カシミール3Dに付いていた「カシバード」ってソフトがすごく恐ろしい。
何が恐ろしいかって言うと、その地形の再現度が半端じゃない。


左は大築城から見た慈光寺方面で、右がカシバードの画像。
ちゃんと日付や山の見え方を設定するだけで、ここまで再現できる恐ろしさ。


今度は寄居町の金尾要害山から見た花園城の風景。
少々見える位置を高くしてしまったが、ほぼ同じ山の見え方なので、ビックリ。
このソフトは忠実に再現しているだけあり、航空写真も撮る事ができる。

やばいな・・・これは。
これで河川まで忠実に再現する方法を見つけたら、
我が城館まがい地探しに一役買ってしまいそうだ。
あと朝日と夕日が妙に暗い空になるのも改善したら、
PCを使いながら凄い絵が描けそう。
もうちょっと調べてみよう。
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- 2013/01/30(水) 02:27:46|
- 研究の事
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比企郡と入間郡を分ける山々の一部に大築城と呼ばれる山城があった。
その城は昭和40年代の台風の風害で、人々にその美しい遺構を披露したのだという。
そんな大築城にそういえば数年行ってなかったので久々に訪れる事にした。
ところが久々過ぎて何処から登ったのかをすっかり忘れてしまったのであった・・・。
かくしていつもと違う麦原集落の宝勝院境内から登っていく事になってしまった・・・。
途中で運良く以前歩いた道と合流でき、ここから再訪問の始まりであった。

余りにも小築山に登る人が多かったのか。
間違え易かった分かれ道に案内が付いた。

モドロノ郭に設置されていた解説板が何故か倒れそうに。
以前はちゃんとまっすぐ立っていたのに・・・地震のせい?

モロドノ郭は木を伐採してあるので、ちゃんとさいたま市のビルも見える。
前回来たときはガスがかかっていて見えなかったので、いい風景に満足。

モロドノ郭を抜け、しばらく歩くと竪堀を通って城へのショートカットができる。
ただ、竪堀をそのまま登るので、勾配がわりとあるので健脚向け。

竪堀の直登をこなせばご褒美の城館遺構が待っている。
大堀切もいいけど、この虎口もなんともいえぬ味わい深さ。

本曲輪にも解説板が設置されている。
この日(2013年1月28日)は北風が強くて強烈に寒かった。
寒かったのだが、ここの遺構に萌えを感じた。

大築城が築かれるきっかけになった慈光寺も大築城からしっかり見れるようになっていた。
それはいいんだが・・・木がなくなった為、吹き付けて非常に寒い!!
その後、あまりにもいい遺構なので、日没した後までお絵かきしてしまったのであった。
久々に鞄からヘッドランプを取り出し、大築城を後にした。
降りるのは早くて、麦原集落までおおよそ15分ほどで着いた。

見せても仕方ないが、現地で書き写した大築城の下書き。
今回はGPSを持っていたので、標高まで記入できた。

先ほどの下書きを元にケバ図を描くとこんな感じになった。
モドロノ郭はまた別に書く予定なので、今回は除外してある。

ケバ図だけだと立体感が湧かないので、ついでに俯瞰図も描く。
俯瞰図の描き方がおおよそ45度傾けた向きになりがちで、
裏側の竪堀まで描けない。
これを80度ぐらいにまで持っていければ結構いい感じになりそうだ。
うん、また修行あるのみだな。
- 2013/01/29(火) 01:04:21|
- 城館探訪の事(埼玉県)
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二点ばかり。

一点目は日高市北平沢にあったという「大蔵院元屋敷」推定地が、
県道30号バイバス敷設により一部破壊されようとしております。
既に南を流れる高麗川以南はほぼ工事が終わり、
現時点では橋の設置工事に取り掛かっているようです。

