迷わず行ける。
こういった案内があるだけでも大変助かる。

園城寺の東に衣笠神社があり、その右脇に城への登り口がある。
しかし、自分はそれに気付かず通り過ぎ、墓地の辺りをうろうろしてしまったのであった。

これが内山城への登り口である。
ここを見つければこの先は結構な踏み跡が付いた道なので、注意深く辿っていけば迷わず行ける。
それにしても平野部の館跡ばかり探訪していた身には、この登り道はきつかったりも。

途中にはベンチ付きの休憩所もあり、休み休み歩いていくことができる。
ただ、今回は雨が降ったようで湿っていたりするのでベンチには座らなかった。

そうこう登っていくと岩が露出したりするところがあり、険峻さを物語っている。
そんな岩場を越えて登っていくと、ようやく三ノ丸と書かれた案内板が出てくる。
ここまで来れば本曲輪までもうちょっとで到着する。

山頂付近から麓を見下ろすことができる。
付近の状況が手に取るように見渡せるので、物見に最適なのがよく分かる。
ふと見ると汗でびっしょりなので、この景色を見ながら休憩してた。

また内山峠方面も見ることができるが・・・こちらは少々見通しが悪いようだ。
しかし、この山々には戸谷城・猿田城・曾根城・鍋割城といった城々があったようで、この内山峠方面の視界を補助していたのであろう。
やはり城というのは他の城と連携を取り合って大きな力を発揮するというのが実感できる。

最高所には本曲輪があり、木で作られた碑も設置されている。
あまりここの城には人が来ないようで、割と草が生い茂っていた。
なお、本曲輪からの眺望は木が茂っているため、殆ど見えない。

足元を見てみたら、セミの抜け殻があった。
こういうセミの抜け殻を見たのは何十年ぶりだろう、ふと懐かしくなった。

本曲輪付近は腰曲輪が幾重にも連なっている。
一つ一つの曲輪を堪能してたら・・・
ガラガラ!!!
!?
もしかして踏んだ石が斜面を落ちていった?
っとよく見たら鹿が数匹山奥の方へ逃げていった音だった。
そう、この辺りまで来れば自然も豊富で野生の動物も豊富に居る。
つい熊除けの鈴を鳴らし忘れていたので、取り出して装着した。
本物の熊に遭遇しない事を願いつつ・・・

やっとめぐり合えた、麗しの堀切様。
平場ばかりだと寂しかったので、この堀切の出現は実に嬉しかった。
実は本曲輪の西側にも堀切が二箇所あるようだが、先にここより東にある内山古城へ行ってみたいと思うので、堀切を乗り越えて東へと歩いて行った。
- 2011/08/13(土) 06:33:31|
- 城館探訪の事(長野県)
-
-
まだ霧の晴れぬまま、平賀城を目指す事にした。
雰囲気的にこのまま晴れそうなので、問題なさそうである。

一応平賀城方面を撮影しているが・・・まったくわからん。
地図を見てより楽に城に探訪できる方法を考える。
すると北麓の正安寺の脇に林道がある事を発見し、なるべく上まで車で行く事にした。

こういう目印もない道だと車のカーナビが絶大な効果は発揮する。
今度ポータブルGPSでも欲しいものだ。
って事で平賀城に一番近いポイントに到着。
林道にいながらにして、既に堀切が見えるのが嬉しい所。

ちょっと入るだけで曲輪の出てくるこの幸せ感。
それにしてもよく削ってあって、まがい地巡りばかりの自分にはたまらない遺構である。

しばらく歩いていくと、長野県教育委員会お手製の標があった。
それによると搦め手(裏口)だったようで、そこにはしっかり削平された腰曲輪があった。

なんというグレイツな道。
頭上は本曲輪があり、一歩でも道を踏み外せば転落する。
さすが搦め手だけあり、守りは堅い。

そこからすぐに本曲輪にたどり着いた。
依然として霧がかかっていてはっきりしてないが、見晴らしは良さそうな場所である。

しかも東屋まで設置されているゴージャスさ。
埼玉県の山城でも数城しかない東屋がこんなあっさりと置かれているあたりに長野県のレベルの高さを感じさせられる。
(ただ単にハイキングコースなのかも知れないが)

