三ノ倉城所在地中尾城の状態を見届けた儀一は、そのまま烏川対岸にある三ノ倉城へ向かった。

三ノ倉城は別名栗崎城といい、全透院の裏山に築かれた城である。
ココからの風景がいいのは鉄塔ファンとして奥に新榛名線の高圧鉄塔が見える所。
城館跡も、鉄塔も好きな自分には両者が写っている光景はたまらないのである。

国道406号沿いにはご丁寧に栗崎城として看板が建てられている。
少々狭い道だが、ここで曲がれば真正面は全透院である。

さて、自動車できた自分は何処に車を停めようか迷った。
全透院に乗り込もうかとも考えたが、念の為手前の道に路上駐車する事にした。
本当は左側の駐車場が使えれば良かったのだが、ロープで閉められているので諦めた。

全透院の解説板の末尾にはオマケ程度に栗崎城がある事が書かれている。
ただ、困ったのはその栗崎城へどうやって行くのか書いてないのである。
一応正面の風景を見て、墓地から尾根を伝って登るルートがあると読んだ。

ふと後を振り返ると、山門と鐘撞堂がドッキングされた建造物がそこに。
狭い土地の場合はこういう方法も有効なのだろうな。
ただ、鐘を突く為にハシゴを登るのが大変そうだが。

墓地の中は先に歴代住職さんの墓まで上り、そこから左に行けば写真の尾根に近い所に出れた。
そこからその尾根に移って、城の遺構を目指す。

本曲輪は一部土塁が囲っている地形で、その土の凸凹には我がお絵かき魂に火が付いてしまった。
実を言えば今回お絵かきばかりしてしまい、遺構の写真はあまり撮れなかった。

こちらは本曲輪直後の切岸、そして帯曲輪に立っている所。
この辺りの遺構の巧みさに、結構興奮気味の儀一。

更に土橋があり、その先には倉渕線3号がそそり立っていた。
新しい鉄塔のようで、そのアングル鉄塔は日の光を浴びて輝いていた。

これが大まかに書いた城の縄張り図。
土橋の脇の土塁が微妙に書き表すのが難しく、土橋が若干斜めに接続されているのが表現できなかった。

適当に書いた俯瞰図は大体こんな感じ。
ふもとの全透院はほぼ適当に書いたので、いたって雑であったりする(汗
城のお絵かきをすると時間の経つのが早い。
結局この三ノ倉城で三時間もウロウロしてしまったのであった。
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- 2013/01/26(土) 03:52:16|
- 城館探訪の事(群馬県)
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