北側もの山も既に道路建設敷地の木が伐採され、いよいよという感じになってきました。
この辺りの藪も全て刈り取られた状態になっていますので、
もし現地調査をして見たい方はお早目の方が良さそうです。
もう一点は明るい話題。
所沢市滝の城では、一部発掘調査を実施しております。
その調査説明会が2/2(土)に滝の城にて四回に分けて開催されるようです。
天正十八年(1590)の豊臣方の攻撃により一日で落城したとされる滝の城。
その時の戦で焼け落ちたとされる門が見つかったようです。
ご興味のある方は行ってみた方が良さそうです。
詳しくは下記のページに書いてあります。
滝の城発掘調査説明会(所沢市ホームページへ)
- 2013/01/28(月) 23:26:04|
- その他の事
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自分が過去に夢見た「歩きながら城館跡の縄張り図が連動して動く」という夢を
この二つのソフトが叶えてくれそうな予感。
「カシミール3D」は地図マニアの方にはよく知られたソフト。
国土地理院などから発行されている等高線のある地図を、
迫力のある立体画像にしてくれる凄いソフト。
これに手持ちのスマホのGPSと重ね、
連動して動いてくれるのが
「DIY GPS」ってソフト。
この「DIY GPS」は自作した地図でも座標あわせすれば使えるので、
実質上作成した縄張り図の上をまるでカーナビの如く歩くことができる凄さ。
これは個人的に城館探訪に新たなる革命を引き起こす予感がする。
って事で最初にカシミール3Dのお勉強を一つ。
国土地理院の電子地図である
「ウオッちず」をカシミールで開くものの、地図が出るが立体感なし・・・。
その原因は標高データなるものが無かったようで、「10mメッシュ」なる標高データを、
ツール → 地図画像ツール → 作成済み地図画像と融合 をするだけで
立体感のある地図がでるようになった(ここまで苦戦したので備忘録として記録)
さて、これで準備ができたので、次は地図への書き込み。
先日飯能市のリュウガイ城に行ったので、この探訪ルートをカシミールで描いてみた。

赤破線は自分が過去二回利用したリュウガイ城への探訪ルート。
妻沢運動場は・・・ちょっと駐車場として間借りしたので記載した。
本当はもっと大きい画像なのだが、ちょっと入りきらないので
主要部分のみを書き出し、補足を書いたが・・・スケールを入れ忘れた。
うーん、こういう地図があるだけでも全然分かりやすーい!!
このカシミールの恐ろしさはこれだけではない。

出発地点から目標地点までのアップダウンを断面図で表示してくれる。
自分の能力ではここまでしか解明できなかったが、もっと色んな事ができる。
そうしたら次は 編集 → 選択範囲の設定 で切り取りたい部分を選び、
ツール → マップカッター → 切り取り で選択部分のみを抽出。

取り出した部分を「KMZ」形式で保存すれば下ごしらえは終了。
それでスマホへの転送方法なのだが、メールの添付ファイルに付けて送るのが
一番やり易いように思えた。
受信したメールの添付ファイルをタップし、「DIY GPS」で開けばもう使える。
実際に自宅周辺で試してみたが、KMZ形式は座標データも入っているようで、
すぐにスマホのGPSと連動して稼動した。
今日一日がこの勉強でつぶれたが、より楽しい城館探訪をする為なら
充分もとが取れるだろう。
明日の調査が楽しみだ。
- 2013/01/27(日) 17:30:53|
- 研究の事
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三ノ倉城所在地中尾城の状態を見届けた儀一は、そのまま烏川対岸にある三ノ倉城へ向かった。

三ノ倉城は別名栗崎城といい、全透院の裏山に築かれた城である。
ココからの風景がいいのは鉄塔ファンとして奥に新榛名線の高圧鉄塔が見える所。
城館跡も、鉄塔も好きな自分には両者が写っている光景はたまらないのである。

国道406号沿いにはご丁寧に栗崎城として看板が建てられている。
少々狭い道だが、ここで曲がれば真正面は全透院である。

さて、自動車できた自分は何処に車を停めようか迷った。
全透院に乗り込もうかとも考えたが、念の為手前の道に路上駐車する事にした。
本当は左側の駐車場が使えれば良かったのだが、ロープで閉められているので諦めた。

全透院の解説板の末尾にはオマケ程度に栗崎城がある事が書かれている。
ただ、困ったのはその栗崎城へどうやって行くのか書いてないのである。
一応正面の風景を見て、墓地から尾根を伝って登るルートがあると読んだ。

ふと後を振り返ると、山門と鐘撞堂がドッキングされた建造物がそこに。
狭い土地の場合はこういう方法も有効なのだろうな。
ただ、鐘を突く為にハシゴを登るのが大変そうだが。

