今回もまた吾妻郡の城館探訪をしてきた。
さすがの吾妻郡もそろそろ木が芽吹き、山城シーズンの終わりを予想させていた。

まずはやっとこさ所在地が分かった紅白鉄塔(写真中央)の聳え立つこの山城から。
ネット上ではあまり情報が無く、大まかな場所だけ頼りに出発したのは良かったが、
ここを見つけるのに軽く3時間も尾根道を彷徨ってしまった。

だが、この岩を穿った切岸を見て、疲れが吹っ飛んだ。
やはり遺構がいいとテンションが上がる。

次に訪れたのはこの城。
自分も城館探訪の記念としてこういう記念リボン(?)付けてもいいかも知れないな。

林道が出来て荒れ果てているというネット上での情報だったが、
一応空堀(腰曲輪と土塁?)が残っていたのはありがたかった。

先の2ヶ所でかなり時間を食ったが、今回最後に訪れた城。
故意にやっているのかは分からないが、背の低い笹がまるで芝生のように見えてしまう。

それだけではなく、美しい堀切もしっかり完備。
ただ、ちゃんとしたルートで来ないと激藪によって行く手を阻まれる。
全ての遺構をお絵かきするのに筆記用具をいくつか藪に持っていかれて、かなり痛手だった。
笹と茨のコンビネーションは凶悪だった。

激藪を乗り越え、ようやく麓の人里へ着いた時には日が落ちようとしていた。
この三ヶ所を周るのに今回一日かかったが、ちゃんとしたルートを辿れば半日で周れるかも知れない。
この時の模様はブログではなく、サイトの方に載せてみたいと思っている。
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- 2013/04/29(月) 23:44:41|
- 城館探訪の事(報告編)
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本日は大変爽やかな天候に恵まれた為、所沢市の滝の城へ行ってきた。
目的は前々から言っていた・・・

そう、今回で第二回目を向かえた「戦国滝の城まつり」である。

柳瀬川一つ越えれば東京都という場所にある滝の城は
この付近の住民に愛されている。
よく存在すらも知られず破壊されていく城館跡がある中、
滝の城は大変幸せな城である。

今回、模擬合戦が二の曲輪になった事によって舞台が広くなった。
陣幕を囲み、のぼりを立てるその風景に人々の祭りへの情熱も感じられる。

12時ごろになり、東所沢駅から武者行列が到着。
祭りで一番の目玉だけあって、周囲の観客の視線を独り占め。

他にも今回、剣術の披露もありかなり見ものが多かった。
特にこの真剣を用いた試し切りはかなり凄かった。

こんな分厚いゴザを、僅か一太刀で斬断するのだからおそろしや。
実はこの後の模擬合戦を動画で撮影したのだが、
激しい容量消耗によりカメラのデータが満タンになってしまった。
もしかすると他で画像がでるかも知れないので、そちらをご覧あれ。
かくして祭りは無事終了、なかなか楽しかった。
- 2013/04/28(日) 19:41:40|
- その他の事
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先週に引き続き今回も吾妻攻め、ソロでの活動であった。

4月下旬にもなれば問題はなかろうと前々から準備していたが、甘かった。
この風景を見て自分はとても現在4月下旬とは思えなかったのであった。
特に雪はよく滑るので遺構を歩く時には要注意。

そんな真冬の風景が見れたかと思えば、日中には小春日和になったりと忙しい。
地元では桜は散ってしまったが、吾妻郡の桜は今が見ごろの様子。

今回特に気に入ったのはこの麓から見える堀切。
この手の麓から見える遺構は自分の大好物である。
かくして中世城館跡5ヶ所、謎の遺構2ヶ所の計7ヶ所を探訪。
お絵かきしながらでここまで周れれば、結構頑張った方。
やはり吾妻の城館跡は熱い。
- 2013/04/22(月) 23:54:40|
- 城館探訪の事(報告編)
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全国編をやるかやるまいか?結構悩んでいたりもしたが、結局アップしてしまった。
ほぼこのブログで描いている内容に近いが、ラクガキに関しては新たに書き下ろした。
ほかにも若干の違いがあるので、見てみるといいかも。
城館跡の歴史的経緯?
それはやってるとキリが無いので他のサイト様にお任せした。
- 2013/04/21(日) 06:13:03|
- このサイトについての事
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去年初めて開催した所沢市の「滝の城まつり」がめでたく二回目を今年開催する事になったという。
今年は4月28日(日)との事で、あと一週間ぐらいで開催される。
今回もお祭りを応援する意味合いもあって、行ってみたいと思っている。
おまけにお絵かきも出来たらいいなっとは思うが、祭りの開催中じゃ無理そうだ。
ついでなので去年のまつりの模様をアップしてみる。

