塚田館の遺構の無さは、今思うと自分好みなのかも知れない。
「遺構が明確に残されていない=想像する余地がある」
っという事にもなるからだ。
またまた細い道をグネグネと這いくぐって、国道4号線バイバスへ。
バイバス線から見える城が中久喜城である。
●中久喜城(栃木県小山市)

小山と結城の中間に位置する為、中世期においてはかなり重要視された城だろう。
ある意味今でも近くが国道4号線と50号線の交差地点なので、交通の要衝となっている。
さて、何処から入るのかとグルグルと2週ばかりしてしまった。

ぐるっと回ってばかりだったが、アングル的にはこの国道4号から見た中久喜城が一番いい感じだ。
流石にすぐ側を車が高速運転しているので、ハザードランプを付けながら車内で撮影。
ドアを開けて一歩でも外に出ようものなら、すぐに轢かれてしまいそうなこの恐怖。
一通り周りを撮影して、県道264号線より細い路地を入り城の見学に向かう。

ここにも立派な石碑があった。
もっともここほど遺構が残っていれば、石碑の存在も当然と思える所も。
なお、その背後は空堀になっているようだが、藪が凄そうで入る気にもなれない。

噂には聞いていたが、こうやって図を見ると見事に線路が城内を貫通している。
城内で削られた土塁は低地の築堤に使われたと安易に想像できる。

分断された城の北側の土塁上。
ここだけ見てもかなり興奮してくる。
・・・さて、分断された南側の遺構はどういけるのやら?

近くで農作業されてる方に線路の向こう側への行き方を訪ねたら、
ここの踏切を渡っていくように勧められた。
それにしても踏切名が思い切り「城山踏切」と書かれている辺り、城を破壊したのが確信犯的に見えてしょうがない。

踏切を越えて道沿いを歩いていくと土塁にお目にかかれる。
・・・立派な遺構があるのだが、藪が凄くて写真にならないのが残念。
藪同様に目に付くのが「ゴミ捨て禁止」の看板。
城跡って所は何処も不法投棄の餌食になってしまうのだな・・・。

更に道沿いに歩いていくとステキな土塁を発見。
って事はこの道は空堀?それとも武者溜り?

そんなこんなで本曲輪に到着。
う~ん、見事に農地になっとるのう。
このままの状態で置かれるのなら、いっそ史跡公園にでも・・・
いや、生活に溶け込んでるようで浮いているこの状態でも魅力ある。
それはさておき、全体的に藪が凄くて遺構が見渡せないのが残念である。

帰りに城内を轟音立てながら爆走する電車を見送る。
この電車に乗っている人たちで、ここが城跡であると知っている人はどの位いるのだろうか?
帰る際に色々と教えてくれた農作業中のご夫婦に、篤くお礼を申し上げた。
ちなみにこの辺りは史跡区域(だったかな?)になっていて、農地はできるが建物は建てられないそうだ。
確かに宅地になってしまったら、再び遺構が地表に現すのは下手すれば数百年後。
鉄道によって遺構が破壊されつつも、保護されている事に安心してしまったり。
って事で中久喜城を後にして。いよいよ小山市の中枢部へ向かう事にした。
つづく
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- 2010/06/12(土) 07:46:23|
- 城館探訪の事(栃木県)
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