中泉の砦より東に向かい、菅谷城を目指す。
関越自動車道前橋ICから西北西約1kmという立地条件から、やや遺構の保存状態が気になる。
少しでも遺構が見つかれば幸運と思って探してみるとする。

菅谷城の城内に位置する浄眼寺に来た。
ここに来る途中にもかなり宅地化されているので、やや保存状態が心配。
なおこの寺の辺りが追手(大手)である。

一応堀の名残発見。
寺の西に流れる水路も堀だったようだ。
これは中央部がどうなっているか調べねば。

一見すると石置き場にしか見えないが、山崎氏の図面を見るとここに土塁があったようだ。
確かに不自然な盛り上がりがあるので、こういう形ながらも土塁は生き残ったという事か。

城の中央部を通過する道の形状も、図面を書かれた当時から変わらず存在していた。
おかげで城の中心部に割とすんなり来る事ができた(犬の鳴き声がうるさくはあるが・・・)
一応ここも土塁で、ここを南西端に土塁が囲っていたようだが、宅地化が進行しておりここしか残されていなかった。

そのまま南下すると高崎市立菅谷幼稚園前に来る。
今でこそ排水溝化してしまっているが、菅谷城の堀跡らしい。
まあ、以前の城がほぼ壊滅状態にあった中で、かなり遺構が残されている方ではないだろうか。
こんな僅かな遺構でもこれだけ宅地化が進行した中に残されているのがいい。
できたら現存している遺構を大切にしてほしい所である。
そんな事で次の城館遺構にに向かっていく。
続く
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- 2010/08/06(金) 06:32:18|
- 城館探訪の事(群馬県)
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