滝の城の二の曲輪に集まった武者集団。
城外から行進してきて、ここでひとやすみのご様子。
たしか武田信玄公も滝の城までご出陣されていた気がする。

そして本曲輪での寸劇中、周囲の観客が大勢いるので出演者の姿が見えない・・・。
今年はこの狭い会場をどうするのか?

もちろん祭りだけじゃなく、滝の城の遺構も存分に堪能する事ができる。
目の保養にこれらの遺構を見に行くのもまた手か。
去年は寸劇中に遺構を見る事に専念してしまったので、
今年はしっかりその演技を見てみたいものである。
詳しい事は下記のリンク先にて。
所沢市ホームページ「第二回滝の城まつり」
- 2013/04/20(土) 05:38:38|
- その他の事
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五本松城所在地
五本松城・・・
かって内山古城から向かう際にあまりの倒木の多さに撤退を余儀なくされた城である。遺構が残るという話を色々な所から聞き、なんとしても志賀城と共に再チャレンジしたいと思っていた城。
今日こそあの五本松城の遺構に立てるようにしたいものだ。
かといっていちいち前回同様内山城から登って周ってしまっては大きな時間ロスになる。
そこでネット上の情報を元に、探訪してみる事にした。

所が何を間違ってか、採石場跡地に着いてしまったのであった。
そそり立つ人工の岩壁、思ったよりこの採石場の幅が広く、ずっと岩壁が続いていた。

採取していたと思われる石を手に取る。
落とすと簡単に割れるので石灰石の類か?
それはこの岩壁も簡単に崩落するという事を意味しているので、速やかにその場を離れる事にした。

尾根の先端あたりでようやく、取り付けそうな場所に着いた。
実はこの時はここが五本松城から南に派生している尾根先とは全然気付いていなかったのであった。

しばらく尾根を歩いていると、麓の方から里道が近づいてきた。
最初からこの道を見つけていれば・・・とは思うが、それは仕方なし。
そのまま五本松城の方角へ歩いていく。

五本松城に近づくにつれて異変が生じる。
山の近景が思ったより高く、しかも先ほどの里道が尾根筋から逸れた。
この状態からこの先の状態を予測すると・・・行き止まりか。
案の定、尾根は急に険しくなり、岩がゴツゴツしている。
かと言って迂回している時間はないので、そのままよじ登って行く事に。

登る事小一時間、ようやく山頂が見えてきた。
ようやく念願の五本松城へたどり着けたようだ。

本曲輪付近の石積みだった気がするが、どの辺りだったか忘れてしもうた。
これを見て、ようやく着いた事を実感できたのであった。

よじ登ってきた尾根筋を見下ろしてみた。
もうこのルートで戻る気がない。

五本松城本曲輪は比較的広く、土塁はまったく無さそうである。
南と北に虎口らしい窪みがある。

更に、「5本松城址」と書かれた案内板まで備え付けられている。
数字をアラビア文字だと「5、本松城址」とも読めそうで、なにやら新鮮な気持ちになる。
おそらく誤字でしょう。

達成感をかみ締める時間が実を言えばもうそれほど無いのであった。
急いでお絵かき道具を用意し、駆け足で描いていく。
ので行くのに苦労しておきながら、撮った写真は極僅か。
一応これが堀切写真。

話をどんどん飛ばし、こちらは西城と呼ばれる部分。
五本松城とは岩場で区切られてような感じである。
このあたりはこういう巨石が多く、これがよい防御設備になっている。

西城の先の腰曲輪。
本曲輪の方は岩が多いが、こちらはいたって普通の削平地。
そのまま西城の先に鞍部があり、そこから行き来するルートがあったそうなので、そこから降りていく。