墓地の中は先に歴代住職さんの墓まで上り、そこから左に行けば写真の尾根に近い所に出れた。
そこからその尾根に移って、城の遺構を目指す。

本曲輪は一部土塁が囲っている地形で、その土の凸凹には我がお絵かき魂に火が付いてしまった。
実を言えば今回お絵かきばかりしてしまい、遺構の写真はあまり撮れなかった。

こちらは本曲輪直後の切岸、そして帯曲輪に立っている所。
この辺りの遺構の巧みさに、結構興奮気味の儀一。

更に土橋があり、その先には倉渕線3号がそそり立っていた。
新しい鉄塔のようで、そのアングル鉄塔は日の光を浴びて輝いていた。

これが大まかに書いた城の縄張り図。
土橋の脇の土塁が微妙に書き表すのが難しく、土橋が若干斜めに接続されているのが表現できなかった。

適当に書いた俯瞰図は大体こんな感じ。
ふもとの全透院はほぼ適当に書いたので、いたって雑であったりする(汗
城のお絵かきをすると時間の経つのが早い。
結局この三ノ倉城で三時間もウロウロしてしまったのであった。
- 2013/01/26(土) 03:52:16|
- 城館探訪の事(群馬県)
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中尾城所在地倉渕村で一番手強い山城である鑰掛城の探訪を終え、次はリラックスする意味で民家に程近い中尾城を訪ねた。

現地に到着。比高差はおおよそ10mぐらいで、遺構は乏しそうだが探訪は楽そうだ。

駐車場が無いので、差し支えなさそうな場所に車を停めて、中尾城へ向かう。
これだけ立派な橋だったら車でもいけたかも。

ほ場整備工事?って事は田んぼ用の土地を造成中という事か。
看板をちょっと読んでいたら左下には「通行止」の三文字が・・・
ちょいとヤな予感がするが・・・

中尾城は重機に蹂躙されておりました。
まるで王蟲の群れによって滅ぼされた町をみたような気分。
せめて昔の地形だけでも残ってくれていればって感じだ。

そんな中尾城だったが、尾根の先端部分だけは妙に木も草も無く、綺麗だった。
この感じ・・・
上野城の土塁を見ているような気分に。
という事で中尾城の調査は終わってしまったのであった。
- 2013/01/25(金) 03:28:52|
- 城館探訪の事(群馬県)
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鑰掛城所在地年が明け、儀一は吾妻郡の山城を見たかった。
だが、吾妻郡は降雪し、迂闊に探訪しようものなら危険な状態であると思われた。
そこで、少しでも吾妻郡に近い所という事で、今年初の群馬の城館跡をここ倉渕村にした。

前回同様、またはやり過ぎて夜の内に倉渕村に着いてしまった。
ええい、こうなったら少しでも早い時間に時間の読めない山城から攻めるより他あるまい。
と、突発的に現時点では一番山奥にある鑰掛(かぎかけ)城への林道を進むのであった。

街灯もなくなり、民家もなくなり、更に道が砂利に、また更に路面がアイスバーン化してきた・・・。
さすが倉渕の山奥、ここまで来ると雪が凄い。
雪解けが再氷結した氷道をゆっくりと進み、一応鑰掛城への道を検討付けて暗い林道で路上駐車。
車内のライトを消したら本当に真っ暗である。

写真じゃまだまだ真っ暗だが、肉眼では結構明るくなってきた。
熊除け鈴といつもの行進曲を掛けながら、誰も居ない雪の残る林道を鑰掛城に向かって進む。

林道の分かれ道があり、事後報告であるがこの右に登っていく林道をそのまま進めば鑰掛城へ行ける。
自分が来る前につけてあるピンクのリボンが目印で、これに自分のマーキングであるイエローテープも加えた。
さあ、勇ましい音楽と共に林道を登って行こう。

林道を登る事(のんびり歩いて)20分ほどで、朝日が差してきた。
そしてその上の稜線を見ると・・・これは堀切か?
この堀切を確認しつつ、儀一の足は更に加速する。

本曲輪の下あたりから見上げた写真。
山頂の遺構で、人里からだいぶ離れている事もあって、堀の深さは殆ど無い。
腰曲輪を経て、更に奥へと進んで行く。

おお!!逆光に見ているためか、遺構がより立体的に見える。
平日の早朝、皆が正月休みを終えて仕事に行く朝に自分はなんて贅沢な時間を過ごしておるのだ。
朝日に照らされた鑰掛城を見て、真っ暗な内から麓に来て良かったと思った。
(みんなはマネしちゃダメだぜ!!)

