羽田城所在地大柏木の字羽田(はんだ)にあるので羽田城、別名を「大柏木城」や「芳の城」とも言うらしい。
羽田筑後守および羽田長門守康文が城主であったと『吾妻郡城壘史』には書かれている。
竹地区より山を越えて羽田城へ向かう、途中で「的場」の地名があるので気になるが
今日はまず確実な遺構を見る事を専念していく事に。

羽田城への目印は羽田バス停と上空を通過する鉄塔(西群馬幹線?)だろう。
丁度道幅の広い新道が出来て、旧道にいくらかゆとりがある場所があったので
そこに車を停めて鉄塔のある尾根筋を登っていく。

ここまでは車でも来れるが、車一台がやっと通れるスペースなので、
先ほどの通りに停めてきて正解だったようだ。
ここから田んぼの脇を通り、城へ向かう。

途中で電気柵が設けられているので、足元を気をつけながら進んでいく。
流石に11月の下旬ともなると電気を流していないかも知れないが、
万が一に備えて慎重に跨ぎ、城への道を進む。

電気柵を越えるとすぐに笹薮が生い茂る。
この辺りは幾つかの段を設けており、根小屋などがあったのではと想像。

そうこう笹薮を掻き分け上り詰めた所に本曲輪あり。
比較的一直線に本曲輪に着いてしまい、ちょっと拍子抜け。
しかし、この城の本当の凄さはこれからだった。

本曲輪の直後にはジャンボ堀切が。
埋もれた今でもこれだけの深さを持つのに、現役時代はどんな深さだったのだ。
写真じゃ伝わりにくいが結構な工事量の堀切である。

改めて別角度より堀切写真を。
箕輪城の堀切ほどではないが、この規模の城でこの堀のでかさはちょっと釣り合わない気もする。

北曲輪を隔ててもう一回堀切がある。
先ほどの堀切に比べてやや小柄だが、くっきりと切れているのが分かるよい堀切だ。

そして個人的にお待ちかねの鉄塔タイムが間近に!
城の遺構を破壊して鉄塔の立つケースは多いが、この城はそれを免れており安堵している。
この鉄塔の路線名を、そしてこの子のナンバーを知りたい!!

と思ったら、何故か鉄塔の周囲は激しいブッシュになっており、容易に侵入者を近づけない。
えー、普通は城の方が侵入が難しいのに、ここでは鉄塔に近づく方が難しいなんて。
ちょっと周囲をグルグルと回ろうかと思ったが、結構歩くのも容易ではないので諦めた。
きっとこの程度の藪なら武蔵直登のメンバーなら突撃しているのだろうな。
この鉄塔に関しては後日ネット上で調べるとする。

羽田城に戻ると、西側を空堀を巡らし、西側からの侵入者を阻んでいる。
西からの侵入者と言えば信州の真田氏か。
詳しい資料がないので分からないが、ここも激しい攻防戦があったのか。
麓からの比高差はおおよそ80mぐらいだが、いい遺構が残されているので満足だ。
車に戻って腹が減ったので持参のオニギリを食べたら急に眠気が・・・。
ひとまず一休みして、次の城に向かうとしよう。
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- 2012/12/06(木) 03:17:42|
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