平本氏屋敷所在地
慶長年中、関東郡代の伊奈忠治に仕える事になった下総国浪人平本主膳定久が、三輪野江地区を開発して住んだ屋敷とされている。
その出自は松戸市の小金城主高城氏の一族であったが、天正十八年の小田原の役で浪人する事になったようである。

平本氏の屋敷と伝えられる場所は現在も人がお住まいのご様子。
ただ平本さんかどうかは未確認。
屋敷林があるあたり、いよいよ屋敷跡という実感が沸いてくる。

その屋敷林の真横には堀らしき溝が伸びている。
うーん、明確でないにしてもこういう地形を見るだけでワクワクする。

写真じゃ分かり辛いが、垣根と同じ高さぐらいの土盛りがある。
これが土塁だったりすると興奮度が高まってしまうかも。

一部水田となっているようだが・・・屋敷の規模が少々小さいのは江戸期の屋敷だからだろう。
ちなみにこの辺りの加藤・飯島などは江戸初期の開発者の姓であり、その功績によって村名になったようである。
なので探し方次第ではもっと屋敷があったのかも知れないが、今のところはここまで。
また近い内に吉川市も再訪問せねば。
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- 2011/09/10(土) 06:25:36|
- 城館探訪の事(埼玉県)
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