こちらのルートは斜面がなだらか過ぎて、かえって迷いそうな気がするのは気のせいか?
なんとか里道を発見し、それを元に降りていく。

そして車道に戻った所で、振り返って撮影。
ここで間違えたので大回りをしてしまったという始末。

無事戻った所で毎度のラクガキ。
特に今回は行きでお世話になった尾根筋を描いてみた。
この尾根筋を描いている鳥瞰図っておそらくこれだけかも知れない。
かくして日没前に戻ってくる事ができ、その後温泉に行って疲れを癒してきた。
前回挫折した城を二ヶ所お絵かきできただけ、今回は成功だったと言えるかな。
- 2013/04/18(木) 01:00:00|
- 城館探訪の事(長野県)
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志賀城所在地
志賀城は甲斐武田軍によって麓に三千の生首を並べられるなど、血生臭い歴史が残されている。
そんな恐ろしい歴史が数百年前にある同地だが、現在は至ってのどかな集落になっている。
実は前回訪問しようかとしていたが、当時は真夏だった事もあってだるくなって止めた経緯がある。そんな志賀城だが、4月上旬の今なら草木が少なく、探訪する絶好の好機と見て訪れた。

志賀城の南麓にある雲興寺に上り口があるとの事で、城館探訪の成功の祈願も兼ねて参拝。
そのまま本堂の東側から回りこんで城へ向かう。
なんか尾根筋が削平されてそうで、とっても気になったがそのまま進んだ。

途中からゴロンと造作も無く置いてあるという感じの巨石があったりする。
信州の城は本当に岩と巨石が多いと実感する一コマである。

登りながらもまたも石積み付きの削平地に出会う。
志賀城の真下だから城の遺構・・・とも思いたいが、桑畑の跡である可能性もあるのでなんとも言えず。
そんな削平地を横目に見送り、テクテクと踏み跡を元に登っていく。

この山が岩で出来ているのをよく物語っている場面に遭遇。
表土に生えた木々が岩肌で剥がれ落ちかけている。
途中の道でそんな倒木がいくつもあった。

志賀城の堅固さをより具体的に表してくれる岩壁の登場。
戦国時代にはこの岩壁を露出させて、攻め手の戦意を削いでいたかも知れない。
写真では伝わりにくいが、現物を見るとその迫力に驚く。

岩壁の合間のごく限られた尾根を上りきると、ようやく待ちかねた遺構とのご対面となる。
先の岩壁が垂直にそそり立っている事もあって、いくつかの削平地がある程度である。
また、部分的に笹薮になっていて、見通しが悪いところがある。

本曲輪の方向に歩いていくと浅いながらも堀切に出会える。

本曲輪に近づいたあたりで噂に聞く綺麗な石積みに出会えた。
一部には後世のものだろうという説も聞くが、当時の物だとすればロマン溢れる風景だ。

本曲輪に到着、一部がすごい笹薮に覆われている。

その代わり本曲輪東側は見通しが良く、小さいながらも堀と櫓台らしき高まりもある。
堀切を越えてしばらく進むと、進むのを拒むかのようにロープが張られている。
このロープの意味はこれを通過する時点ではよく分かっていなかった。

本曲輪の先は本来の自然に任せた堅固な要害の様相を見せてくる。
でもこんな垂直にそそり立つ岩壁をあえて竪堀にする必要性があるのかと思える地形がある。
これが自然に出来たものだとすれば天性の要害であった事が感じられてしまう。

更に進むと突如、岩肌の露出した超危険地域に出くわす。
志賀城側は一応削平されたような地形であるが、その先の地形は明らかに人の行ける様な地形ではない。
獣たちは往来しているような痕跡は見られるが、人が行って安全に通行できる保証がないだろう。

落ちないように覗き込むとなにやら人が手を加えたような地形が。
これを見ても志賀城は明らかにこの岩を穿った堀切にも守られているのが分かる。
それにしても今まで見た遺構の印象を吹き飛ばすような、ダイナミックな堀切である。

その他にも本曲輪に石積みがあったり、写真の巨石を積んだ切岸(?)があったりと
志賀城には見所は多い。
ただ、ここまで見た意見としては、やはり自然の地形に頼った要害というのが一番であった。

