大明神の砦所在地
大明神の砦は吾妻を押さえた真田氏の築城とされ、
見方を変えれば武田氏流の烽火台とも言うべき砦。
権田城とは烏川を挟んだ対岸にあり、
北上してくる小田原北条氏の動向を監視するための砦と言える。

浅間神社の脇が参拝用に道路が広くなっており、ここに車を停めて訪問。
もちろん駐車代として神社にお賽銭を入れてきた。

道路脇には砦についての解説が書かれている。
この手の職人魂の籠もった解説板は、個人的に好きである。
ただ、やや年代物なので若干色あせてしまっているのが残念。

浅間神社の本殿脇に砦への探索道が整備されている。
直登するよりはるかに楽なので、こういう道があると助かる。
慌てず焦らずのんびりと登っていくとしよう。

途中に積み木を載せたような地形に遭遇。
それにしてもこの岩の下に浅間神社がある訳だから凄い立地条件。
一応ワイヤーが付けられているが、これだけの巨石からすれば無いに等しそうな予感。

砦の東山腹を上り詰め、尾根に近くなると・・・お待ちかねの堀切発見。
結構大きな遺構なので、つい行ってみたくなる衝動を抑えて本郭へ。

階段を登り詰め、ついに本曲輪へ到着。
さすが烽火台だけあって、見晴らしは素晴らしい。
こちらにも二枚の解説板が設置されている。

木製の標柱の朽ち果てぶりが哀愁誘う。
何時倒れてしまうか分からないが、温かく見守ってあげたくなるものがある。

本曲輪から降りる途中で再度堀切を見下ろす。
いい!この土の立体感が縄張り図を描くための原動力となるのだ!!
そんな事で縄張り図(ケバ図)を描いてみた。

驚いたのは烽火台に計四本の堀切を設けてる事。
ここまで執拗に尾根を遮断する執念は果たしてどこから?
毎度のことながら我が縄張り図だと立体感が沸かないので、ヘタな俯瞰図を一つ。

真田氏経由ではあるが武田氏流の烽火台の遺構を一部垣間見た。
群馬は武田・上杉・北条の勢力が激突した地域だけに、遺構も眼を見張るものがある。
美味しい遺構をご馳走様。
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- 2013/02/07(木) 10:20:38|
- 城館探訪の事(群馬県)
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