鷲城の力任せの遺構にちょっとげんなりしてしまった儀一であったが、活躍した時期が南北朝期であった事を考えればよく出来た城であったのだろう。
車で少々移動し、向かった先は同じ思川沿いにある長福城である。
●長福城(栃木県小山市)

近くの広い道路に車を停めるが、この辺りは駐車禁止区域なので早々に帰ってこねば。
長福城の石碑が小さな公園の一部に設置されていた。
本当によく小山市は城館関連の石碑が建てられている。

遺構の規模はそんなに期待していなかったが、宅地にまぎれてデカイのがゴロリと。
住民から見れば単なる藪だから何も思うところは無いのだろうな。

思川に向かって小道があり、もしやここに遺構があるのではと期待して行ってみる。

そうしたら意味ありげな広場に、数年前までここで建築系の材料を作っていたような機材が散乱している。
それより目の前がもう思川の崖っぷちにあり、落差は相当な高さがありそうだ。
おそらくここも長福城の曲輪の一つであったと思われる。

戻ってみてもうちょっと石碑のあった公園付近を見ていた所、川に下りるような道が。
見方を変えれば長福城の堀の可能性もある。
遺構がまったく無い事を想定して来た割には、怪しげな地形が多い長福城。
城の半分ほどが宅地化されてしまっているので、かなり遺構が破壊されたように感じられる。
でもよく見るとこれは遺構だったのかも?っと思わされる部分も多数。
さて、路上駐車している車の所に戻り、次なる目的地へむかうのであった。
つづく
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- 2010/06/18(金) 13:48:15|
- 城館探訪の事(栃木県)
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