しかも厠付きという!!
だが・・・ここで用を足すにはちょっと出てきそうで怖い。
東屋(寝床)があり、厠(トイレ)ありと来れば水の手を完備すれば城で生活できそうだ。

石碑および解説板は三の曲輪にある。
大手口から来たらここで感動を味わうのであろうが、こちらは先ほどの厠ですでに感動させていただいている。
この先にも遺構があるのかも知れないが、戻ってくるのが億劫になりそうなのでこのまま搦め手に戻る事にした。

段々霧が晴れて、朝日が城内を照らすようになってきた。
最初霧が出ていてどうなるかと思っていたが、霧越しに照らされる朝日がなんとも美しく見えた。
その幻想的な光に照らされて、城の遺構がより美しく感じられてしまうのであった。

ちなみにこちらが晴れた平賀城。
林道が設置されていてくれたお陰で楽々城館探訪させてもらった。
場所
- 2011/08/12(金) 06:32:32|
- 城館探訪の事(長野県)
-
-
長野県に入って第一に訪れた城である。正確に言えば狼煙台になる。

時間は今朝の5時、長野県は素晴らしい霧に包まれている。
離山という名前に相応しく、その狼煙台は水田にポツンと取り残されたようにある。
南側からのアクセスを試みる事にした。

QBBチーズでおなじみの六甲バター社の工場側の道を通り、普通車じゃちょっときつそうな道にたどり着く。
オフロード車でも好き好んで行かない方が良さそうな道である。

途中で意味ありげな平場が段々状に設けられている。
果たしてこれは狼煙台の遺構か?それとも?

離山の上辺りに来た所、霧がかかっていて視界が悪いが千曲川沿いの景色が一望できる。
他からもこの離山の形状が目立つため、目印になる事は間違いなさそうである。

平場はある・・・平場はあるがこれを狼煙台の遺構と決める決定打に欠く。
それにしても草が濡れていてズボンが湿ってきた。

ここなんか堀切に見えなくも無いのだが・・・ここまで曖昧な地形だと城の遺構にも見える見えないで困ってしまう。

離山を降りてくる最中、恐らく小海線の始発電車と思われる列車の通る音が聞こえた。
周囲は広々としているため音が一段と大きく聞こえた気がする。
って事で次なる場所に移動することにした。
場所
- 2011/08/11(木) 06:31:49|
- 城館探訪の事(長野県)
-
-
マラソンしてきたら、やけに身体が重くってきつかった。
月曜日の信州城探訪において、五本松城で無念の撤退があったのでそれに伴うものか?
筋肉痛は特に無いのだが・・・
内山城とセットに組んだ五本松城だったが、稜線伝いに行く作戦に思わぬ伏兵がいた、無数の倒木である。
内山古城までは順調かつ歩き易い状態だったのだが、五本松城に向かう尾根筋は異常な程歩きにくかった。
この倒木の嵐で身動きが取れず、挙句に服まで破ける激しさに。
採石場から聞こえてくる音を聞く内に、群馬の天引城を初めて訪れた時の悪夢も蘇って、行く気が失せたのである。
でも後でネット検索したら五本松城って堀切りがあったようだ。
ああ、五本松城の堀切が見たかった。
続きを読む
- 2011/08/10(水) 06:52:19|
- その他の事
-
-
埼玉県では「関根姓」の割合が他県に比べて非常に多いそうだ。
それを反映してか埼玉県の中世城館跡にも関根氏が居館としていた所は三ヶ所ある。
今回訪問する関根氏館は志木市の河原岸にあったとされる館跡である。
羽根倉の渡しの付近に位置し、徹底破壊と思いきやほんのりと館跡の名残がある。
流石に道路の形状まで喪失(変革)されていたら萎えるが、この微妙な残り具合は好きである。

これが関根氏館のあった場所の遠景。
土手の上からその痕跡を見ると、中世城館跡の慣れの果てという哀愁が漂ってくる。
では土手から降りて、現地を見てみよう。

この道はかって「羽根倉の渡し」があった当初現役だった道で、この先にその羽根倉の渡しがあった。
自分の好きな
「迅速測図」でこの場所を見ると、その渡し周辺には数軒家があったようだ。