中腹から見た堀切は、なんと切通しでしたというオチだった。
いや!まて?確かに今は切通しになってしまっているが、
その脇には竪堀が下に延びている。
そう、元々堀切だった所を林道造成により切り開かれた残骸なのであった。

本曲輪に近くなると、切通しの規模もジャンボに。
これだけデカイと堀としての役割を充分果たせるな。
高さは目測4m程

本曲輪直後の堀切。
こちらは林道が通っておらず、原型をとどめた形状を見る事ができる。
それにしてもこんな山奥にこれだけの堀切を擁した城が築かれた経緯は一体?

そして本曲輪、土塁も無くただ削平されただけの地形だが、それまでの堀切があるのでこの位で充分なのだろう。
山城によくある石でできた社もある。

半ば林道が通って半壊しているが、尾根先端部の腰曲輪。
ここから下流方面の視野はとても良さそうだが、あまり良く見えなかった。

かくして鑰掛城の探訪を終え、無事車に辿りついた。
そして帰り道を少し振り返ると・・・木々の合間からヒョッコリと鑰掛城が見えた。
これだけのいい思い出が出来たから、しばらく鑰掛城はいいやって気分になれた。
- 2013/01/24(木) 03:47:50|
- 城館探訪の事(群馬県)
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高林城所在地整備された甘楽町の麻場城へ行く途中で急激な眠気に襲われ、麻場城の駐車場に着いた途端にダウン。
軍曹殿には大変申し訳ないが、ここでいつもの昼寝をし、軍曹殿には麻場城の遺構を堪能していただいた。
軍曹殿がお戻りになる頃にはすっかり寝られて、いくらか調子がよくなった。
その後麻場城近くの白倉氏の居館(?)を見た後、我々としては初の高林城へ向かった。

最初高林城の南東方向麓にある富久団地からの侵入を試みるべく、団地奥の資材置き場へ行ってみた。
しかし、素晴らしいまでの切岸に軍曹殿も大苦戦。
力攻めは無理と思い、軍曹殿にネットで調べていただき、正攻法が城の北にある黒岩小学校から行くと判明。
早速黒岩小学校まで回り込む。

小学校前の道路と川を渡る陸橋があり、ここを使って向こう岸へ取り付く。
小学校脇の墓地を抜け、高林城のある岡へ登り始める。

小学校からの道はさほど急坂ではなく、晴れていれば楽しいハイキングが楽しめそうな里道であった。
この時軍曹殿のテンションはかなり高まっていたようで、自分を置いてどんどん先へ進まれる。
自分も慌てずマイペースで登って行く。

恐らく先ほどの黒岩小学校の皆さんの作品であろうか。
お手製の案内板が我々を城へと導いてくれる。
その脇をよく見ると結構精密な縄張り図付きだったりする。

のんびり歩いてようやく本曲輪たる山頂へ。
ここはおおよそ一辺30mほどの三角形状の曲輪で、周囲の見晴らしはとても良い。
良いのはいいが・・・軍曹殿の姿は見えない。

北側の曲輪に降りると軍曹殿が土塁を見て大興奮中。
むむ、これは見事な土塁、軍曹殿が興奮されるのもうなずける。
それでチラっと山崎一先生の縄張り図を見ると、土塁の先にも堀切があるみたい。
では、堀切もちょっと見てみるかな。

おお!!なんと言う美しい堀切が!!
緩やかな尾根を分断するやや埋もれかかったその堀切を見て、
二人のテンションはかなり上昇。
これは周囲の遺構を更に調べるしかないと思い、藪に突撃する。

う・・・これもまた美しい・・・。
この辺りの藪を刈り取れば、美たる遺構が現れる事だろう。
これらの遺構を見て思わずちょっとお絵かきしかけた自分が居たが、
またも軍曹殿をお待たせしている事に気付き、これまた中止する事に。

