元花園町武蔵野地区に「字竹ノ内」という地名がある。
竹が周囲を囲っていた地という意味でもあるが、「舘ノ内」にも通じる事もあるため中世城館探訪としては見逃す事ができない地名の一つ。
館の周囲を竹で囲っている事も名前の由来になっている場合がある。
さて、その竹ノ内だが・・・

・・・。
思い切り農地及び鉄道敷地になっていた。
それにしてもこの辺りは周りが広々としていて好きだが、城館遺構がありそうに見えないが残念だ。

反対側も広々していてその辺りは気分がいい。
中世期の居館であればその地域でも人が住むのに適した地形であるゆえに、現在でもお住まいの方がいる事が多い(特に低地にその傾向が見られる)
ここ位小高い台地だと水害の危険は無いが、代わりに水の確保が苦労された事だろう。
西には飯塚氏館があるのでいくらかは小川が流れていたとは思うが、街道筋から外れて周囲は農地以外何も無いため館を築くのに向かない地形であったと思われる。

八高線のディーゼル車が広々とした櫛引台地を駆け抜けていく。
中世城館としての収穫はなかったが、こんな風景を見ることができたのは良かった。
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- 2011/06/21(火) 12:18:44|
- 城館まがい地の事
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