
昨日今日の二日間は寄居町にある花園城で過ごしていた。
あの(個人的に)恐ろしい程に複雑な遺構を書き表せられるか試したかったのである。
果たしてどの位で書き終えられるのやら?

花園城に来るのは数年ぶりだが、お手製の看板で案内されていた。
この城に行くのに麓の諏訪神社をいつも利用させてもらっている。
車は神社前の線路沿いの道路に路駐する。
途中で道がかなり狭くなるので交通量が少ない道なので、よほど長時間駐車しなければ大丈夫だとは思う。
神社本殿に突き当たったら右に花園城への道がある。

まだ三月だというのに「ハチに注意して下さい!」という看板が途中から出てくる。
でも今年は暖かくなるのが早いので、そういった野生動物の活動も早く来そうだ。

しばらく進むと山の斜面を駆け下りるかの様に竪堀が築かれている。
それはずっと麓の方まで延びており、何処まで伸びているのだろうと気にはなる。
この竪堀の東側にもう一つ竪堀が出てくるので、それ沿いに上っていけば城の遺構が現れる。

本曲輪付近は確かに笹薮が伐採されて綺麗になっていた。
しかし、他の曲輪は前までと同じように藪化したままで、
お絵かき修行の難関として立ちふさがる事は見えている。

花園城は大きく分けて四つのエリアに分かれており、それぞれを巨大な堀切と竪堀で区切られている。
そしてそれぞれのエリアは独立した城として機能するのに充分な遺構を備えており、
北武蔵に勢力を持っていた藤田氏の力の象徴を、遺構が物語っている。
写真は一番東側の竪堀で、ここから見る遺構も絶景である。
この城で一番のクセ者は堀切でも竪堀でもなく、西側の帯曲輪(犬走り?)の密集地帯であると思う。
山の斜面に人が一人か二人ぐらいしか通れない帯曲輪を無数に構築しており、
これに城柵でも設けられていたら否応無しに横しか動けず、攻め手は横矢を受ける。
この帯曲輪は山の中腹より更に下まで幾重にも重なっており、巨大な迷路を作り出している。
今回の丸二日があっても書ききれない程、山の斜面に広く複雑に作られている。
それどころか描いている内に方向感覚が麻痺し、接続する帯曲輪を間違えて描く事態が続発。
笹薮がそれに拍車をかけており、ここは更に時間をかけないと全体を把握するのは困難だと思う。
途中で調査を止め、麓に戻る際に来る途中にあった竪堀がどこまで伸びているのか確認したくなった。
竪堀に戻りひたすら堀沿いに山を下っていく、途中で竹林を経由して出た先は・・・

麓の廃屋脇だった。
ここまで竪堀を伸ばす理由はよく分からないが、単純に麓の居館との連絡に使っていた城道か?
まさか麓までしっかり伸ばしているは思わなかったので、正直驚いた。

そして自宅に戻り、花園城の浄書しようかとセットするまでは良かったが、
疲れて描く気力が失せてしまった。もうしばらくは花園城はいいやって状態に・・・
でもいつかあの帯曲輪の群れに再挑戦したいとは思っている。
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- 2013/03/18(月) 23:09:13|
- 城館探訪の事(埼玉県)
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