日が暮れかけ、我々の今日の城館探訪は終わった。
かくして城館探訪で流した汗を洗うべく、ちょっと先の磯部温泉へ行って来た。
その道中で、我々に城館遺構の素晴らしさを再認識させてくれた高林城の遠景写真を撮る。
ありがとう、軍曹殿! ありがとう、群馬の城館跡!
今日(2012年12月17日)はとても楽しい一日になった。
- 2013/01/23(水) 03:13:38|
- 城館探訪の事(群馬県)
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多胡館所在地
多胡館は帯刀先生(たてわきせんじょう)であった源義賢の居館であったという。
閑静な宅地の道脇には「多胡館跡」と書かれた道しるべが。

道しるべを兼ねた標柱まで設置されている。
それでは奥に進み、館跡の遺構をいざ拝見。

行くと素晴らしい土塁がお出迎え。
なお、表は民家なので裏側の土塁のある所で充分楽しむ事に。

清和源氏の流れをくむ貴人が住んでいただけあって、解説板も完備。
ご丁寧に縄張り図付きというのが恐れ入る。

土塁も比較的高いが、堀はわりと埋もれてしまっている。
でも土の凹凸が大好きな自分にとって、この位は全然OKだったりする。
なお、軍曹殿とは天久沢陣城・多胡城にも行ったが、
こちらは軍曹殿のレポが詳しいのでこちらに譲るとする。
- 2013/01/22(火) 03:57:38|
- 城館探訪の事(群馬県)
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本日は大変お日柄が良かったので、城館資料を集めに行きつつ、鉄塔鑑賞を楽しむ。

このほっかぶりをした鉄塔君、今後の動向が気になる所。

車窓からニ路線が並走するシーンのはずが・・・。
もう片方が離れ離れに。
でもこのニ路線、こうやって見ているとまるでワルツを踊るかの様な優雅さが。

優雅に踊る鉄塔たちは、やがて導かれるように社交場へと姿を見せる。
右手前の四回線の鉄塔は自分の大好きなグンカン(群馬幹線)。
そして少し奥の紅白が青空に映えるあの鉄塔は私がよく話題に上げる只見幹線。
どちらも城館探訪する際によくお目にかかる、個人的に馴染み深い路線達。
お互い電源開発と東電で所属会社は違えど、変電所という社交場へは仲良く入場する。
(正確にはグンカンはこの変電所には接続されていないらしい)
周囲を見れば他の鉄塔たちも会場たる変電所に姿を現している。
彼らの変電所と言われる社交場は巨大で、かつ沈黙した異形の社交場である。
あー、鉄塔たちを見ていると人間模様を見ているようで楽しい。
- 2013/01/21(月) 04:37:15|
- 送電鉄塔についての事
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最近縄張り図の練習を重ねているが、どうも絵にムラがあるように思える。
というのも書く絵によって立体感がある絵と無い絵の差が激しいのだ。

これは所沢市史上巻より移し書いた勝楽寺城の縄張り図。
実際の遺構を見る事ができないので、市史の図をパクるしかこの城は書けない。
それは置いといて、かな~り粗い絵だが練習なのでこんなものか。
遺構に影をつけると下の絵になる。

ん~、なんか舌状台地じゃなくて平べったい半島にしか見えない。
そうか!遺構以外の陸地に影が無いから平べったく見えるのか。
って事で遺構以外にも影をつけると下の絵のような感じ。

なにか違う・・・ちょっと手を加えただけだからイマイチ感があるのだが、
影の濃さを統一させてなかったのも原因だろう。
かくして儀一の苦悩の時間はまだまだ続きそうだ。
- 2013/01/20(日) 03:44:22|
- 研究の事
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上野城所在地今回の目的地である国峰城を訪れた後、さて?何処に行こうと思ってうろついていて、
そうだ!ここに迫力のある土塁が残されている城があったっけ。
そんな感じで思い出して行ったのがこの上野城。
近くの集会所に少々車を停めて、ちょっと行ってきた。

集落に「ドカッ!!」って感じで存在する土塁。
周囲は結構宅地になっているのにも関わらず、これだけの保存状態は素晴らしい。

以前はなかった標柱が土塁と堀跡であった事を示している。
側面にはしっかり解説もあり。

土塁の北側は東に向かうにつれて徐々に土塁が低くなっていく。
そして東側は土塁はまったく存在しないのだが、
西側にこれだけの土塁&虎口があれば充分凄い。
(欲を言えば堀も埋められてなければパーフェクト)

