鉄分といっても鉄道ではなく、送電鉄塔の鉄の字である。
本日はあいにくな天気だったので、午前中は自宅にて城館跡の資料をまとめ、
午後もそれほど雨が降ってなかったので、プチ鉄塔鑑賞するべく新所沢変電所へ。

久々に訪れて変わった事と言えば新所沢線の隣の西上武幹線が電線張りされていた。
今まで骨組みだけだった感じの西上武幹線も電線があると先輩の新所沢線とタメ張るような感じに。
西上武幹線の方のナンバーが分からなかったが、他の鉄塔サイトから推測するのに250号ぐらいになりそう。

ここまで並行してきた二つの路線が県道74号日高川島線を過ぎた辺りで離れようとしていた。
ところが!

プツンとまさに「糸が切れた」ようにここで電線が切れる。
全線開通したらお目にかかれない貴重な写真のようにも思える。
悪天候+携帯のカメラの影響で画質が非常に悪い。
そしてこの場所は自分にとって思い出の鉄塔が建っていた場所であった。

それは安曇幹線383号、自分の中では通称「赤ネコ」と呼んでいた。
この西上武幹線もまた、赤ネコの名を引き継ぐように紅白備えである。
思い入れがあったにも関わらずこの赤ネコを撮影した画像はこれ一枚。
「安曇幹線」と検索すれば他の鉄塔サイトでよりよい画像を見る事ができる。

中東京変電所へ伸びる鉄塔にも目を向けると、既に中東京幹線が撤去されている。
相棒の様に寄り添って変電所に向かっていたJR信濃川線が一路線で寂しくしているようにも見えた。
本当に変電所って鉄塔の社交場で、特に新所沢変電所と中東京変電所が近接しているこの辺りは
一日見て周れるぐらい鉄塔成分は充実している。
久々の鉄塔は実に楽しかった。
また天気が悪くて城館探訪できないときには鉄塔に行って楽しむとしよう。
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- 2013/03/31(日) 20:38:38|
- 送電鉄塔についての事
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湯原城所在地
次に訪れたのはいまや佐久市になった臼田町の湯原城。
今まで我々武蔵直登が先導して城館探訪をしていたが、
城の脇にあるトンネルまで行くのに迷う。
途中でヤブレンジャーの皆様が先にトンネルを発見し、無事到着。

トンネルの南側脇には上へ行く階段があり、それを使って湯原城へと向かう。

城内には碑がないものの、トンネル脇には依田氏の供養等が建つ。

それほど比高差もないので、笹薮に隠された道さえ分かれば簡単に行ける。
堀らしい地形も幾つもあったが、南側の笹薮が割りと凄かった。

毎度恐縮ながらラクガキ。
まがい地めぐりばかりしている自分としては結構いい城とは思うが、
皆様には今ひとつという印象を与えていた様子。
うーん、残念。
- 2013/03/30(土) 01:00:06|
- 城館探訪の事(長野県)
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以前、内堀城攻めをして二回共撃退された。(
その模様はこちら)
それは夏場における猛烈な藪と絶壁であった事が我が記録にある。
しかし、二回の撃退をされたこの城にリベンジする日がついに来た。
藪が無く、かつ藪に果敢に立ち向かうヤブレンジャーの皆様とご一緒なのである。

城の北東はなだらかな斜面になっており、藪が枯れた今なら全然問題にならない。
登るうちに巨岩がゴロゴロと転がっているように置かれた場所に出る。

岩場を越え、ようやく本曲輪に到着。
そこは削平地に僅かな土塁が幾つか見られるだけの遺構であった。
だが、その構造は簡素ながらも巧妙な物であった。

たまたま北側から降りた際に見つけた石積み。
城に使われた物と思われるが、それは城道か?あるいは曲輪か?

