先の津久田城は遺構があまり残されて居なかった。
ではその烽火台として利用されていたという津久田の砦へ足を運ぶ事となった。

麓から撮影する津久田の砦。
朝日が後光となっている為か、妙に神々しく見えてしまう。
これだけ見るとかなり標高もありそうだが、ここは崖城なので城の背後へ車にて移動する。

関越自動車道の上を跨ぐ中原橋。
その向こうの森の中に目指す津久田の砦がある・・・らしい。

ここからは久々の藪との戦い。
実を言うと間違って北隣の尾根を行ったが何も無かった。
間違いと気づいたのは道路の位置関係と地図の地形の違いである。
結論を言えばこの入口が一番の難関であろうか。
写真中央付近の藪を掻き分けて、内部に侵入すると・・・

伐採した木を下ろす修羅みたいな溝道が現れる。
この道をそのまま下るだけで、城の端までたどり着く事ができる。
にしても10月になったが、未だに蜘蛛の巣が多い。

写真じゃ全然分からないが、通ってきた道は北側に急なカーブを描いて下っていく。
そのえぐり方がちょっと深いので、これも堀跡なんじゃっと思えるほど。

きた、かなり浅くなっているが、堀切(中央)と土塁(右上)だ。
尾根の先端を使っている関係で、どうしても先端の方が低くなってしまう。
それを補う為の土塁なのだと地形を見て分かる。

本曲輪に入り、土塁を振り返る。
確かにこちらの曲輪の方が低い。
周辺の物色してみると・・・

木製の碑が建てられていた。
平成八年に建てた様だが、十四年の年月が経過しても実に真新しい。
その側面に書かれた解説は以下の通りである。
「俗に城山(ジョウヤマ)と呼ぶ 山頂に東西十米 南北七米程の平地で
三方が低い土居で囲んであり 昔の津久田城の烽火台に使用されていた。」
との事である。
しかし、この碑を見た人はどの位いるんだろうか?

城山によく配置されている石祠もあった。
ここへ来るまでの道を思うと、いまやこの石祠も忘れ去られてしまっているのであろうな。
なお、この先は地形が急落しており、堀切を作る必要性がないようだ。
木々に覆われて視野が無かったが、位置的な物を考慮すると利根川の対岸を含めてかなり見渡せた事だろう。
かくして津久田の砦の探訪は終わったが、誤ったルートからここに来た時に渡った竪堀があった。

見た目はかなり狭そうだが、向かい側が落ち葉で覆われていた事もあって飛び越える事は断念した。
しかし、現代の竪堀で本当に遠巻きに来る敵兵を防ぐ成果があるのだなっとこれに遭遇して思った。
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- 2010/10/08(金) 07:45:49|
- 城館探訪の事(群馬県)
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