いい!この土の立体感がとてもいい!!
更に好感持てるのは地主さんがしっかり雑草を処理している事。
こうやって見ていると、土塁には木や芝が植えられているようで、
土塁と園芸が融合した世界を見ているようである。
しっかり手入れをして下さった地主さんに感謝。
数年ぶりの再訪問だったが、眼の保養になった。
- 2013/01/19(土) 02:21:16|
- 城館探訪の事(群馬県)
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国峰城所在地
大字国峰がほぼ城の領域というほど広い城。
周囲の山が防衛線を敷いている。
一般の方には群馬サファリパークの裏山といえば場所は分かり易いか。

国峰集落に入ると国峰城への案内が出てくるので、それに従っていけばいける。
ただし、途中で道が荒れるので自動車は御殿平の下あたりの集落に停めた方が無難かと。

御殿平はそこそこの広さの公園(?)になっており、
ベンチが設置されているが、ここで遊ぶ子供がいるのだろうか?
それでも堂々と写真が撮れるのはありがたい所。

御殿平から更に登ると尾根を切り通した場所に出る。
元々はもう少し狭かったと思うが、今の方が充分堀切としての役割は果たせると思う。

所々に竪堀を見る事ができ、これだけで大興奮。
軍曹殿と共に歩く速度も加速する。

途中にあったこの竪堀にも凄みを感じた。
写真だとイマイチだが、実物はもっと凄いので是非現物を見ていただきたい。

てな感じで色々と見て周り、ようやく本曲輪へ到着。
興奮醒め止まぬ軍曹殿はどんどん他の遺構を見に行ってしまわれる。
かくいう自分はこの土のデコボコに感動し、お絵かきをしようとする。

色あせてはいるが、一応解説板がある。
それにしてもこの板って麓から担いで持ってきたのか・・・凄いな。

西の尾根にも素晴らしい堀切などが残されており、見ているだけで感動。
そのままお絵かきをしようかと思ったが、軍曹殿にご迷惑が掛かると思い中止した。

国峰城からの眺望は素晴らしい。
手前のサファリパークから遠くは榛名山まで見通せる。
軍曹殿のリクエストで行ったが、やはり来て良かったと思った。
かくして素晴らしい遺構に満足し、今後は成り行きで城館探訪する事になった。
- 2013/01/18(金) 03:51:23|
- 城館探訪の事(群馬県)
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内匠城所在地「国峰城が見たい」そんなリクエストを軍曹殿より受け、去る12月17日に国峰城に向けて車を走らせた。
ソロの時は一般道を通るのだが、高速道路を使うと早い早い、瞬く間に上信越道富岡ICに到着。
そのまま国峰城に行ってもいいけど、何か前菜が欲しいという事ですぐ脇を通過した内匠城へ。