毎度の如く汚いラクガキを一つ。
描いた後に思ったのはこの城、西側から見下ろした絵にした方が構造が分かり易いかも。

という事でもう一つラクガキを描いてみた。
この構造を見ても、内山城方面を向いているようにも見える。
今回見てきた事からも内山城攻めの陣城(対の城)だったかもと思えてしまうのであった。
かくして内堀城へのリベンジは見事成し遂げられたのであった。
- 2013/03/29(金) 01:00:26|
- 城館探訪の事(長野県)
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岩尾城所在地
千曲川と支流である湯川に挟まれた舌状台地上に所在していた城で、
徳川家康の家臣依田信蕃を討死させた城として有名になった。

そんな城だけあって、近くまで行くと案内板まである。

城への道はこの三日月堀ぐらいの狭い道が延びているだけで、普通自動車には少々厳しい。
それと同じくこの辺りには駐車場が無いので、崖下に停めて来るのが無難のようだ。
今回も二台で駐車していた為、地元の方々にご迷惑をおかけしてしまった。

最初に来た時は夏場で、本曲輪は藪に覆われて見通し悪かった。
それが春先に来ると・・・

おお、藪の壁が取り除かれ、本曲輪の視野がとてもクリアだ。
城館探訪がいかに季節を選ぶのが重要かを知る良い写真だ。
ここから先は前回行けなかったので、初訪問になる。

本曲輪の先には堀らしき溝が見られ、本曲輪がここまでであった事を思わせる。
そこから先は琵琶島と言われる出曲輪になる。

琵琶島の先端には国土地理院の公共基本点があった。
これはどんな物かなっと調べてみたら
こんな事が書いてあった。
今回はお絵かきをせず、ぶらっと岩尾城を周らせてもらった。
本当にここは地の利を生かした城であったのを改めて認識する事ができた。
- 2013/03/28(木) 01:00:42|
- 城館探訪の事(長野県)
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日向城所在地
日向城は蓼科山から伸びる尾根の末端に築城されており、城の機能を果たすために堀を幾つか設けている。
今回の佐久遠征にて「是非再訪問させて欲しい」とリクエストさせてもらっての訪問である。
あの豪快な堀に再会できるのが楽しみである。

この城の目玉の一つ、麓まで延びる竪堀。
この豪快な竪堀を見て、皆の士気は高まる。

本曲輪には八幡神社があり、その社はサッシが入っていてここで住めそう。
その直後には削り残しの土塁があり、本曲輪が見透かされるのを防いでいる。

幾つもの堀が織り成すその光景は、自分を楽しませてくれる。
前回は気付かなかったが、本曲輪直後の土塁(削り残し)の背後の平場は、
神社関連の埋め立てた堀だったのだとか。
そういう事も気付けなかったが、今後もどう遺構に変化が加えられたのかも見る目を養わねば。

いつものようにラクガキを。
遺構の大体の構造が分かるようにだけ描いているので、正確さはあまりない。
これだけの土木工事を行うのにはかなりの資金を要したと思われ、
何故ここまで城を堅固にしてまでもここを守ろうとしたのか?
そういうのを考えるのも城館探訪の楽しみの一つとも言える。
- 2013/03/27(水) 01:12:51|
- 城館探訪の事(長野県)
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午前8時、某ホテルにてヤブレンジャーの皆様と合流した。
何しろ城郭本やらテレビ出演(今度の日曜深夜放送予定)をされている凄い方々なので、
自分のような薄学な城館探訪者がご一緒していいのやら?といった感じだった。
でも折角の機会なので、ご一緒させて戴いたのであった。
では最初の城へと向かう途中、「ここにも寄ってみたいよね」と史進殿が悪巧みを・・・
道端に車を停めて向かったのは・・・宝生寺砦であった。
宝生寺砦所在地
ヤブレンジャーの皆様に砦跡に立ち寄る事をお許しいただき、いざ訪問。
さすが房総半島の藪城の数々を制覇された方々で、この程度の砦は直登されておられた。
こちらもその勇敢なお姿に見習うように後を追う。

砦は平場を幾つか擁するだけのとってもシンプルな作り。
だが、佐久平に突き出すように所在している為、見晴らしだけは良い。

シンプルといえども腰曲輪を持つ作り。
砦であった事を示す標柱や解説板は無いが、遺構がそれを示している。

関東より春の訪れの遅い佐久平に、紅梅らしき花が春の訪れを告げていた。
吹く風はちょっと冷たいが、春は確実に来ている事を知る。

ここではお絵かきをしなかったので、ざっと自宅で描いたラクガキを。
それにしても中部横断自動車道建設地にならなくて良かった。
ちなみにヤブレンジャーの皆様と合流前に無事デジカメ発見。
ちゃんと写真が撮れそうで安心。
- 2013/03/26(火) 01:01:04|
- 城館探訪の事(長野県)
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皆野町にあった高松城は、今からおおよそ40年近く前に採石のため喪失した山城である。
以前から「遺構は完全に喪失した」と散々情報があり、実際にその喪失現場を目の当たりにしている。