その道の傍らに、なにやら怪しげな土盛りがあったりする。
まさか・・・土塁が残っていたのか?と期待したくなってしまうが、真相は不明である。
もしかすると草が盛り上がって土塁に見えるだけかも知れない。
グランド造成される前の状態で見たかったというのが本音。
でもあれがもし館跡の土塁であったとしたら、残して欲しいものだ。
- 2011/08/10(水) 04:09:42|
- 城館探訪の事(埼玉県)
-
-
難波田城は富士見市で最も保護されている遺構で、史跡公園として整備されている。
実はこの城、今回含めて三回ほど訪れているが、一回も晴れた日に来た事がない。
たまたまであると思うが、他にも雨にしか訪れた事の無い城もあるので似たようなものか。

「難波田城公園」は南側から入ると、旧家の立ち並ぶ何とも凄い雰囲気に包まれる。
旧家はあまり興味がないが、そののんびりとした光景は結構好きかも知れない。

折角来たのだから資料館で資料を・・・と思ったら、今日は月曜日だったので休館日。
ここの資料館はたまに面白い資料が見られたりするから期待していたのだが、残念なり。

蓮の池にポツンと花開こうとしている蓮の花。
行ったのが六月上旬で、これからどんどん花開いていく事であろう。
ちなみにこの付近の小字は蓮田で、その名残を残していると言える。

最初見たときには「結構小さな墓石だな」って思っていたが、後で資料を調べて見ると十玉院の名残であった。
十玉院はこの辺りでは有名な修験場で、この富士見市から志木市に掛けての中世歴史を調べるとこの十玉院の歴史にぶつかる。

そしてこれが史跡公園として整備された難波田城の今の姿。
水堀などは発掘調査の結果を基に再現されているので、それなりのよさはある。

本曲輪付近は残念ながら大部分を民家が占有している為、一部しか公開されていない。
それでも石碑を置いたりして、本曲輪に来たぞという達成感は味わえるかも。

復元された木橋もある。
これも発掘調査の結果、橋を支える柱が見つかった為に架橋された。
復元遺構ぐらいじゃないと橋はメンテナンスが大変なので滅多にお目にかかれない。


他にも食違い小口や木戸(城戸)など色々と整備されているので、中世城館初心者には勉強になる場所だと思う。
他にも難波田城祭りにて火縄銃の実演もやっている。
過去にそのレポも書いた事があるので、そちらも拝見されたし。 →
こちら
他にも数ヶ所城館遺構と思われる所が富士見市にあるが、未だに調査していない。
後日再び訪問して調査してみねばならないな。
- 2011/08/09(火) 14:26:26|
- 城館探訪の事(埼玉県)
-
-
他の武蔵直登の方々が信州の城館攻めをされていたので、自分も行ってみた。
東部の佐久地方ぐらいしか資料が無いのだが、それでも楽しく行ってこれた。

夜明け直後の群馬県荒船山の艫岩。
国道254号で長野入りする際に撮影したもの。
相変わらず恐ろしい山容だが、登らないので鑑賞するだけなら問題なし。

こちらは長野の山城の一つ。
長野県側は丁度霧がかかっていたので、それがかえって幻想的な城館写真に仕上がったりも。

今日は素敵な青空の下、城館探訪する事ができて楽しかった。
ただ、午後3時ごろより雨が降り始め、テンションはガタ落ちに・・・。
この模様は後々ブログにアップする事に。
- 2011/08/08(月) 22:44:59|
- 城館探訪の事(長野県)
-
-
多門(おかど)氏館は中世期の館跡に徳川氏の旗本多門氏が住んだことから因む名前である。
以前は何故か木が生い茂ってるという理由で撤退していたのだが、やはり訪問していないのは気がかりだった。
そこで今回の訪問となった訳である。

前は森だった多門氏館が、綺麗に伐採されて発掘調査されていた。
なんのめぐり合わせか?館跡は今新たなる真実を求めて掘り返されていたのである。

堀はしっかりと従来の姿を取り戻しているようだったが、残念な事にブルーシートが被っているので中が伺い知る事ができなかった。
でもこれを見るだけで結構深い堀のようである。

