鷹繋城所在地
鷹繋城は旧吾妻町でももっとも西にある。
写真の山の山頂にあり、比高差はおおよそ200mとの事。
実はこの城を事前にネット検索したが、何処にも訪問ルートが書かれてなかった。
ので今回は独力で行く事に・・・。

ただ、意気込みすぎて実は夜明け前に着いてしまったというオチが。
しばし車の中で今回訪問する城館跡について資料を読み直す。
そして段々外が明るくなってきたので、早速行動開始。

須賀尾地区の清水という所が幾つも道が分かれているので、
ひとまず鷹繋城の南に向かう温川温泉方面へ。
橋を渡って某旅館の社員寮を抜けた辺りで写真のお地蔵さんがある。
この脇道から城にアクセスする事に。

すると墓所に出るので、そこから東に削平された地形が続く。
おおよそ40m程歩いた所で谷になっている所があるからそこから登ってみる事に。
その際迷子にならないように、写真の黄色のテープでマーキングしとくことに。

途中からググっと急斜面を登る事になるが、山城に行くといつもの事。
ただ、この後何件か山城に行くので、休み休み進む事にした。
ちなみに今までの写真の殆どが帰り道で撮影したもので、
行きは目には見える明るさなのだが、写真は全然写らなかったのである。

見える!我が目に魅惑の地形がそこにあるのがはっきり見える!
山頂付近に来て、この地形が見え登る足も段々早くなる。

ついに遺構とのご対面。
小さな堀切だが、岩を砕いて掘ったその堀切には熱い物が感じられる。

本曲輪と思われる部分は非常に狭く、烽火台だったというのもうなづける。
周囲は崖になっており、先端部分には写真に写らないがワイヤーが立ち入れないように張られている。
そして南東の方角を見ると・・・。

ご来光を拝むという機会に恵まれる。
やはり山城で朝日を拝むというのは個人的に感動するものがある。
この時朝日に気を取られて気付かなかったが、テレビアンテナもあったのだな。

先ほどの平場とこの堀切以外、特に手の付けられた地形は見当たらなかった。
だがこの堀切を見るだけで、ここまで来た甲斐があったというもの。
その後転がるように山を降り、次なる城館跡に向かったのであった。
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- 2012/12/01(土) 04:18:00|
- 城館探訪の事(群馬県)
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