現在の高松城跡地の遠景。黄色に塗ってある部分がかって見えていたであろう高松城の山塊。
城郭大系に掲載されていた写真を元に、以前見えていた城跡を写真上で復元して望む。
それにしてもこれだけ大きな山をごっそり削ってしまうのだから人の力は凄いものがある。
最近この高松城跡地の地形図にかっての縄張り図を照らし合わせた所、一つの疑問が生じた。
もしかして・・・
一番外側の堀切って残ってない?中世の城館調査において、人の情報よりまず自らの目で遺構を確認する事が大切だ。
かくして現地に赴いて、何処まで城があった山が削り取られてしまったか確認してみる事に。

・・・あった。
一番西の曲輪の半分は喪失しているものの、一部は残っていた。
自分が城館探訪を始めて以来、「喪失した」と散々言われていた遺構が目の前にある。
ただ、堀切の寸前に「立入禁止」の柵が設けられているため、堀切の底に立つことが出来なかった。
でも失われたと思われていた遺構が目の前にある、これだけで胸いっぱいの感動があった。

別の角度から堀切を望む。
城郭大系の要図には空堀4と名づけられている堀切は、もしかして土橋だったんじゃなかろうか?
もう他の遺構は喪失しており確認する術が無いが、ここに関しては端が土橋だったと思えてしまう。

という事で現存部分を中心にお絵かきしてみた。
削られた地形の内部にうっすらと失われた遺構を書き込んでかっての光景を妄想する。
ただ一つ残された貴重な高松城の遺構、これからも大切に残して欲しいものだが・・・。
地元高松集落の方に伺った所、最近は採石事業も休止しているみたいな話を聞いた。
もし可能であるならば、採石が終わったら公園にでもしてもらい、
この遺構がいつまでも見れるようにして欲しいと思う所である。
- 2013/03/25(月) 19:11:28|
- 城館探訪の事(埼玉県)
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本日は我ら武蔵直登と房総方面で大活躍のヤブレンジャー隊の皆様と城館探訪する機会に恵まれた。
こちらは土曜日は仕事だったので参加出来なかったが、代わりに日曜日に史進殿と一緒に参加する事に。
早朝4時、みんなが眠りに付いている頃に史進殿宅まで行き、そこから長野県佐久市へと向かう。
途中群馬県より高速道路に乗り、濃霧の碓井峠を越えつつ「天気は大丈夫かな?」なんていいながら現地へ。
待ち合わせ時間は朝八時、我らは合流前のウォーミングアップ兼ねてどこか行こうと話しをしていたのだった。
そこで適切と思った城は佐久平PA出てすぐにある平尾城であった。
幸いにして雨は降っておらず、雲間から青空が覗かせる天候であった。
平尾城所在地
平尾富士の西側へ伸びる尾根を利用して作られており、本曲輪に秋葉神社のお社がある事から秋葉山城とも呼ばれる。
現地に到着してアクシデント発生、持ってきたはずのデジカメが見つからない・・・。
仕方ないので当時の写真は携帯のカメラで撮影する事に。

スキー場のリフトが二段に分かれて設置されており、その乗り換え場所(?)付近まで車で行ける。
この先の林道は無線局がある関係で門が設置されて自動車は行けないものの、門の脇から徒歩で入れる。
そこからしばらく歩くと切通しになった尾根があるので、尾根の先端に向かって歩くと平尾城へ行ける。

写真が夏から晩冬になったりと忙しいが、ご容赦を。
夏でも幾つかの平場を見る事ができるが、この春先なると草木が枯れており、美しい堀切写真を撮る事ができた。
ひとりの時はかなり見逃していた遺構も、今回は山城探訪の名手史進殿が居るので新発見がどんどんあった。
やはり城館跡は行くたびに新発見があるから楽しい。

また夏場になるが、本曲輪は土塁に囲まれており、切岸の上あたりには崩落防止の石積もあった。
前回は分からなかったが、本曲輪の下の段には岩壁があった。
更に南斜面には平場にも見える場所があったが、時間の関係上今回はパス。
また西北斜面に延びる腰曲輪も同様にパスした。

平尾城を軽くお絵かきしてみた。時間が無かったので細かい所はかなり間違いのある図である(汗)
麓からの比高差はかなりあるものの、結構な高さまで車で行けるので訪問は楽な方。
朝のウォーミングアップには持ってこいの山城であった。
さあ、今日はこれからどんな城館跡に行くのか?楽しみだ。
- 2013/03/24(日) 23:34:55|
- 城館探訪の事(長野県)
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昨日今日の二日間は寄居町にある花園城で過ごしていた。
あの(個人的に)恐ろしい程に複雑な遺構を書き表せられるか試したかったのである。
果たしてどの位で書き終えられるのやら?