毎度のラクガキ。
志賀城の範囲が少々広いので、全体像を描いたらこんなに縮小してしまった。
夏場でもいける事は行けるだろうが、熊などの害獣に出くわさない冬場がベストだろう。
とっても美味しいご馳走でした。
- 2013/04/17(水) 01:00:00|
- 城館探訪の事(長野県)
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ねぶた城所在地
宮坂武男氏の著書にこの城の記載がされていたので、無性に興味が引かれた。
上信越自動車道の直撃を紙一重でかわし、現存している城。
そんな事で上信越道で佐久平PAまで行き、そこから途中の香坂まで戻ってきた。
付近には香坂ダムがあり、その北付近にめざすべきねぶた城があるのだが・・・
なるべく近くの駐車場を探すつもりが、いつの間にか二つ先の尾根先まで行って時間ロス。
まぁ、ねぶた城と同じ条件の尾根を見て何が違うのか知るいい機会になったのでそれで良しとす。

入口の目印は香坂ダムを過ぎてすぐの所に自動販売機が数台並んでいる写真の場所。
この脇の道が城へアクセスする近道であろう。
自分の場合ここで奥の道で曲がってしまい、香坂の集落に行ってしまったのであった。

先ほどの道を曲がってすぐにねぶた城のある尾根の近くへ行ける。
それほど大きな道ではないが、路肩にギリギリまで寄せれば駐車できるスペースはある。

城の先端は幾つかの削平地が作られているが、城本来のものかは非常に謎。
麓に近い事もあり、耕作用の削平地と思われる。

しばらく上がっていくと東側に腰曲輪と思われる削平地が現れる。
先ほどの場所と違い高さも少々あるので、これが本来の遺構である可能性は高そうだ。

宮坂氏の図面によればこれが城根神社という。
比較的大きい石の側に作られており、ここが本曲輪直下の腰曲輪になる。

そして本曲輪へ、中央に段差を付けて両サイドから回り込むような構造になっている。
現地には城を示すものは特に無く、雑木林になっている。

本曲輪の背後には堀切とも思われる窪みがあり、更に数m後方にも一条ある。
後者の堀切に関しては里道による掘割とも思えるので堀切とも断言できない所も。

更に尾根を上がって行くと上信越自動車道があり、尾根は大きく削られている。
高速道路敷地に遺構があったのかも知れないが、今となっては確かめる術がない。

毎度のラクガキコーナー。
この図はかなり遺構をデフォルメしており、この図を信じると現地に行ってガッカリするかも。
今回は道を間違えたり、違う尾根を登ったりで色々と時間かかったが、
ちゃんとルートが分かれば割りと楽に訪れる事のできる砦である。
- 2013/04/16(火) 01:00:02|
- 城館探訪の事(長野県)
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今日は丸一日家に籠もって休息をとる。
家の中にも色々とする事があり、城館跡を離れてそういう事をするのも良いだろうという判断。
ちょいと時間が空いたのでお絵かきして楽しむ。
中世期の城はいくつもあるが、複雑な遺構になればなるほどその全体像を立体的に表現するのは難しい。
一方向の斜面に伸びている遺構であればそのまま書けるのだが、そうもいかない事が多い。
自分のお絵かきは基本的に南側から見下ろした図を多くしているが、場合によっては方位を変える。
一枚の絵にどれだけその城館跡の遺構を書き表せるか?そちらを考えてしまうからだ。
これからもあらゆるケースに当たり、上手に書き表せるように考えてみたい。
一日じっくりと休めたので、明日からまた仕事と勉強に励めそうだ。
- 2013/04/15(月) 22:44:40|
- その他の事
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ついに去年末からの念願だった群馬県吾妻郡に出陣。
今回はかの凶悪な外観の丸と箱に挑戦である。
流石にこれはひとりでは厳しいので、強力な助っ人をお願いした。

まずは丸から。
名前とは裏腹に恐るべき外観であったが、山頂はやや緩やか。
場所さえ間違えねば少々楽な城であった。

どちらかといえば箱の方が手強かったようにも思う。
その他3ヶ所の山城を含め計5ヶ所の訪問。
運転を頑張ってくれたU氏には心から感謝をしたい次第。
- 2013/04/14(日) 23:03:38|
- 城館探訪の事(報告編)
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城館のお絵かきの帰りに、買い物をしてきた。