東側から見た内匠城の勇姿、こちらから見れば間違いなく要害であると思わせる。

上信越道の側道が行き止まりになっているので、そこに車を停めて出ればもう内匠城城内。
この意味ありげな削平地と奥の竹林・・・魅惑の香りが致します。

他のサイトでも紹介されている通り、結構堀の幅は広い。

本曲輪北側の土橋、少々立体感が無いが土橋があるのを確認している。

本曲輪の土塁、この立体感が来て良かったという充実感を出してくれる。
その後西側の堀を通過して車に戻った。
前菜にしてはボリュームのある城で軍曹殿も自分も大満足。
国峰城に向かう途中で最初の遠景を撮って、本題へと向かうのであった。
- 2013/01/17(木) 03:51:53|
- 城館探訪の事(群馬県)
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題名のコワイはもう縄張り図の事しか考えられなくなるという危機感から。
某サイトにおいても「縄張り図は絵だ」という名言を書かれているが、
描いていると本当にそう思う。
絵の上達のコツは「人の絵を真似する」事があると自分は思っている。
それをあたかも自分の作品として出してしまうのであれば問題だが、
自分の手元で練習するだけなら、どんどん人の絵を真似して上達するのがいいと思う。
自分も普通の絵を描くときには、色んなものを描いていた。
これが縄張り図ともあれば、実際の遺構を元に描いている訳で、
その研究者の目(フィルター)を通した遺構が縄張り図に反映される。
「これは堀切か?腰郭か?」なんて事も、その研究者に映るものが絵によって表現される。
ので同じ遺構を描いた図があると、見え方の相違点を見るという楽しさはある。
そういった意味もあって、極論を言えば全ての城館研究者が縄張り図を描ければいいなっと思ったりする。
「百聞は一見にしかず」というのは城館の研究においても言える。
ただ、こういう縄張り図を書く講習とかはなく、実際は独学に頼らざるを得ないのが現実か?
それでも「縄張り図の描き方」なんて本は結構出版しているように思うし、
関口和也氏の様にネット上で描き方のレクチャーしている場合もある →
こちら後は先ほども書いた通り、人の絵を真似して練習することかも知れない。
縄張り図は練習せずには描けるようになれない。
自分も中世城館跡に行った時には、なるべく縄張り図を描いて観察力を高めたいと思う。
- 2013/01/16(水) 04:14:48|
- 研究の事
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今日は雪が降ったので特に出かけず家にて資料まとめ。
過去に集めた資料の数々を見ると、行きたい城館跡が増えるから嬉しい悩みだ。
再調査が必要な所が結構たまってきたので、時期を見て行ってみたいものだ。
ちっとショックな内容を一つ。
北本市のホムペに
「圏央道工事について」と書かれているページがあり、
それを読むと自分が良く中山道越えに利用している県道東松山桶川線の脇を圏央道が通過するらしい。
よく愛用していた軍用道だけに圏央道建設によって渋滞する可能性が出てしまったのは残念な事。
更にその先のルートを辿ると・・・松山城士であった小高氏の屋敷をモロに通過している。
「まさか!?」と思って
大宮国道事務所のページの航空写真を見たら・・・ストライクでした・・・。
これは痛い追い討ちだ、小高氏屋敷が徹底破壊される前に再訪問しておかねばなるまい。
(もう遅いかも知れないが・・・)

小高氏屋敷のちょっと前の風景。

半ばゴミ捨て場になっていた水堀跡かも知れない水溜り。
写真みて思ったが、既にこの時点でも周囲に建築物が無い事で気づくべきであった。
こうして中世の遺構がまた一つ喪失していくのか・・・。
同じく圏央道敷地になる字中手城の本格的な調査もしてないな~、こりゃ参った。
(とか言いつつ、ちょっと前に少しだけ調査してた)
- 2013/01/14(月) 19:50:32|
- その他の事
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リュウガイ城所在地今日は午前中じっくり寝て、午後から飯能市原市場のリュウガイ城へ行ってきた。

妻沢運動場よりちょっと先に、丸太の橋がかかっている。
ココからリュウガイ城のある山へと取り付く。
稜線に出るまでは結構急でかつ明確な道が無いが、
現在の所はここの道が一番良いように思える。

登っておおよそ30分ぐらいで本曲輪に到着。
本曲輪は東西約30m強、南北10m程の長方形をしている。
中央には大杉が枯死した際に出来た穴(抜根?)がある。

以前来た時にも興奮したが、今日はこれを更に絵にするべくやってきたのだ。
さっそくスケッチの道具を取り出したが・・・重要アイテムの一つ、コンパスを車に忘れてきてしまった。
仕方ないので太陽の指す方角からおおよその方角を割り出してスケッチする。
尾根から尾根へとくまなく周り、大雑把な絵が完成した。