花園城に来るのは数年ぶりだが、お手製の看板で案内されていた。
この城に行くのに麓の諏訪神社をいつも利用させてもらっている。
車は神社前の線路沿いの道路に路駐する。
途中で道がかなり狭くなるので交通量が少ない道なので、よほど長時間駐車しなければ大丈夫だとは思う。
神社本殿に突き当たったら右に花園城への道がある。

まだ三月だというのに「ハチに注意して下さい!」という看板が途中から出てくる。
でも今年は暖かくなるのが早いので、そういった野生動物の活動も早く来そうだ。

しばらく進むと山の斜面を駆け下りるかの様に竪堀が築かれている。
それはずっと麓の方まで延びており、何処まで伸びているのだろうと気にはなる。
この竪堀の東側にもう一つ竪堀が出てくるので、それ沿いに上っていけば城の遺構が現れる。

本曲輪付近は確かに笹薮が伐採されて綺麗になっていた。
しかし、他の曲輪は前までと同じように藪化したままで、
お絵かき修行の難関として立ちふさがる事は見えている。

花園城は大きく分けて四つのエリアに分かれており、それぞれを巨大な堀切と竪堀で区切られている。
そしてそれぞれのエリアは独立した城として機能するのに充分な遺構を備えており、
北武蔵に勢力を持っていた藤田氏の力の象徴を、遺構が物語っている。
写真は一番東側の竪堀で、ここから見る遺構も絶景である。
この城で一番のクセ者は堀切でも竪堀でもなく、西側の帯曲輪(犬走り?)の密集地帯であると思う。
山の斜面に人が一人か二人ぐらいしか通れない帯曲輪を無数に構築しており、
これに城柵でも設けられていたら否応無しに横しか動けず、攻め手は横矢を受ける。
この帯曲輪は山の中腹より更に下まで幾重にも重なっており、巨大な迷路を作り出している。
今回の丸二日があっても書ききれない程、山の斜面に広く複雑に作られている。
それどころか描いている内に方向感覚が麻痺し、接続する帯曲輪を間違えて描く事態が続発。
笹薮がそれに拍車をかけており、ここは更に時間をかけないと全体を把握するのは困難だと思う。
途中で調査を止め、麓に戻る際に来る途中にあった竪堀がどこまで伸びているのか確認したくなった。
竪堀に戻りひたすら堀沿いに山を下っていく、途中で竹林を経由して出た先は・・・

麓の廃屋脇だった。
ここまで竪堀を伸ばす理由はよく分からないが、単純に麓の居館との連絡に使っていた城道か?
まさか麓までしっかり伸ばしているは思わなかったので、正直驚いた。

そして自宅に戻り、花園城の浄書しようかとセットするまでは良かったが、
疲れて描く気力が失せてしまった。もうしばらくは花園城はいいやって状態に・・・
でもいつかあの帯曲輪の群れに再挑戦したいとは思っている。
- 2013/03/18(月) 23:09:13|
- 城館探訪の事(埼玉県)
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小瀬戸城所在地
今日は所用があり遠くまで行けないので、どこか行ける所を考えたら小瀬戸城を思い出す。
城とは名ばかりで本当は砦ぐらいの規模しかないのだが、ここはそれなりに良い遺構がある。

飯能市第二小学校東隣に消防小屋があり、その間の道から小瀬戸城へ行く事ができる。

ちなみにこれは十年前の同所の写真。消防小屋の建物以外は特に変わった様子は見られない。
だけどこの時小学六年生だった子は今や二十歳を越えているというのを考えると
年月の経過の早さを感じずには居られない。

途中から人しか通れない里道を使い、小学校を北側から回りこむように登っていく。
尾根に出たら南に向かうとこの城の唯一の遺構とも言える堀切に巡り会う事ができる。
本当に尾根の先端をこの堀切で分断しただけのシンプルな遺構だが、自分的には好みである。