A4サイズのクリアファイル。
最近お絵かきした絵が増えてきたので、これでまとめる事にしたのである。

ふむ、これで見やすくなったと同時に、お出かけにも持っていけて便利(?)か。
今のところ1:1000の規格に統一させているので、山城同士の大きさを見比べるのにも便利かも。
- 2013/04/08(月) 23:24:13|
- その他の事
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本日は午後から天気がやや回復したものの、相変わらず強風が吹いているので自宅にてお絵かき。

前回挫折したままだった寄居町の花園城をようやく書き上げた。
これほど複雑な山城は今回が初めてだったので、よく見ると間違いや粗さが目立つ。
プリントアウトしてから見なおしてみたら、書き漏れがいくつもあったので、原稿に再記入。
お絵かきをし続けた数年後に、再度調査してどの位この絵と違いがあるのか?今から楽しみだ。

今回描いてみて思ったが、現地調査用の地形図に載せている1cm(現物は10m)のマスを、
このお絵かきにも載せてみた方が、もしかすると長さの把握がしやすいか?
破線が0.5cm(5m)で、なんとなく大きさ(距離)が把握し易くなったような・・・
でもこれだと自分の調査の雑さが目に付いてしまうな。
まだ調査して下書きをしながら放置しているお絵かきもあるので、
そちらにも手を出してみるか。
- 2013/04/07(日) 19:21:21|
- 研究の事
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医王寺城所在地佐久市方面に戻る途中、バイバス沿いから堀切の見える城があるという。
言われて気付いたが、確かにうっすらと堀のような窪みが見受けられる。
その麓からでも見える堀を見て、全員一致で「行こう!」と決まる。
かくしてちょっと道を引き返し、南側からこの医王寺城へ向かう事に。

城はいくつもの段郭が設けられており、それぞれがわりと広い。

東側は急落しており、見晴らしは良好である。
医王寺城からでも今朝行った平尾城の姿を確認する事ができた。

本曲輪には力強い文字で書かれた看板がついている。

堀が本曲輪周辺に作られており、麓から見えるだけあって結構広い。

ここでもお絵かきしなかったので、頭の中の記憶を元に作成。
なお段については適当に書いたので間違っている。
前々から書いている通り、城の雰囲気が分かればそれでいいかといった所。
- 2013/04/06(土) 01:00:00|
- 城館探訪の事(長野県)
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花岡城所在地長野県には(記憶によれば)花岡城は二つあり、こちらは南佐久郡の方の花岡城。
東側から伸びる尾根の末端に作られた城で、ただ今絶賛公園整備中。

遊歩道を歩けば三重堀切が見れる。

腰曲輪が点在しており、遊歩道がそれを結ぶ形でお散歩できる。

所々にテーブルが設けられており、遠くの風景を楽しみながら昼食を食べる事もできる。

本曲輪には幅いっぱいに物見台が設けられており、景色が良さそうである(今回は登っていない)
物見台の一階あたり戸を付ければ住み着く人も居るかも知れない。

実を言えばもう興味は南に見える蟻城に向いていた為、お絵かきすらしなかったという(汗
申し訳ないのだが、やはり変に公園化されていると興味が薄れてしまうようだ。
公園化以前からかも知れないが車道が出来て遺構が壊れている節もあったので。

訪問後、皆さんが花岡城遠景を撮影しているにも関わらず、興味はこの山猫ちゃんに。
長野県を走る山猫ちゃん(安曇幹線)は初めて見るが、埼玉の山猫ちゃんとちょっと形状が違う。
こちらのネコちゃんの方が信州の厳しい冬を乗り越えるべく、表情が険しく見える。
やはり見慣れた埼玉県の山猫の方が自分好みなのである。
- 2013/04/05(金) 01:00:19|
- 城館探訪の事(長野県)
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磯部城所在地
磯部城は入沢城の支城とされ、入沢城の北側にある。
どうも今回行った城の中で一番印象が薄く、ついさっき探訪リストを見て思い出した次第。
この城の特徴はなんと言っても南面にビッシリと作られた墓地であろう。
この墓地を見ただけで攻め手は祟りを恐れて攻められない・・・事もないか。

墓地を抜け、スタスタと歩く内に「もう着いたの?」って感じで本曲輪に。
南面は墓地以外は防御設備がありません。
北側はなんとか何段かの切岸らしき地形が残るのみ。
うっすらと虎口があったというが、全然見えなかった。