帰りは奥秩父線53号のある尾根から直降。
転がるように降り、ついに53号へ。
ここから先は鉄塔保守道があるので、比較的楽に降りる事ができた。

下書きはボールペンでちょちょいと書くのでミスだらけである。
一応リュウガイ城の俯瞰図が完成したのでアップ。
やはり文章で表すより、絵で書いた方が遺構の構造を理解し易いね。
- 2013/01/13(日) 17:41:13|
- 城館探訪の事(埼玉県)
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横瀬の机の城(一般的には根古屋城が通りがいい)の発掘調査の結果、
戦国初期頃の素焼き土器が発見されたという。
横瀬の根古屋城跡 素焼き土器発見 戦国初期に城郭存在か文献などが失われている場合、伝承を除くとどうしても発掘調査に頼らざるを得ない所。
だが、「論より証拠」ならぬ「論より遺構」と言えるぐらい発掘調査は説得力がある。
今後も我々素人では見る事のできない中世を機会があったら紐解いていってもらいたいもの。
んで、文中に「戦国期の秩父地方には六十八の城があったとされているが…」とあるが、
そんなに城があったっけっていう疑問が。
もっとも「秩父地方」というくくりが人によってまちまちなので、
機会があったら数え直してみてもいいかも知れない。
- 2013/01/09(水) 02:25:37|
- 研究の事
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吾妻郡の城館跡を見に行く事ができない悔しさに、
吾妻郡より一つ手前ぐらいの元倉渕村の城館跡を訪ねた。

意気込んでやってきたら・・・また外が暗すぎ。
一応今回一番山奥の城郭を先に訪ねるべく、林道を走った。

林道なので当然街灯もなく、車のライトを消せば真っ暗。
あと30分ぐらいで明るくなるはずなのだが、この暗さは流石に恐怖を感じる。
入口だけを確認し、車を路肩に停めて外が明るくなるのを待つ。

その甲斐もあって、朝から素晴らしい遺構を見る事ができた。
特に朝日より逆光で撮る事によって、遺構の立体感が出ていい。

その後、鉄塔榛名線の68号に偶然にも遭遇。
この辺りの榛名線は送電線の高さがおそらく10mもなく、手を伸ばせば届きそうな予感。
そんな小さな榛名線を後輩の新榛名線が軽々と乗り越える。

気に入った場所のお絵かきばかりしていたので、今日回れたのは元倉渕村の城館跡のみ。
何気にケバ図の描き方が判ってきたようなどうかって所まで描けた。
やり方次第によってはケバ図って面白いかも知れないね。
- 2013/01/07(月) 22:49:50|
- 城館探訪の事(報告編)
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元旦から昨日まで仕事続きだったので、今日が今年初の城館探訪となった。
初城詣での場所を何処にしようかと考えた所、できたら埼玉県内の城が行きたくなった。
そこで、国指定史跡になってから一度も行ってなかった小倉城へ。

小倉城へは幾つかのルートがあるが、個人的には西側から入るルートを利用している。
こちらならそれほど登りは急ではなく、行き止まりの道の脇に車を停められるからである。
車道が終わる数百メートル手前を右に曲がると、小倉城への道がある。

流石に国指定史跡になっただけあって、徐々に木々が伐採されている。
こうやって綺麗な状態になると、埼玉の城館跡もいい遺構があるなっと実感できる。

本曲輪は外来の松を伐採するため、石碑のある一部にしか立ち入りできない。
それでもこうやって見学できるのだからありがたい。
伐採中の小倉城なんて今しか撮影できないと思い、色々と写真を撮らせていただいた。

小倉城で一番お気に入りの堀切。
幾ら脆い岩盤とは言え、人力でここまで掘削したのは凄い。
側面の岩肌を見れば幾つもの層が重なっており、平石積みの理由がよく分かる。
年明けからいい城を見ると、一年がとてもよく過ごせそうだ。
その後図書館にて資料集めをしてきた。
さて、明日は山城攻めるので、今日はもう寝るとしよう。
- 2013/01/06(日) 22:04:35|
- 城館探訪の事(報告編)
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新年明けましておめでとうございます。
今年が皆様にとってよき年になりますように。
昨年末は仕事の忙しさと家での雑用、更に体調不良が重なり城館探訪できずな状態だった。
年越しの城館跡をどこか行きたかったが、こんな状態なので諦めるに至ったのであった。
だが、毎年欠かさず行っているのは「初日の出」を拝む事。
これをする事によって気分的に充実した一年が過ごせそうに感じるから不思議。

こちらは昨年2012年に拝んだ初日の出、若干雲がかかりながらも少しだけ朝日が顔をのぞかせていた。
大晦日は少し雲が多めだったが、曇っていたとしても初日の出は拝みに行きたい。
ただ、今日は仕事があるので、引き続き城館探訪は無理だったりする。
まぁ、年明けの城館探訪はまた時間のある時にでも楽しくやりたいと思う。
さぁ!今年も張り切って行くとするか~!!
- 2013/01/01(火) 01:24:26|
- その他の事
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