これまた十年前の堀切写真。土橋以外は藪に包まれてよく分からない写真になっている。
(昔のデジカメだったので写真のブレがハンパじゃない)
今日行って驚いたのは十年前に比べて、藪がしっかり伐採された事。
よし、以前はともかく今ならお絵かきの練習をする絶好のチャンス。

小瀬戸城の本曲輪。東西約10m、南北約20m程の広さで、木に覆われているため視野は効かない。
今まで平坦かと思っていた地形だが、堀側に少し土盛がされ、西側も若干ではあるが盛り上がりが見られる。

金毘羅神社がある西南端の尾根先を見る。
この先は岩崖で、危険防止のためタイガーロープ(黒と黄色が交互に付いたアレ)が周囲を囲っている。
その後堀切より北側に少し登ってみたものの、全てが自然地形であった。

小瀬戸城のお絵かきから書き出したおおまかな概略図。
5分で描いたため、非常に雑な絵だが大まかな遺構の構造が分かればよし。
遺構の大きさも分かり易いように巨大化している為、この大きさではない。
ここの所埼玉県内の城館跡を再訪問しているが、なかなか見落としが多い。
再訪問ながらも楽しく訪問させてもらえた。
- 2013/03/11(月) 21:51:51|
- 城館探訪の事(埼玉県)
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今日も気合入れて長瀞町の仲山城へ行って来た。
もちろん目的はお絵かきの練習。


二枚の写真は同じ仲山城の遠景写真だが、空の色がかなり違う。
原因は・・・

この山全体から沸き起こるような煙。
これは山火事ではなく、スギ花粉。
現地に到着した時点で、すでに大空はスギ花粉の天下になっていたのである。
見ているだけで目に悪そうなので、今回は藪突撃用のゴーグルを装着の上での探訪となった。

お絵かきをしながら探訪すると、今まで見逃していたような遺構もしっかり見る事ができる。
そういえば仲山城にもこういういい堀切があったっけなっと思い起す一面も。

仲山城本曲輪付近から同町天神山城を望む。
流石に花粉でガスっていて見通しが少々悪い。
なお、右下の鉄塔は中東京幹線327号の頭。

お絵かきをすると、こういう城の鳥瞰図も描きやすくなる。
出来た絵を見てビックリした事は中田正光先生の『秩父路の古城址』で描かれている仲山城の絵にそっくりだった事。
もっとも同じ城を描いている訳だから似てない方が問題なのではあるが。
それにしても今日の花粉の嵐は凄かった。
- 2013/03/10(日) 21:37:35|
- 研究の事
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本日は確定申告の手続きのため、仕事も城館探訪もお休みなり。
(もっとも仕事は公休だったりするのだが)
朝早い時間から大勢の人々が税務署の開く八時三十分まで、並んで待っていた。
自分もその末端に加わり、九時になると同時に手続きを開始し、おおよそ三十分にて終了。
さて、何をしようかと考案していた所、縄張り図描きの材料である地形図を探しに各役所へ。
プロの描いた地形を見ると、自分のお絵かきにも力が入る。
折角還付の為に確定申告をしたのに、還付は城館跡の縄張り図の材料費で消えてしまいそうだ。
お絵かきの合間にまがい地を巡り、意味不明な平場を山中に幾つも発見している。
明らかに人の手によって削平されたその場所は、見晴らしはいい。
だが尾根の少々脇を削平して、尚且つ堀切などの防衛用の遺構は見当たらないので、宗教施設か?
こうなってくると宗教施設の平場のあり方も城館否定要素として学ぶ必要がありそうだ。
行きたいまがい地も多いが、山城の再訪問をしてお絵かきもしたい。
その前に今日蒐集した地形図をお絵かき用のサイズに編集し直さんといかん。
ああ、こう考えるとやる事が多い。
- 2013/03/04(月) 21:55:44|
- その他の事
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ここ数週間縄張り図を描きまくったためか、ペン(万年筆)のインクがなくなってしまった。
それにしてもあの美しいラインと書き味はボールペンじゃ味わえない充実感に満ちていた。
ので補充用のインクを通販で購入、ついでにトレーシングペーパー厚口と中細ペンも購入。
さらにはペンの正しい使い方もネット上でおさらいしておく事に。
あー、はやく続きが書きたいもんだ。
- 2013/03/03(日) 21:59:21|
- その他の事
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