その代わりに見晴らしだけは良い。
入沢城も間近に見え、南方の視野を確保する砦であったと見るのが正解のようだ。

毎度のラクガキコーナー。
殆どの地形がフラットに近く、城と知らずにここを訪れると・・・見落とす可能性ありそう。
やはり城の遺構より斜面ビッシリと設置された墓地の方が印象的であった。
- 2013/04/04(木) 01:00:00|
- 城館探訪の事(長野県)
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入沢城所在地
入沢城は現在の佐久市の南の方にあり、吉祥寺背後の小高い山上にその遺構を残している。
群馬県渋川市に移住した入沢氏の故郷であり、実は行った後に気付いた次第(汗
ちなみに群馬県入沢城の記事はこちら
墓地に幾つかの平場があり、その合間を抜けて城のある山頂を目指す。
比較的歩き易い道があったにも関わらず、最初はよく探さず直登なり。
山頂付近になると岩場になり、中には写真のようなまっ平な岩も。

本曲輪は削平された地形のみで、石祠も建てられている。
木々に葉が無い季節ではあったが、眺望はあまりよくなかった。

ニの曲輪の東半分は丈の長い笹藪になっていて写真すら撮ってなかった・・・。
皆さんは笹の無い道を行くが、我は曲輪の輪郭を知るべく藪の道を突き進む。
のでその最中の写真は無いが、藪が切れた頃には堀切が出現。

鋭く抉られた堀がまたいい、西側は竪堀がずっと下まで伸びていたようで、
ヤブレンジャーの隊長殿は結構な急勾配にも関わらず、竪堀を直降されていた・・・。
もっとも
先日の花園城でも似た事を自分もしたので人の事を言えないのだが。

毎度のラクガキはこちら。
この城の特徴はやはり尾根にある数々の堀切なのだが、深さにインパクトは無かった。
それより本曲輪の南側の岩場の方がどちらかと言えばインパクトあったようにも。
- 2013/04/03(水) 01:00:19|
- 城館探訪の事(長野県)
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雁峰城所在地雁峰城は別名小田切城とも言われ、雁峰の読み方も「がんぽう」と「がんみね」と色々といわれ方があるようだ。

この城の最大の特徴はその帯曲輪郡であろうか。
つい最近埼玉の花園城でその威力を思い知ったばかりなので、あの時の事が頭に思い浮ばれる。
ここもまともに縄張り図描くとすると、かなり調査に時間がかかりそうな印象がある。

その帯曲輪もただ主郭を巡らすのみならず、分断したり幅を広げたりしている。
今回の探訪ではその全容は把握できなかったが、城柵を設ける事でかなりの威圧感が合ったのではなかろうかと。

本曲輪は比較的藪が少なく、ちゃんとした縄張り図作りをするのには最適な気候。
だが、今回は団体ツアー中なので、ザっと見た感じで遺構をメモしていく。

この城の背後の生命線とも言える堀切。
岩をも削って作り出した命の一条。
その更に後にも一応堀らしき窪みがあるのもの消化不良気味に。

図面を描いている内に他の皆様が車で待機していると思い、
急いで降りてみれば・・・まだ誰も居なかった(笑
かくして今回は図に示した程度の調査に留まった。
この先にもいい遺構があったらしいが、見逃して残念であった。
- 2013/04/02(火) 01:00:22|
- 城館探訪の事(長野県)
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先週の消化不良分を解消する為、また佐久に出陣してきた。

佐久に到着すると八ヶ岳が頭に雪を被りながら自分を見送ってくれているようにも見えた。
よ~し、今日はバリバリ回るぞ~!っと張り切って行ったのは良かったが・・・

道に迷ったり、岩壁に阻まれたり、眠くなって昼寝を3時間もしてしまったりと色々。
お陰で意気込んで来た割には3ヶ所しか周れぬ始末。

そして山間にて日没する。
でもお絵かきをしっかりできたからこれで良しとしておこう。
その後温泉に入って、お肌がツルンツルンになった。
やはり城館探訪後の温泉はいいね~。
- 2013/04/01(月) 23:41:25|
- 城館探訪の事(報告編)
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