館跡内部もしっかり発掘されており、幾つかの柱穴が顔を覗かせている。
中世期の屋敷は基本的に掘立式であり、家の柱を建てるのに当然穴を掘っている。
この穴のお陰でその館跡にはどの位の規模の屋敷が建っていたか、垣間見る事ができる。

他のサイトでは木が生い茂っている写真が多かったが、これを行った時には見事な見ごたえがあった。
本当は発掘調査をされている調査員の方に話を伺いたかったのだが、忙しそうに動いておいでだったので声をかけるのを控えた。
後日同地を再訪問された
「そこに城があるから」の左馬助さんの話によれば、住宅開発による発掘で遺構は喪失してしまうとの事。
確かに中世期の館跡なら液状化現象の心配はほぼ無いが・・・できたら後世に残して欲しい遺構の一つでもあった。
この日は心残りが無いように、徹底して撮影してきた。
せめてこちらの堀は残して欲しいものだ。
- 2011/08/07(日) 04:34:31|
- 城館探訪の事(埼玉県)
-
-
さっきネットみてたらこんな記事見つけた。
山崎の戦い、堀跡が出土 明智光秀の本陣守る?
同ページに掲載されている堀をみると、短時間で作ったと思えないほど深い。
これを見ると短時間でも大勢の人手が加われば是だけの遺構が作られるという事か。
ただ、元々あった要害を本陣にしていた可能性も考えられるので、一概に光秀が築いたとも言いがたい気もする。
- 2011/08/06(土) 14:52:14|
- 研究の事
-
-
やっと10日以上ぶりにマラソンした。
でも・・・走れる距離が短くなったような気がする。
やはり毎日走り続けないと、体が段々なまってくるようだ。
息が苦しくなったので息を整えながら歩いていたら、近くの森からヒグラシ(セミ)の声が聞こえてきた。
ヒグラシの鳴き声を聞くと、かって山で合宿して夜更かしした思い出が蘇ってくる。
あの時は学生で、今ほどの行動力はなかったけど、夢にあふれていた時代だった。
もし今の自分があの頃の自分になれたら・・・若さに任せて山城を訪ね歩くのだろうな。
と思うと学生時代以前に中世城館跡に目覚めなかった自分が悔やまれてしまう。
でも、これからがあり、その為にマラソンして身体を鍛えているのだ。
これからも楽しい城館探訪を続けるべく、頑張って行きたいものだ。
ヒグラシの声を聞いただけで、これだけの思いが出てくるから不思議。
夏の朝夕に鳴くヒグラシに色々な思い出を持っているのは、きっと自分だけじゃないはず。
今日は一ついい気分にさせてもらったのだった。
- 2011/08/06(土) 06:05:26|
- その他の事
-
-
現在富士見台中学校になっている台地に、かって鶴馬城という中世期の城があったという。
東に突出した台地になっており、校庭になっているところには、台地を横切る堀切りらしき窪地があったという。
早速訪ねてみよう。

来てみてから気付いたミスが一つ・・・丁度時間が放課後だったという事。
当然訪問日は平日なので、中学生たちが校庭で部活動に勤しむ時間である。
そんな所にカメラを持った怪しい城館探訪者が行ったら・・・絶対警察に通報されてしまう。
仕方ないので差し支えない所を撮影していく事にした。
ので有力な写真が撮れなかった・・・。
本当は堀のあった校庭を撮影したかったのに・・・。

中学校のある台地の南側に来た。
一緒に写っている建物を見れば台地の高さがある程度把握できるかと。
そんな事で「これぞ鶴馬城!」という写真を撮れず、無念の撤退をしたのであった。
- 2011/08/05(金) 05:00:44|
- 城館探訪の事(埼玉県)
-
-
このブログ、朝サバ落ちしていたようでアクセスできなかった。
ブログというのはよくこういう事になるのかなっと思ったり。
それと以前マラソンをしていたが、この所天候が良くなかったので走っていなかったり。
普段仕事で歩くのでそれなりの運動量はあると思うが、マラソンできなかったのはちっと残念。
天気もよくなってきた感じもあるので、明日から再開せねばならないな。
- 2011/08/04(木) 14:37:24|
- このサイトについての事
-
-
次のページ