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儀一の独り言

中世城館跡を好む儀一が、城館を調査したりした事を語る独り言ブログ。

直実と四人の息子たち

熊谷市が誇る中世の英雄「熊谷次郎直実」、つい最近になってその息子が四人いる事を知った。
地誌『武蔵志』によると・・・。

●長男 熊谷兵衛尉直家

●次男 春原三郎直守

●三男 根岸四郎直頼

●四男 万吉五郎直純

彼らは在地の地名を姓としたようである。
さてさて、長男はそのまま父の領土や居館を受け継いだ事が容易に分かる。
(熊谷市の西に小次郎館という場所があり、そこに居住したのだろう)
四男の万吉氏に関しても熊谷市内に同じ大字が残っているので、その所在地は分かる。
(小字もそれらしい所があるので、なんとなく分かる)
問題は次男と三男の所在地である。

まずは次男の春原(しゅんのはら)氏について考える。
現在の埼玉県内大里郡付近には「春原」という大字は残されていない。
そこで活用したのはネット検索、すると春原村でヒットしたのは「御正村の内にあった」の語句。
御正村とは旧江南町のほぼ北半分に当たる地域で、現在残されている大字で言うと御正新田・成沢・樋春・押切・三本に当たる地域である。
これらの地域にある城館跡は「平山館」「成沢城」「三本館」「三本堀の内」とあり、これらの城館跡に春原氏が住んでいた可能性もある。
それより旧江南町の小字を調査すれば簡単に解決するようにも思えるので、後日再び調査に行く事になりそうだ。

してもっとも謎が深いのが三男の根岸氏
「新編武蔵風土記稿」によれば比企郡根岸村に熊谷次郎直実の子孫が住んだと書かれているので、その否定地として挙げられそうだ。
だが・・・比企郡根岸村という場所は現在の比企郡嵐山町大字根岸であり、場所が都幾川の南岸で埼玉の城館跡を訪ねられている人なら「大蔵館の近く」ですぐに分かると思う。
地図で見ても熊谷から直線距離にして約15kmもあり、熊谷四兄弟の中でなぜ三男が一族の居住地を離れて一番遠くに飛ばされたのか?と疑問が生じてしまう。
まだ子孫である根岸友山・武香の故郷である大里村の方が立地的に近く、居住地としての説得力があるのだが・・・。
地名によっては住んでいた武士の名を地名に名づけるケースもあるので、この根岸村は一時的に住んでいた事で名づけられたと仮定すれば少々納得いくかも。
(実際に根岸氏は戦国期松山城主上田氏に仕えていたので、戦国期はこの地に配属されたと考えれば自然である)

今週は絶好調に晴れていたのに、資料を読み漁っていたので城館探訪する機会を逃してしまった。
梅雨も明けた事だし、また次回それらを調べに行くとしよう。
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  1. 2011/07/12(火) 20:35:40|
  2. 研究の事

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